2011年08月11日
2011.7.31/トライアングルCプロジェクト「おもいのまま」 at かめありリリオホール
俳優の石田えりがプロデュースした舞台「おもいのまま」を、東京・亀有の公立ホールで観てきました。
俳優の佐野史郎、演出には飴屋法水を迎えた、異色の座組み。
一見幸せに暮らす夫婦(佐野・石田)の自宅へ、夜中に突然の来訪者。2人の若いTVレポーターが取材をしたいと言う。彼らは、スクープを捏造するため夫婦を子供殺しの犯人へ仕立て上げようとする犯罪者。芝居は休憩を挟んだ二幕構成になっていて、夫婦が彼らに対してどのような対応をとるかで、ストーリーどのように変遷していくのかを2パターン示した作品です。一幕は乱暴狼藉をはたらく侵入者にただただ怯え、やがて抵抗する気力も失せて、身体を拘束されて口封じに犯人に殺される最期。二幕は、恐怖に支配されることなく何とか最悪のシュチュエーションを脱しようと試みることで展望が開け、見事犯人達を追っ払う結末です。
公演チラシに「反転する世界に息を飲む新型エンターテインメント誕生!!」とありましたが、確かに舞台作品にはこういう構成はなかなかないのかもしれません。また、二人の侵入者(音尾琢真・山中崇)は頭のネジが外れたキレタ若者を見事に造形していて、迫真と言っていい演技だったと思います。
登場人物の判断や行動の違いで大きくストーリーが変わっていく様を描くのなら、ある選択をするにいたったバックグラウンドあるいはディティールをこと細かに脚本に書き込むことで物語に奥行きが生まれると思います。ところが本作ではその方向性ではなく、人間は心の持ちようひとつで置かれた厳しいシュチュエーションへの対処の姿勢が変わっていく、という話です。一幕では、夫はつまびらかにされたアダルトDVDを自分のものと認めずにくだらない面子を保とうとするし、妻は夫が保険金目当てに実子を殺したのではないかと疑います。やがて二人は生きる希望を亡くします。変わって二幕では夫はSMの趣味があることをぶちまけてしまい、妻も驚きながらそれを受け入れるなど、夫婦の絆を見失いません。この明るさ・前向きさが何としても侵入者を追い払おうと知恵を絞る底力をもたらすのです。まさに人は「おもいのまま」に行動するし、その果実として生まれる未来の行方を受け入れるより他にはないという「教訓」でもあります。登場人物がとる選択の違いが、それぞれのメンタリティーの差異によって発するものになっているため、結末が異なる二つの物語に明確なコントラストが出来上がってこない気がしました。考えてみれば、人が気持ちの持ちようひとつで置かれた状況に対して取る行動が変わっていくのは当たり前です。そういう意味で、脚本の作り込みが足らないかなと感じました。
飴屋演出は、音響の用い方が洗練されていました。おそらくは完全なるアウェーの戦いだったのでしょうが、きちんとまとめ上げるあたりは流石の一言です。
☆「Corich舞台芸術」でのこの公演のレビューはこちら
俳優の佐野史郎、演出には飴屋法水を迎えた、異色の座組み。
一見幸せに暮らす夫婦(佐野・石田)の自宅へ、夜中に突然の来訪者。2人の若いTVレポーターが取材をしたいと言う。彼らは、スクープを捏造するため夫婦を子供殺しの犯人へ仕立て上げようとする犯罪者。芝居は休憩を挟んだ二幕構成になっていて、夫婦が彼らに対してどのような対応をとるかで、ストーリーどのように変遷していくのかを2パターン示した作品です。一幕は乱暴狼藉をはたらく侵入者にただただ怯え、やがて抵抗する気力も失せて、身体を拘束されて口封じに犯人に殺される最期。二幕は、恐怖に支配されることなく何とか最悪のシュチュエーションを脱しようと試みることで展望が開け、見事犯人達を追っ払う結末です。
公演チラシに「反転する世界に息を飲む新型エンターテインメント誕生!!」とありましたが、確かに舞台作品にはこういう構成はなかなかないのかもしれません。また、二人の侵入者(音尾琢真・山中崇)は頭のネジが外れたキレタ若者を見事に造形していて、迫真と言っていい演技だったと思います。
登場人物の判断や行動の違いで大きくストーリーが変わっていく様を描くのなら、ある選択をするにいたったバックグラウンドあるいはディティールをこと細かに脚本に書き込むことで物語に奥行きが生まれると思います。ところが本作ではその方向性ではなく、人間は心の持ちようひとつで置かれた厳しいシュチュエーションへの対処の姿勢が変わっていく、という話です。一幕では、夫はつまびらかにされたアダルトDVDを自分のものと認めずにくだらない面子を保とうとするし、妻は夫が保険金目当てに実子を殺したのではないかと疑います。やがて二人は生きる希望を亡くします。変わって二幕では夫はSMの趣味があることをぶちまけてしまい、妻も驚きながらそれを受け入れるなど、夫婦の絆を見失いません。この明るさ・前向きさが何としても侵入者を追い払おうと知恵を絞る底力をもたらすのです。まさに人は「おもいのまま」に行動するし、その果実として生まれる未来の行方を受け入れるより他にはないという「教訓」でもあります。登場人物がとる選択の違いが、それぞれのメンタリティーの差異によって発するものになっているため、結末が異なる二つの物語に明確なコントラストが出来上がってこない気がしました。考えてみれば、人が気持ちの持ちようひとつで置かれた状況に対して取る行動が変わっていくのは当たり前です。そういう意味で、脚本の作り込みが足らないかなと感じました。
飴屋演出は、音響の用い方が洗練されていました。おそらくは完全なるアウェーの戦いだったのでしょうが、きちんとまとめ上げるあたりは流石の一言です。
☆「Corich舞台芸術」でのこの公演のレビューはこちら
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