2016年07月10日

2016.6.18/文学座有志「燃ゆる暗闇にて」 at 文学座新モリヤビル

[作]アントニオ・ブエロ・バリェホ
1950年 スペイン初演

20世紀スペイン演劇を代表する傑作戯曲。久しぶりの大当たりの観劇。

舞台は盲学校の休憩室。幾つかのテーブルや椅子が置かれている。ガラス張りの窓の向こう側は見晴らしの良いテラスという設定。

主な登場人物は盲学校の生徒、自身も盲人である校長ドン・パブロ、その秘書を務める妻ドニャ・ペピータ。劇中、彼女だけが目の見える登場人物である。この学校の生徒と校長は、事故などで失明したわけではなく、生まれつき目が全く見えない。だがこの校長の教育方針は、目が見えないことで卑屈になることなく、常に前向きで明るい気持ちを持ち、学業やスポーツに積極的に取り組むというもの。実際、幕開けに交わされる生徒たちの会話は明るく、カップルの男女ミゲリンとエリサの陽気な掛け合いは微笑ましい。生徒たちは杖を使わず、勝手知ったる校内を堂々と歩く。そこへ転入生イグナシオが杖を突いて現れる。新しい仲間を歓迎しようとリーダー的存在のカルロスが親身に接するが、彼はあからさまに敵対的な態度を見せる。イグナシオに言わせれば盲人があたかも健常者のように振る舞うのは真実から目を背けた欺瞞であり、それこそ盲目的な態度なのだ。カルロスの恋人で心優しい女生徒ホアナの懸命な説得にも全く耳を貸さず、「ぼくがこの学校のみんなにもたらすのは、安らぎじゃなくて戦いなんだよ」と宣言する。
第二幕。前のシーンからおそらく二か月ほど経過した、秋の終わり。休憩室の生徒たちには、幕開けの陽気さが見られず、カルロスとホアナは互いにどこかぎこちない。エリサもミゲリンとの仲が疎遠になっていると嘆く。そこへイグナシオが数人の生徒を引き連れて登場。彼は以前よりもどこか太々しい態度である。イグナシオは自身のネガティブなものの見方を徐々に周囲に浸透させていく負のパワーを持っており、カルロスやホアナ、エリサがそれに気付いたのだ。カルロスはイグナシオに口論を挑む。彼に言わせれば、盲人は特別な存在ではなく、身体や精神に障害を負った多くの人と変わらない。社会から隔離されているわけではなく、健常者との恋愛も自由だ。食ってかかるカルロスに対して、イグナシオは丸テーブルを静かに動かし、カルロスとの間に置き、自分の方まで急ぎ足で来るように告げる。足を踏み出すが、危険を察知し、手を前に出して怯えるカルロス。イグナシオにとって、盲人が快適な生活を送れるよう全てが適切に整えられたこの学校は、単なる箱庭でしかない。また恋愛でさえ、「お互いに同情し合い陽気な馬鹿騒ぎをすることで、そうした憐れな同情心を覆い隠し、それを愛と呼んでいるだけ」なのだと断ずる。結局、カルロスはイグナシオを説得することを断念する。カルロスらが部屋から去ったのち、イグナシオが一人残っていると、ホアナとエリサが現れ、イグナシオの話を始める。彼を忌み嫌うエリサに対し、ただ苦しんでるだけだと庇うホアナ。エリサが去った後、イグナシオはホアナに話しかけ、愛の告白をする。ホアナは拒みきれない。
第三幕。戯曲では舞台は学生寮のホールに移っているが、今回の公演では変わらず休憩室。時刻は真夜中。イグナシオはこの学校の校風を根本的に変えようとしている。彼と二人きりになったカルロスは、この学校から出て行ってくれないかとイグナシオに切り出す。即座に断るイグナシオ。彼は語り出す。

「(前略)テラスを通るとき、空気の乾燥した寒い夜だってことに気がつかなかったかい? そのことが何を意味するのか、わかるかい? むろん、きみにはわかるまいな。要するに、それは夜空の星がいま燦然と輝いていて、目明きの人たちがそのそのすばらしい光景を享受しているってことだ。(中略)ぼくとしては切に望むんだ。星が見たいんだ。星の甘い光が顔に降り注いでくるのが感じられて、まるで実際に見ているような気がする!(後略)」

目が見えるようになりたい。実現することはない願望を抱え、苦しむイグナシオ。カルロスにとって、彼は死あるいは決定的な暗闇を望んでいる精神異常者だった。そんな男に恋人を奪われてプライドと自信を喪失した上に、自身の精神的基盤でもある学校の明るく前向きな校風すら脅かされていると感じるカルロス。口論で疲れたイグナシオは少し身体を動かしてから寝ようとグラウンドの方へ退場する。入れ替わりにドン・パブロとドニャ・ペピータが登場。二人もすでにイグナシオの存在を重大な脅威と捉え、カルロスに彼が退学するよう働きかけることを命じる。ドン・パブロの退場後、しばらくした後カルロスは心を決め、ゆっくりとグラウンドの方へ歩いて退場する。深夜ラジオの音楽の中、部屋で仕事をするドニャ・ペピータは、ふと立ち上がりテラス越しにグラウンドの方を見る。彼女は目を見開き、叫び声を上げた後、慌てて駆け出す。やがて数人の男子生徒がイグナシオを抱えて部屋に入ってくる。彼はすでに死んでいた。すべり台から落ちて急所を打ったのだ。ドン・パブロは事故に違いないと断じる。ミゲリンとエリサは再びお互いを最も大切なパートナーだと認め、ホアナもカルロスと寄りを戻す。生徒たちが退場したあと、部屋にはカルロスとドニャ・ペピータが残る。カルロスの行為をはっきり目撃していた彼女は告白を促すが、彼を追求しきれない。対してカルロスはドニャ・ペピータを激しく侮辱する。傷ついた彼女が退場後、幕切れに彼はイグナシオの遺体に近づく。孤独と絶望感にさいなまれるカルロス。激情にかられ両手を虚空に伸ばしうち震えながら、最後の台詞。

現代スペインを代表する劇作家アントニオ・ブエロ・バリェホの作品は、1936年から三年続いたスペイン内戦と、その後のフランコ独裁政権に大きく影響を受けているとのこと。まず盲学校という舞台設定が魅力的。目を開けながら目の見えない人を演じるという負荷がかかった演技を貫徹させる文学座の若手俳優陣は観ていて清々しい。そして健常者からしてみればかなり特殊かつ閉鎖的な空間で繰り広げられる濃密な台詞のやり取りと、無駄のない物語展開は美しい。
本作中、イグナシオは盲人=目が見えない人であるとともに、社会の現実から目を背けている人でもあると言っている。彼は目が見えないという現実に孤独に向き合い苦しむとともに、その現実から逃げている盲学校の生徒の自己欺瞞を全否定する。だが、劇を観ている観客は気付く。イグナシオに糾弾されているのは自分たち社会の多数側であり、またそこに住まう人を飼いならす箱庭のごとき社会システムなのではないかと。薄膜に包まれ真実から目を逸らせるべく整えられた学校=社会システムのはるか上空で、星々が燦然と輝き、甘い光をたっぷりと地上に降らせる。星が見たいというイグナシオの、そしてカルロスの魂の叫びは、観客の心の奥にくすぶるもう半ば放棄してしまった叶わぬ夢と重なり、天まで届くのだ。

劇の幕切れ、戯曲では下に記した最後の台詞はカルロスひとりでしゃべることになっている。だが私が観た回の上演では、死んだイグナシオが起き上がり、カルロスとともに演じる。素晴らしい演出だと思う。このシーンのイグナシオの語りの切実さは、長く心に残ると思う。

「・・・・・・いま、星たちが、これ以上にないという輝きをあたり一面に放っていて、目明きの人たちはその素晴らしい光景を楽しんでいるんだ。そうした遠くの世界が、すぐそこのガラス窓の向こうに、存在するんだ・・・・・・(彼の両手が、傷ついた鳥の羽根のようにパタパタ揺れ、不思議なガラスの牢獄をたたく)もし目が見えれば・・・・・・ああ、もし目が見えていれば!」

*台詞は『現代スペイン演劇選集』(水声社)所収の同戯曲(佐竹謙一訳)より抜粋。


theatergoer_review at 22:36│Comments(0)TrackBack(0)

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