2009年11月24日

逆噴射アフターダーク14

逆噴射翻訳文学という試みについて

1.これはイタリア語に翻訳された村上春樹「アフターダーク」を日本語に翻訳したテキストです。
2.イタリア語への翻訳者はアントニエッタ・パストーレさんです。
3.日本語が崩れない限界の範囲まで逐語訳を試みています。
4.句読点もできるかぎりイタリア語の第二原文に忠実に訳します。
5.訳者は日本語の原文を未読で、村上春樹に対する観念や批評を一個人としてできるかぎり捨て去って作業に臨みます。
6.翻訳という表現の限界、文学性の貫通力などを推し量る新たな試みとしてご理解ください。


 若者の顔に困惑の表情が浮かぶ。まるで、本当にそうなのか? と自問しているようだ。何か言おうとして、もう一度考え、そしてやめた。大きく息を吐く。その後、テーブルからオーダーの紙をつかんで、頭の中で計算した。
 「ぼくの分置いていくね。いっしょに払っといてくれる?」
 マリはうなずいた。
 若者は見る。彼女、本。少しためらって、それからこう言った。
 「ねえ、失礼かもしれないけど、何かあったの? 知らないけど、彼氏とうまくいってないとか、親とすごいケンカしたとか…。つまり朝まで一人で外にいなければならない理由がるんじゃ…」。
 マリはメガネをかけ、若者を長いこと上から下までながめまわした。彼らのあいだの沈黙は続き、凍りついた。若者は手を上げて、彼女のほうに手のひらを向けた。いけないことを質問したことを謝るように。
 「明日の朝5時にまた何か食べにくる」。彼は言った。「絶対また腹が減るからね。まだきみがここにいてくれたらいいな」。
 「なんで?」
 「うーん、ぼくもわからない」。
 「私のこと心配してるから?」
 「それも少しはあると思う」。
 「お姉ちゃんと話したいから?」
 「それもほんの少しはあると思う」。
 「私のお姉ちゃんはトロンボーンとトースターの違いもわからないわよ。かけてもいいわ。グッチとプラダの違いなら人目みただけでわかるけどね」。
 「それぞれに自分の戦場がある」。若者は笑いながら言った。それから、コートのポケットから手帳を取り出し、ボールペンで何かを書いた。ページをやぶって女の子にわたす。
 「ぼくの携帯番号。なにかあったら電話して。それで…、きみは携帯持ってる?」
 マリは頭をふった。
 「知ってた」。感嘆するように彼が言った。「ぼくの直感は確かだった。『この女の子は絶対携帯が嫌いだ』って気がしたんだ」。
 そしてトロンボーンをつかんで立ち上がった。皮のコートを着た。彼の顔はまだ笑顔のままだ。
 「じゃあ、またね」。
 マリは無表情にうなずいた。若者がオーダーの紙といっしょにわたしてきた紙切れを、見ることもなく置いた。それから一息ついて、手にあごをのせ、読書を再開した。その場所では、バート・バカラックのApril Foolsのメロディーが小さな音で流れている。

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逆噴射アフターダーク13

逆噴射翻訳文学という試みについて

1.これはイタリア語に翻訳された村上春樹「アフターダーク」を日本語に翻訳したテキストです。
2.イタリア語への翻訳者はアントニエッタ・パストーレさんです。
3.日本語が崩れない限界の範囲まで逐語訳を試みています。
4.句読点もできるかぎりイタリア語の第二原文に忠実に訳します。
5.訳者は日本語の原文を未読で、村上春樹に対する観念や批評を一個人としてできるかぎり捨て去って作業に臨みます。
6.翻訳という表現の限界、文学性の貫通力などを推し量る新たな試みとしてご理解ください。


 「知ってるわ、その曲」マリは言った。
 若者はびっくりしたようだ。
 「知っているの?」
 「なんで、だめなの?」
 若者はティーカップを置いて少し頭をふった。
 「とんでもない、その逆だよ! でも信じられないな。今日という日にFive Spot After Darkを知っている子に出会うなんて…。まあいいか、どっちでも。とにかく、ぼくはそうしてカーティス・フラーに魅了されて、トロンボーンを吹きはじめたんだ。親から金を借りて中古のトロンボーンを買って、学校の吹奏楽部に入った。高校に入ってからはバンドで演奏し始めた。最初はロック・バンドでやっていたんだ。トワー・オブ・パワーみたいな、古くさいやつ。知ってる? パワー・オブ・パワー」。
 マリーは頭をふった。
 「まあいいや。つまり最初はそういうやつをやっていて、今は本当のジャズだけをやってる。ぼくの大学はたいしたことないけど、ジャズ・サークルがあるし、悪くはないんだ」。
 ウェイトレスが近づいてきえ、グラスにまた水を注ごうとした。彼はそれを止めた。時計を見る。
 「時間だ。行かなくちゃ」。
 マリは黙った。(誰もあなたを引き留めていませんよ)、と言いたそうな顔だ。
 「みんなはいっつも遅れてくるけどね」。若者はしゃべり続ける。
 今度もマリは何も言わない。
 「ねえ、きみの姉貴によろしく言っといてくれる?」
 「よろしく言いたいんだったら、なんで電話しないの? 携帯番号は知ってるんでしょ? 私はあなたの名前も知らないのよ。どうやってよろしく言えっていうの…」。
 若者は一瞬考えた。
 「わかった。でも、きみの家に電話して、エリが出てきたとして、なんて言えばいい?」
 「知らないわ。高校いっしょだった友達たちとごはん食べようと思うんだけど、とか。思いついたことを言いなさいよ。何だっていいわ」。
 「話をするのは得意じゃないんだよ、そもそも」。
 「私にはたくさん話したじゃない」。
 「きみには、わからないけど、そうできたんだ」。
 「ああ、『わからないけど』、そうできたのね」。マリは繰り返した。「お姉ちゃんにはそうできないの?」
 「たぶんできない」。
 「どうして? もしかして知的好奇心が行き過ぎちゃったの?」

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逆噴射アフターダーク12

逆噴射翻訳文学という試みについて

1.これはイタリア語に翻訳された村上春樹「アフターダーク」を日本語に翻訳したテキストです。
2.イタリア語への翻訳者はアントニエッタ・パストーレさんです。
3.日本語が崩れない限界の範囲まで逐語訳を試みています。
4.句読点もできるかぎりイタリア語の第二原文に忠実に訳します。
5.訳者は日本語の原文を未読で、村上春樹に対する観念や批評を一個人としてできるかぎり捨て去って作業に臨みます。
6.翻訳という表現の限界、文学性の貫通力などを推し量る新たな試みとしてご理解ください。 


 「確か日吉のほうに住んでなかったっけ?」彼はたずねた。空になった皿はすでに持っていかれている。
 マリはうなずいた。
 「じゃあ、もう終電に乗れない時間だね。タクシーでなら帰れるけど、電車は明日の朝までないよ」。
 「平気よ。知ってたから」。
 「ああ、それならよかった」。
 「あなたにだって電車がないんじゃないの? どこに住んでるか知らないけど」。
 「高円寺に住んでる。でも一人暮らしだし、今晩はリハがあって、明日の朝まで演奏するんだ」。若者は楽器が入った袋の上をコンコンと叩いた。近寄ってきたの犬の頭を軽く叩くみたいに。「もし緊急の場合は、おれの友達の車があるから。ぼくのバンドはここの近くのビルの地下で練習してるから」彼は説明する。「そこならどんなにうるさくしても大丈夫なんだ。誰かが文句を言ってくる心配なんてない。暖房のききは悪い。この時期の寒さだからもちろん快適に過ごせるわけじゃないけどさ。ただで使えるもんだから…」。
 マリは楽器のほうに視線をやった。
 「それ、トロンボーン?」
 「うん。わかるんだ?」彼は驚いてそう答えた。
 「形を見たら、だいたい誰でもわかるんじゃない」。
 「うん。でも、この世の中にはトロンボーンという名前の楽器が存在していることすら知らない女の子がたくさんいるんだよ。そうは言ってもしかたないけどね。ミック・ジャガーやエリック・クラプトンはトロンボーンを吹いてロックスターになったわけじゃないし。ジミ・ヘンドリクスやピート・タウンゼントはステージでトロンボーンを壊したかな? 夢にも思わないね! どいつもこいつもエレキ・ギターを壊してきたんだ。トロンボーンを粉々にしたところで、笑い話で終わってしまう」。
 「じゃあなんであなたはトロンボーンを選んだの?」
 若者はウェイターが持ってきたコーヒーに砂糖を入れて、一口飲んだ。
 「中学のころ、偶然なんだけど、中古レコード屋に行ってジャズのレコードを一枚買ったんだ。タイトルはBlues-ette。すごいむかしの33回転のレコードさ。なんで買ったかはわからない…。思い出せないんだ。人生で初めてジャズを聴いた。とにかくA面の一曲目がFive Spot After Darkだった。最高だった。トロンボーンを吹いてたのはカーティス・フラー。初めてトロンボーンを聴いたんだけど、目からウロコが落ちた。そしてぼくは一人で言ったんだ。これがぼくの楽器だ! トロンボーンとぼく。運命の出会いってわけさ」。
 若者は口を閉じたままFive Spot After Darkの最初の小節を口ずさんだ。


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2009年11月20日

逆噴射アフターダーク11

逆噴射翻訳文学という試みについて

1. これはイタリア語に翻訳された村上春樹「アフターダーク」を日本語に翻訳したテキストです。
2. イタリア語への翻訳者はアントニエッタ・パストーレさんです。
3. 日本語が崩れない限界の範囲まで逐語訳を試みています。
4. 句読点もできるかぎりイタリア語の第二原文に忠実に訳します。
5. 訳者は日本語の原文を未読で、村上春樹に対する観念や批評を一個人としてできるかぎり捨て去って作業に臨みます。
6. 翻訳という表現の限界、文学性の貫通力などを推し量る新たな試みとしてご理解ください。



「神様が言ったとおり、三人の兄弟は浜辺で三つの岩をみつけ、それを前に転がしながら歩き始めた。命令に従ったってわけだ。その岩はとても重くって、上り坂ともなると、岩を転がすのはたいへんな大仕事で、とんでもなく力がいった。最初に口を開いたのはいちばん若い弟だった。『兄ちゃんたち、ぼくはここでストップするよ。浜辺に近いから釣りもできるし、生活するには十分すぎるくらいさ。そんなにこの世界を遠くまで見る必要もないし』。残った二人は前に進んだ。山の中腹に到着すると、真ん中の弟が降参した。『兄ちゃん、おれはここでいいよ。ここにはたくさん果物が生っているし。生活するには十分すぎるくらいさ。そんなにこの世界を遠くまで見る必要もないし』。いちばん上の兄は、坂の上へと、さらに岩を転がし進めた。道はどんどん険しく、狭くなっていくけど、彼はくじけない。かなりのがんばり屋で、世界をできるかぎり遠くまで見てみたいと思った。だから力の限り岩を転がし続けた。何月も飲まず食わずだったけど、岩を高い山の頂上まで持ってくることができた。そこでついにストップして、世界を見渡した。誰よりも遠くまで見渡すことができる。そこが彼の生活する場所だ。草も何も生えていない。一羽の鳥も飛んでいないい。何か飲むには氷か霜をなめるしかない。何か食べるにはコケや地衣植物をかむしかない。でも彼は後悔していなかった。だって世界を眺めながら眠ることができるから。だから今でもハワイのその山の頂上には大きな丸い岩があるんだってさ。はい、お話は終わり」。
 静まりかえった。
 そしてマリが一つ質問してきた。
 「この話には教訓があるの?」
 「二つあるって言えるんじゃないかな。一つは」若者は指を立てた。「人間はみんな違っているということ。たとえ兄弟だとしても。二つ目は」違う指を立てた。「あるものごとを本当に知りたいとおもうなら、それに見合った代償を払わなければならない」。
 「私には弟たちが選択した生活のほうがよっぽど正しく思えるわ」。マリがそうコメントした。
 「ああ、そうだね」。彼はうなずいた。「ハワイまで行って氷をなめてコケを食べるなんて、本当にバカげてるもんね。きみの言うとおり。でも、いちばん上の兄貴はできるだけ大きな世界を見たいと思った。そしてその欲求を押さえつけることができなかったんだ。何にだって払うべき代償がある」。
 「知的好奇にも」。
 「その通り」。
 マリは何か考え込んでいる。彼女の持っている大きな本の上に手をおいている。
 「もしきみが何を読んでいるか、ぼくが行儀よくきいたなら」彼が言った。「答えてくれる? 答えないんじゃない?」
 「答えないと思う」。
 「その本、100キロくらいるんじゃない?」
 マリは黙ってしまった。
 「女の子がカバンに入れてるような、文庫本とはわけが違うね」。
 マリは答えないままだ。彼はあきらめて、食べるのを再開した。今度はチキン・サラダを食べるのに集中して、全部食べ終えてしまった。ゆっくり口をもぐもぐさせて、水をたくさん飲んだ。ウェトレスにもう一度水を注ぐよう言った。そしてパンの最後の一切れを食べた。

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2009年10月20日

逆噴射アフターダーク その10

逆噴射翻訳文学という試みについて

1.これはイタリア語に翻訳された村上春樹「アフターダーク」を日本語に翻訳したテキストです。
2.イタリア語への翻訳者はアントニエッタ・パストーレさんです。
3.日本語が崩れない限界の範囲まで逐語訳を試みています。
4.句読点もできるかぎりイタリア語の第二原文に忠実に訳します。
5.訳者は日本語の原文を未読で、村上春樹に対する観念や批評を一個人としてできるかぎり捨て去って作業に臨みます。
6.翻訳という表現の限界、文学性の貫通力などを推し量る新たな試みとしてご理解ください。


若者は首をふった。
 「なにも質問を投げかけてるってわけじゃないよ。ただ単に頭に浮かんだことを口にしてるだけなんだ。答える必要なんてない。それに何より自分自身にも質問を繰り返しちゃうんだよね」。そう言ってまた食べはじめたかと思ったら、また考えを変えてこう付け足した。「俺には兄弟がいないんだ。だからどんなものなのかなって思ってさ。そういうわけ。兄弟二人、姉妹二人がいつまでいっしょで、いつから違うようになるのかってこと」。
 マリはだまったままだ。若者はテーブルの上の空間をぼーっと眺めている。ナイフとフォークを手に持ったまんま、何か考えごとをしているみたいだ。
 「ハワイの島に流れ着いた三人の兄弟の物語を読んだことがある。伝説さ。とても古い話。子供の頃に読んだからよく覚えてないんだけどさ、話はだいたいこんな感じだった。あるとき、この三人の兄弟が釣りをするために海へと出て行った。嵐にでくわして、長いこと漂流するはめになった。そしてついに無人島にの浜に漂着したってわけ。とても美しい島で、ヤシや果物のなる木が豊かに生えている。そしてその島の真ん中には高い山がそびえ立っていた。その夜三人の兄弟の夢に神様が現れて言った。海岸の少し先に三つの大きな丸岩を見つけるだろう。一人が一つ持って好きなところまで転がしなさい。それが止まった場所が、それぞれが住む場所になることだろう。到達する場所が高ければ高いほど、眺めがよくなるだろう。どこまで行くかは、おまえたちの自由だ」。
 若者は一息ついて、水を一口飲んだ。マリは話を聞いているようにはみえないが、確実に聞いている。
 「ここまでの話いい?」
 マリはかすかにうなずいた。
 「続きききたい? もしおもしろくないんなら、やめてもいいよ」。
 「そんなに時間がかからないなら…」。
 「うん、そんなに長い話じゃないよ。むしろかなり短いんだ」。
 若者はもう一口水を飲んで話を再開した。


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2009年10月02日

逆噴射アフターダーク その9

逆噴射翻訳文学という試みについて

1.これはイタリア語に翻訳された村上春樹「アフターダーク」を日本語に翻訳したテキストです。
2.イタリア語への翻訳者はアントニエッタ・パストーレさんです。
3.日本語が崩れない限界の範囲まで逐語訳を試みています。
4.句読点もできるかぎりイタリア語の第二原文に忠実に訳します。
5.訳者は日本語の原文を未読で、村上春樹に対する観念や批評を一個人としてできるかぎり捨て去って作業に臨みます。
6.翻訳という表現の限界、文学性の貫通力などを推し量る新たな試みとしてご理解ください。
 

 彼は首を振った。
 「なんでもないよ。よくある名前だし…。俺自身も名前を忘れたいときだってある。でも残念なことに自分の名前を忘れるってのは簡単なことじゃない。他人の名前なら、ダメだとしてもすぐに忘れるのにね。」そう言って若者は窓の外に目を向けた。何か不法で自分のものにしてものをさがすみたいに。彼の視線はマリを見据えるのにに戻った。
 「ねえ、不思議だとずっと思ってたんだけど、なんできみの姉貴はあのとき一度も水の中に入らなかったの? すごく暑かったじゃん。すげえプールにいてラッキーだったのに。」
 マリは彼を見つめた。こう言いたそうな雰囲気だ。「そんなこともわからないの?」
 「化粧がとれるのがイヤだったのよ。当然じゃない? それに、ああいう水着って本気で泳ぐためのものじゃないのよ、わかる?」
 「ああ、そう…。」彼が答えた。「きみたちは姉妹だけど、行動がぜんぜん違うんだね。」
 「だって違う人生なんだもの。」
 若者は彼女が言ったばかりの言葉にくってかかった。
「なんで違った人生を歩んでしまうんだろう…。」そしてこう言った。「例えば、きみたち二人を例にすると、同じ両親から生まれて、同じ家で育って、二人とも女の子だ。一体どうして全然違う二つの性格になっちまったのさ? きみたちの道を別つ瞬間があったの? 一人はプールサイドで横たわるさけ。もう一人は体育の水着でずっと水の中にいて休むことなくイルカみたいに泳いでる…。」
 マリは彼の顔を見た。
 「あなたが食べているあいだ、いっぱいのことを言いながらそれを説明しなければならないの?」


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2009年09月15日

逆噴射アフターダーク その8

逆噴射翻訳文学という試みについて

1.これはイタリア語に翻訳された村上春樹「アフターダーク」を日本語に翻訳したテキストです。
2.イタリア語への翻訳者はアントニエッタ・パストーレさんです。
3.日本語が崩れない限界の範囲まで逐語訳を試みています。
4.句読点もできるかぎりイタリア語の第二原文に忠実に訳します。
5.訳者は日本語の原文を未読で、村上春樹に対する観念や批評を一個人としてできるかぎり捨て去って作業に臨みます。
6.翻訳という表現の限界、文学性の貫通力などを推し量る新たな試みとしてご理解ください。

 

 若者は微笑んだ。
 「いや、そうじゃないよ。ただ現在の俺の視点から、当時感じたことを表現しようとしるだけなんだ。きみはとてもかわいかった。いや、本当に。たとえきみがほとんどぼくと話してくれなかったにしてもね。」若者はナイフとフォークを皿の上に置いて、水を一口飲んだ。紙ナプキンで口を拭いた。「泳いでいる途中でエリに聞いたんだぜ。『なんできみの妹は俺に一言も口をきかないの? 俺にイヤなとこがあるのかな?』」
 「彼女はなんて答えたの?」
 「いつもそんな感じだって。自分から進んではほとんどしゃべらないって。少し不思議な子で、母国語の日本語よりも、中国語で話すこともよくあるって言ってた。だから怒らないで。何もイヤなとこなんてないのよだってさ。」
 マリは何も答えない。タバコを灰皿に押し付けて、それを消す。
 「本当に何もイヤなとこなかった?」
 マリは少し考えている。
 「もうよく覚えてないわ。でもないと思う。そんな気がする。」
 「よかった。それがずっと気になってたんだ。俺にはたくさんイヤなとこがあるからさ。でも…なんて言ったらいいのかな? それらは俺の問題で、内面の問題なんだ。誰にでもすぐそれが見えるのなら、本当みじめだよ。とりわけ夏休みのプールサイドなんかではね。」
 マリはもう一度若者の顔を見た。何かを突き止めようとするみたいに。
 「内面に問題があるなんて、私気づいてなかったと思う。」
 「胃から重みがとれたよ。」
 「でもあなたの名前覚えてないの…。」
 「俺の名前?」
 「うん…。」


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2009年08月22日

逆噴射アフターダーク その7

逆噴射翻訳文学という試みについて

1.これはイタリア語に翻訳された村上春樹「アフターダーク」を日本語に翻訳したテキストです。
2.イタリア語への翻訳者はアントニエッタ・パストーレさんです。
3.日本語が崩れない限界の範囲まで逐語訳を試みています。
4.句読点もできるかぎりイタリア語の第二原文に忠実に訳します。
5.訳者は日本語の原文を未読で、村上春樹に対する観念や批評を一個人としてできるかぎり捨て去って作業に臨みます。
6.翻訳という表現の限界、文学性の貫通力などを推し量る新たな試みとしてご理解ください。


 マリは話に興味なさそうだ。
 「確かにきみの姉貴はかわいかったよ」。彼が独り言みたいに付け足した。
 マリは顔を上げた。
 「なんで『かわいかった』って過去形なの?」
 「うーん、だってかなり前に起こったことを話しているから。今はかわいくないって言いたいわけじゃないよ…」。
 「ええ、まだかわいいんじゃないの」。
 「そのほうがいい。まあ実を言うと、エリって子のことはよく知らないんだけどね。高校のころ一年間同じクラスだったけど、ほとんど話したことなんてなかった。彼女は俺なんかと話してくれなかったって言ったほうがいいかな」。
 「でも好きだったんでしょ?」
 若者は動かしていたナイフとフォークをピタリと止めて、上を向いて考えた。
 「好きって言うよりは、知的好奇心が湧いたってところだよ」。
 「知的好奇心?」
 「つまり『アサイ・エリみたいな上玉と一度でもデートできたら、どのような効用が私に起こるのか?』みたいな感じ。だって、雑誌のモデルでもできそうな女じゃないか」。
 「それを知的好奇心って言うの?」
 「ある意味ね…」。
 「でもあのとき彼女とデートしたのはあなたの友達のほうでしょ。あなたはついてきただけじゃない」。
 料理をほおばりながら若者はうなづいた。それから急ぐことなく、十分に時間を使ってもぐもぐ口を動かしている。
 「残念ながら気が弱いんだ、俺。スポットライトの下にいるのはイヤ。脇役で喜んでしまう。添え野菜ってところだよ。キャベツのサラダ、ポテト・フライ。バックでコーラスしてるヤツ…。つまりはそういったところなんだ」。
 「だから彼らはあなたに私をあてがったのね」。
 「そう、でも…。うん、きみもとってもかわいかった」。
 「あはは、ほんと過去形で話すのが好きなのね。変な癖」。


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2009年08月12日

逆噴射アフターダーク その6

逆噴射翻訳文学という試みについて

1.これはイタリア語に翻訳された村上春樹「アフターダーク」を日本語に翻訳したテキストです。
2.イタリア語への翻訳者はアントニエッタ・パストーレさんです。
3.日本語が崩れない限界の範囲まで逐語訳を試みています。
4.句読点もできるかぎりイタリア語の第二原文に忠実に訳します。
5.訳者は日本語の原文を未読で、村上春樹に対する観念や批評を一個人としてできるかぎり捨て去って作業に臨みます。
6.翻訳という表現の限界、文学性の貫通力などを推し量る新たな試みとしてご理解ください。


マリはタバコ一本を取り出しくちびるにくわえ、それに火をつけた。
 「ちょっとごめん」彼が彼女に言った。「何もこの店の売り上げに協力したいわけじゃないけどさ、チキン・サラダを食べないことよりもタバコを吸うことのほうがだいぶ体に悪いと思うよ。同じような問題は山のようにあるだろうけどね。そう思わない?」
 マリは質問を無視した。
 「あのとき、ほんとは違う女の子が来るはずだったの」代わりに彼女は語りはじめた。「でも直前で来れなくなっちゃって。だからお姉ちゃんがわたしを引きずってきたってわけ。数合わせにね」。
 「それで機嫌が悪かったんだ」。
 「でもあなたのこと覚えているわよ」。
 「本当?」
 マリは彼の右ほほを指差した。
 若者は深い傷あとを触った。
 「ああ、これのせいか…。子供の頃、下り坂を自転車で飛ばしてたらさ、カーブを曲がり損ねたんだ。ニセンチ以上、片目も見えなくなった。耳もやられたんだぜ。見たい?」
 マリは眉にシワを寄せて、「イヤ」の合図をした。ウェイトレスがチキン・サラダとトーストを持ってきてテーブルに置いた。ティー・ポットから新しいコーヒーをマリのカップに注いだ。それからオーダーに間違いがないか確認した。若者はナイフとフォークをつかむとガチャガチャと音をたてながら食べはじめた。そしてトーストを手に取るとじっとそれを眺めた。不満があるようだ。
 「カリカリに焼いてくれって何度も言ったのに、一度もその通りに持ってこないんだから。なんでかわかんないな。日本の潔癖さとハイテクノロジーを持ってしても、すべての客を満足させようというチェーン店デニーズのマーケット方針を持ってしても、トーストをあるべき姿に焼き上げることができないなんてありえる? いや、本当。なんて言うのかなあ、あらゆる手段を持ってしてもって感じ? 望まれたようにトーストを焼き上げられない文明なんかに、どんな価値があるんだろう?」



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2009年07月27日

逆噴射アフターダーク その5

逆噴射翻訳文学という試みについて

1.これはイタリア語に翻訳された村上春樹「アフターダーク」を日本語に翻訳したテキストです。
2.イタリア語への翻訳者はアントニエッタ・パストーレさんです。
3.日本語が崩れない限界の範囲まで逐語訳を試みています。
4.句読点もできるかぎりイタリア語の第二原文に忠実に訳します。
5.訳者は日本語の原文を未読で、村上春樹に対する観念や批評を一個人としてできるかぎり捨て去って作業に臨みます。
6.翻訳という表現の限界、文学性の貫通力などを推し量る新たな試みとしてご理解ください。

 ウェイトレスが水を持ってきた。
 「チキン・サラダとカリカリのトースト」若者が注文した。「お願いだよ。カリカリにして」しつこく言っている。「焦げてしまう少し前まで。それとコーヒー一つ」。
 ウェイトレスは手に持っている器具にオーダーを入力し、大きい声でそれを繰り返した。
 「それからここにもコーヒーもう一つ]マリのカップを指差して若者が言った。
 「かしこまりました。すぐお持ちします」。
 若者はウェイトレスが遠ざかっていくのを眺めている。
 「チキンは嫌いなの?」そしてたずねた。
 「ううん、好きよ」マリが答えた。「でも家でしか食べないの。外ではちょっとね」。
 「なんでさ?」
 「チェーンのレストランで使っているチキンってホルモンとかそういったものをいっぱい与えられるんでしょ。早く成長させるために。よくわかんないけど、太らせるために…。暗くて狭い鳥かごに入れられて、体によくないものを注入されて、化学物質でいっぱいのエサで育てられるの。それからベルト・コンベアにのせられて頭をちょん切られるのよ。チョキン、チョキンって。それに羽もむしられるの」。
 「ワオ!」若者が言った。そして笑った。笑うと目の端の皺がより深くなる。「ジョージ・オーウェル風チキン・サラダってわけか!」
 マリは目を薄くして彼の顔を見た。彼がからかっているのかどうなのか、よくわからない。
 「そうなのかもね。それでもここのチキン・サラダは悪くないぜ、本当に」彼は言った。それから彼はその瞬間になってようやく気づいたようにコートを脱いだ。それをたたんで隣のイスの上に置いた。テーブルの上で元気よく手をこすり合わせている。コートの下には緑色の大きなクルーネックのセーターを着ていた。彼の髪の毛といっしょで、セーターのほうもあっちこっちから糸がもつれ出ている。自分の外見はまったく重要じゃないといった感じだ。
 「初めて会ったのはホテルのプールだったね。品川だっけ? 二年前。覚えてる?」
 「まあね…」。
 「俺の友達がいて、きみの姉貴がいて、きみがいた。それから俺がいた。四人だったんだ。俺と友達は大学に入ったばっかでさ。きみはそのとき高二だった。あってる?」
 マリはうなづいた。あまり興味がないみたいだ。
 「あの時俺の友達はきみの姉貴とデキかけててさ…。だから俺をさそって四人で会うってことにしたんだ。どうやってヤツがホテルのプール券を四枚手に入れたかは知らないけどさ。それできみの姉貴がきみを連れてきた。でもきみったら口を開かないんだもんな。ずっとプールに入って泳いでて、調教されたイルカみたいだった。そのあとみんなでホテルのカフェに行ってアイスを食べたっけ。でもきみだけはピーチ・メルバを頼んだんだ」。
 マリは少し眉をひそめた。
 「なんでそんなに細かいことまで覚えているの?」
 「だってピーチ・メルバを食べる女の子とデートしたのは初めてだったから。それにもちろんきみがかわいかったからだよ」。
 マリは興味なさ気に若者をじーっと見た。
 「よく言うわ。あなたずっとお姉ちゃんのこと見てたじゃないの!」
 「あ、そう?」
 マリは黙った。それが彼女の答えだ。
 「うーん、ちょっとはそういうところあったかもしれないなあ」彼は認めた。「多分、彼女がギリギリの際どい水着を着てたからじゃないかな。それはよく覚えている」。



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