いじめを正す為に、いじめをしてはいけないという響子さんの言いたい事はわかる。

ただ、響子さんの「いじめをしてはいけないと正すためにネットいじめをするのは同じことではないのかな」という言葉を個人的に疑問を持った点が一つだけある。
それは、「自分がされて嫌な事は他人にしない」という姿勢と想像力を欠いた人は、おそらくは、実際に自分が同じネットいじめに遭わなければ、自分のしてきた事がどういう事を理解できないだろうという事。

私自身、リアル知人からその特に顕著な例が生路自身だと言われた事があります。
絶版嫌いの原因は、元々の愛着心の強い気質のせいと周りからは言われます。それに加えて、小学生でバーチャルコンソール以前の悪夢を目の当たりにし、自分自身も誹謗中傷・バッシングなどの被害を嘆願の仲間や相手共々、受けた事も原因かと自分では思っています。
文化保存をしたい気持ちより、創作をしたい気持ちを強くするべきだろう。他人に迷惑や被害が及ばない形で、キャラクターや作品などへの愛着心・執着心を満たさないいけない。
そうしないと、生路が問題とされている行為の内「作る側の意思に関係なく作品を永遠に保存すべき」というのを治すのは不可能だ。
私から直せと言われるのだろうが、どうかいじめという形はやめてほしい。私のような障害の難しさを理解しきっている、非難して良いと思わないで欲しい。

武井壮 小山田圭吾の〝因果応報〟教訓に子どもへ訴え「自分と仲間の未来を今、守ろう」》という話もためになる。「身近な誰かを傷付けてしまっているかも?と少しでも感じたなら、今からでも遅くない『今までごめんね』と謝る、そしてもう2度としないと誓おう」「自分が犯した過ちで未来の自分が積み重ねた素晴らしい実績も壊してしまう可能性がある」
今後の法整備次第では、今よりもより重い罰が科される危険性もある。
…例えば、無理に「被害者」の望む償いを飲まされるとか、いじめによって受けた被害を可能な限り回復させる為に「被告」やその関係者各位への損害を度外視した被害者救済がなされるとか……そんな事になるような法整備がされる可能性すら想像しなければならないではないだろうか?