餓鬼とて諸行無常

ここはヒヨっ子が えらそうな事ばかり言い、そんな糞餓鬼が皆様に渇を入れていただく 討論型(?)ブログです。 ここで、新しい事に気付いたり、考えたり、決意したり、ストレス解消してくれれば幸いです。 あと、話題提供も大歓迎ですのでよろしくお願いします。 補足:どんなに昔の記事であっても返事書かせていただくので、気になる題があればコメントして下さい

芸術は健全な人の道

6月に入ったばかりですがもう暑いです・・・気温が40度を超えたところで家のエアコンが壊れて、暑さで脳の機能が低下するのが実感できました。
というわけで1ヶ月ぶりの更新です。


全ての人間が持つ感性というものがあります。それが十人十色という四字熟語の意味することで、同じ世界にすんでいても人によって微妙に見える世界、景色が違ってくるわけです。
そう考えると一人一人の人間が唯一無二であり、それをお釈迦様は天上天下唯我独尊と表現しました。その表現も彼の感性から来るものであり、彼に限らず優れた感性の持ち主たちは自分たちに見える色、人々の見えていないものを言葉や芸術で表します。それが彼らの感性が唯一活躍、表現できる場であり、それらが肉体後の彼ら自身になることを悟っているのです。
芸術家たちが残した作品や言葉、行動は人間の命よりも長生きしてくれます。それを知るが故に彼らは命や欲に捉われず独創に全力を注ぐことができ、偉業を残して笑って死ねるのです。

私は絵とか彫刻のような鑑賞する芸術に疎いというか無知で何も語れることは無いですが、その他を見てもわかることは一流の芸術家というのは完全に白紙からスタートする独創であることです。あらゆる道を切り開いた先駆者と呼ばれる者はいつもとんでもない感性で人を驚かせたし、1%の閃きが先立たなければ、99%のコピー商品になってしまう。露骨になってきた最近の宣伝商法にだまされず、例えば売れ筋の漫画と手塚治を読み比べると理解できると思う。何が先立って何が目的か。

英雄、ナポレオンは言いました。

「私が権力を欲するのは、芸術家としてなのです。」

私はこれを聞いたとき権力者のあるべき姿を感じました。
一流の芸術家は白紙からスタートすると書いたように、彼は今の国というキャンパスを一旦、白紙に考えて、美しい国、社会を創造するためにその上に新しい法を作り、人を動かし、街を賑やかし、土地を肥やし、外敵と戦うのです。
それは全て彼の理想とする世界を創造するのためで、優れた感性は生まれてくる前に世界に既に存在する間違った常識や腐敗、形骸化した古い考えを拒否します。
それらを破壊し、より良いものを創造するのが芸術家の存在証明なのです。


人は何かしらの形で自分を表現したがります。
皆さんも自分をさらに知るという意味でも何か自分にあった芸術活動をしてみてはどうでしょうか。
この文章も同じですが、それらが少しでも他の人に良い影響を与えられたら幸せではないですか?

最後までお付き合いくださり有難うございました。
よろしければご意見、ご感想お待ちしております。

独学と学問

私が初めて触れた学問は日本の学校教育でした。
小学校低学年のときは楽しく勉強していましたが、夏休みの宿題なんかの影響で「何故勉強しなくてはならないのか?」という疑問が湧いてきました。
そこに納得できる答えが見えないと頑固に立ち止まるのが私です。それでも、授業は強制されるので面白くない授業はほかの事をするようになって、あんまり真面目な学生でなくなっていきます。

いつごろか忘れましたが算数のテストで担任に怒られたのを覚えています。内容が基本問題全滅で文章問題全問正解だったので「ふざけてるのか!」と怒られました。
でも、ふざけてる訳も無く、単純に解き方がわからないけれども解こうとした結果で、答えの部分に当てはまりそうな数字を代入してみたり、ここの数字が出たら答えが出せるみたいな遠回りな計算で答えを導き出したりしました。
それに小学生向けの文章問題は幼稚でだいたいの答え推測できる要素がたくさんあったのも覚えています。
しかし、当時の自分は方程式も知らないので言葉で説明できず、歯がゆい思いをしました。
そしてテストで計算式を書くことが必須になり、理不尽な不正解ももらいましたが、今になって思えば、解き方を覚えるのが数学ではなく、知恵の輪のような数式をいったいどうやって解いてやるか頭を悩ませるのが数学ではないか。少し幼いころの私に同情する。皆じゃないけれど、教師が学問や生徒の事を真剣に考えないで生徒の毎時間を粗末にしている。小学生はいったい何を何故学ぶべきなのかわかりやしない。

小学校高学年に入って道徳という科目が出てきて、はじめは興味もありました。教科書は「にんげん」というタイトルで今も覚えています。しかしそれに書かれているのは毎回、毎回人種差別の問題。ときどき戦後の悲痛なストーリーという偏ったもので、道徳とは何か勘違いしてしまいそうな勢いでした。武士道とか神道等はその単語も出てきません。(授業で使う部分を学校側がそこに絞っているのかもしれませんが、確認できかねます)中学でもそんな内容の授業があった時はうんざりして反抗の狸寝入りでした。俺たち(新世代)はそんな馬鹿じゃないと。

そんな感じで自分の周りの学問を冷たい目で軽蔑していました。それよりも狸寝入りして哲学です。何が正しいのか独学で考えるのが一番納得できて、後悔も矛盾もありません。
しかし日本の学校教育が駄目なだけで、学問というのは素晴らしいものです。方程式を覚えるだけで良いのも先人の学問あってこそです。いうなればその偉大な学者たちは人類の学友ですね。
だから私にとって学問は独学の先に来れば「参考」で後にくれば「裏付」です。それ以上でもそれ以下でもありません。

日本の学校教育が未熟なように、学問というものも完全ではないものです。それを頼りにする部分はあっても完全に信用しません。独学の結論だけを信用します。「独学の結論」というものがひとつの私ですから、その私も諸行無常に頭を打ち続けていくのです。

呼んでくださった方々、有難うございます。
ご意見、ご感想お待ちしております。

再開 閉鎖中の日本

書くことがなくなってきて更新を長い間無断で休んでいました。
このブログが止まってだれが迷惑なんだとも思いますが、ネットという公共の場での責任が全く無いとは感じられませんので、ここに謝罪します。

申し訳ありませんでした。

といっても、所詮青二歳のブログですのでこれからは気負わずマイペースで続けて生きたいと思います。


封鎖中に東北で震災が起こりました。もう1年前になってしまいましたが、まずその知らせを聞いて一番自分が悔やんだことは、アメリカに来ると決めた時の選択肢に自衛隊があった事です。任期制の自衛隊に入隊した後にアメリカに来ることもできましたが順序として有利なほうを選んだ結果です。
もうさんざん語られた事でしょうが、政府しだいでは被害をもっと防げたという事がひとつ私の反骨心に火をつけました。
見た目かなり非国民な例えですが仮に地震が起こる1年前から今日まで日本政府がまるまるアメリカ政府であったならば、どれだけ被害が抑えられたか、もっと言いたいのは予防できたかということ。
アメリカの政治、アメリカの国民性も今自分がこちらで学ぶべきものの一つと認識しています。

原発問題に関しては学がないのでなんとも言えませんが、日本の技術力と私の性格から私の意見は「完全な原子力発電所を作る。」です。
今回のことではっきりと私などにもわかったことは原子力発電所は文句無く国の要所、急所であるということ。自分でも馬鹿なことを言っていると思いますが、原発は建築学だけの問題でなく地理学的にも絶好の地点に最優先で位置づける事が先で、後に建築技術があらゆるものを対策して補う。壊れちゃったじゃすまないです。

震災の事に対し石原東京都知事が「天罰だ」と発言し、その発言に怒っていた私の心友も数ヵ月後いろんな事があって自殺してしまいました。
死んだ人を弔うのは美しいことだと感じるけど。自分にはあわないように思います。
私が思うに、死んでしまったらその人の人生は終わる。人生が完結する。もし、その人が生きていたことを知っている人がいたら、死んだ人の人生に意味を与えられる。
死んだ人の事を忘れず、影響を受けてその分強くなることが残された自分のできることで、私が死ぬときも人の記憶に残って支えになることが花や涙などより最高の手向けと感じます。
天罰という言葉も日本人に対してこれを糧に強くなってほしい気持ちの表れでしょう。

今、日本がどういう空気なのか直に感じることはできませんが、いいかげん日本は変わらなくてはならないと思います。
私が生まれる前のことですが、(だから逆にわかるのか)日本人は開国から国際化し異文化が一気に入ってきてテクノロジーの進化とバブルなんかもあって戦争もド忘れして教育も形骸化してもう見ため以上におかしくなってしまっているのではないかと思います。
今の時代の中で人の歩むべき道。例えば道徳とか哲学とかいったものを考え直すべきなんじゃないかと思う。
というかちゃんと憲法自分らで作り直すべき。

呼んでくれた方有難うございます。
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