今日、65歳の友人の家で私にとってとっても興味深いものを見つけました。それは二十年前の雑誌で、アサヒグラフというちょうど昭和天皇がお亡くなりになられた直後の雑誌です。
その中に『「昭和」最後の日』という、その日がどういう一日で、それは人々にとってどういった日だったのかをつづったコラムが記載されており、そこで紹介されている国民の多種多様な意見をいくつか紹介しようと思います。
私の生まれる前の雑誌で非常に興味深く、平成生まれの方は私と同じように自分の生まれる直前の歴史を見るように、昭和生まれの方はその日を振り返るように読んでいただければ幸いです。
このコラムは一月七日午前七時五十五分にラジオ、テレビがいっせいに「崩御」を報じたところから始まります。
千葉県から一人マイカーで皇居前広場に駆けつけた男性(当時39)「去年暮れに子供が生まれました。最後の昭和生まれの子になるか、それとも新しい時代の子になるか。だからニュースはずっと気になっていました。」
台湾からツアーで来た女性(53)「私の兄さん、ニッポンの軍人として死んだ」。そういって激しく泣いた。
そして、十一時大日本愛国党総裁、赤尾 敏氏等が日の丸の旗と「天皇陛下のご冥福をお祈り申し上げます。」
と書いたのぼりを持ってやってきた。警察に「旗を降ろすように」とさえぎられ、「お前ら、田中角栄の番犬やって、中曽根の忠犬ハチ公やって、なぜとめるんだバカヤロー!形式ばっかり言いやがって、腐ってるッ」
ニューヨークの大学の教授で「日本の警察」の著書もあるデビット・ベイリーさん(55)「天皇は終戦後の日本を導いたと思う。優雅と知性ある風貌で世界にいい印象をあたえた。戦争責任?受動的な意味での責任ならあるんじゃないか」
インドネシアの銀行マン「イスラムの世界では、たとえ面識がなくてもお葬式に出るとアラーのご加護がある。だから来ました。そして亡くなった方の悪いところはみんな水に流す。」
イスラエルの観光客3人組は記帳場を指差して「あれは何を待っているんだ。へぇーサインをするのか。しかし、日本人って本当に無表情だな。悲しんでいるのかどうかわかりゃしない。」
朝7時半に神奈川の家を出たという女子中学生2人組「かわいそうだから、おがみにきたの。」
他にもいろんな場所のインタビューが掲載されていて、あるおばあちゃんが孫にこういっていた「いい、昭和は終わったのよ。今度は平成よ。平らに成るって書くの。新しい時代なのよ。」
買い物中の女子高生3人組「病気でかわいそうだった、自分だったらあっさり死んじゃったほうがいいなぁ」
「ずっと続いてた戦争を終わらせたんだから立派だったと思う。」
「元号がかわるとしまっちゃうみたいで、なんかやだなぁ」
東京大学の正門前で弔旗を守る大学職員たちのそばにいた大学3年生2人「天皇の軍隊が日の丸を持ってアジア人を殺しに行った。東大には、そのアジアから留学生がたくさん来ているんですよ!」
「天皇が亡くなっても感想は特にない。それはボクらの生活に天皇が深く溶け込んでないことの証明で、そのほうがいいんじゃないのかなあ」
公園に住んでおられるホームレス暦5年のおじさん「私も戦争に行ったから言うんだが、天皇は責任をとらなすぎた」
そして昭和天皇の死が人々の心に散っていきそれはいろいろな事に影響を及ぼしました。
ディズニーランドは7日から9日の3日間入り口に半旗を掲げ、パレード、ライブショーの中止、BGMも中止遠くから来るお客さんも多いので営業は通常どおり行われたという。
渋谷では午後三時半に「天皇制はいらない」とデモ行進が行われたという。
興奮して紹介しすぎましたが、人によって重要と捕らえるものが違えば、捕らえ方も違うんですね。
身内のこと、昭和天皇の崩御のこと、戦争のこと。
本当に多種多様な意見が掲載されているのに、オブラートに包まずそのまま素直に書いていて素晴らしいと思いました。
昔はメディアの質がもっとよかったんだなあと思ってしまいます。こちらに来る前に日本で見たニュースのプレゼンテーターが思いっきり自分の解釈がプレゼンに入っていて、歯止めを利かせようとしたコメンテーターの質問も耳を貸さずで唖然としたのを覚えています。
もちろん皆が彼のようにひどいわけでなく、それに、プレゼンに自分の解釈を入れないというのも難しいものです。(自分の意見を挟むのはいいですけど)
プレゼンに解釈が入ってしまうとたいがいの人はそのまま信じてしまうので、日常的に考えることをしなくなってしまうんですよね。
そして、私が驚いたのは中学生の女の子が2人で皇居広場前に朝早くからやってきていたことです。今はそんな女の子なかなかいません。さっき私が、日本人の友人にこの本を「とても興味深い本をもらった」といって見せたら「これが?本当に言っているの?」と聞き返されてしまいました。昭和の日本の象徴ですから、祭祀の王ですから、日本人として興味深いと思うんですが、上記の大学生の意見のように私たちの中から天皇とい言うものが重要でなくなってきているのでしょう。上記の大学生の「天皇が亡くなっても感想は特にない。それはボクらの生活に天皇が深く溶け込んでないことの証明で、そのほうがいいんじゃないのかなあ」という意見は一理あるかも知れません。私たちは少し酔いがち、暴走しがちなところがあります。それは妥当な意見かもしれませんが、悲しい意見でもあります。
代々受け継がれてきた我々の家元がなくなってもいいというんですから。
長々とお付き合いくださり有難うございました。
しかし、日本はどうなっていくんでしょうかねぇ・・・
ご意見、ご感想、そのころのエピソードなどもあればお待ちしております。
その中に『「昭和」最後の日』という、その日がどういう一日で、それは人々にとってどういった日だったのかをつづったコラムが記載されており、そこで紹介されている国民の多種多様な意見をいくつか紹介しようと思います。
私の生まれる前の雑誌で非常に興味深く、平成生まれの方は私と同じように自分の生まれる直前の歴史を見るように、昭和生まれの方はその日を振り返るように読んでいただければ幸いです。
このコラムは一月七日午前七時五十五分にラジオ、テレビがいっせいに「崩御」を報じたところから始まります。
千葉県から一人マイカーで皇居前広場に駆けつけた男性(当時39)「去年暮れに子供が生まれました。最後の昭和生まれの子になるか、それとも新しい時代の子になるか。だからニュースはずっと気になっていました。」
台湾からツアーで来た女性(53)「私の兄さん、ニッポンの軍人として死んだ」。そういって激しく泣いた。
そして、十一時大日本愛国党総裁、赤尾 敏氏等が日の丸の旗と「天皇陛下のご冥福をお祈り申し上げます。」
と書いたのぼりを持ってやってきた。警察に「旗を降ろすように」とさえぎられ、「お前ら、田中角栄の番犬やって、中曽根の忠犬ハチ公やって、なぜとめるんだバカヤロー!形式ばっかり言いやがって、腐ってるッ」
ニューヨークの大学の教授で「日本の警察」の著書もあるデビット・ベイリーさん(55)「天皇は終戦後の日本を導いたと思う。優雅と知性ある風貌で世界にいい印象をあたえた。戦争責任?受動的な意味での責任ならあるんじゃないか」
インドネシアの銀行マン「イスラムの世界では、たとえ面識がなくてもお葬式に出るとアラーのご加護がある。だから来ました。そして亡くなった方の悪いところはみんな水に流す。」
イスラエルの観光客3人組は記帳場を指差して「あれは何を待っているんだ。へぇーサインをするのか。しかし、日本人って本当に無表情だな。悲しんでいるのかどうかわかりゃしない。」
朝7時半に神奈川の家を出たという女子中学生2人組「かわいそうだから、おがみにきたの。」
他にもいろんな場所のインタビューが掲載されていて、あるおばあちゃんが孫にこういっていた「いい、昭和は終わったのよ。今度は平成よ。平らに成るって書くの。新しい時代なのよ。」
買い物中の女子高生3人組「病気でかわいそうだった、自分だったらあっさり死んじゃったほうがいいなぁ」
「ずっと続いてた戦争を終わらせたんだから立派だったと思う。」
「元号がかわるとしまっちゃうみたいで、なんかやだなぁ」
東京大学の正門前で弔旗を守る大学職員たちのそばにいた大学3年生2人「天皇の軍隊が日の丸を持ってアジア人を殺しに行った。東大には、そのアジアから留学生がたくさん来ているんですよ!」
「天皇が亡くなっても感想は特にない。それはボクらの生活に天皇が深く溶け込んでないことの証明で、そのほうがいいんじゃないのかなあ」
公園に住んでおられるホームレス暦5年のおじさん「私も戦争に行ったから言うんだが、天皇は責任をとらなすぎた」
そして昭和天皇の死が人々の心に散っていきそれはいろいろな事に影響を及ぼしました。
ディズニーランドは7日から9日の3日間入り口に半旗を掲げ、パレード、ライブショーの中止、BGMも中止遠くから来るお客さんも多いので営業は通常どおり行われたという。
渋谷では午後三時半に「天皇制はいらない」とデモ行進が行われたという。
興奮して紹介しすぎましたが、人によって重要と捕らえるものが違えば、捕らえ方も違うんですね。
身内のこと、昭和天皇の崩御のこと、戦争のこと。
本当に多種多様な意見が掲載されているのに、オブラートに包まずそのまま素直に書いていて素晴らしいと思いました。
昔はメディアの質がもっとよかったんだなあと思ってしまいます。こちらに来る前に日本で見たニュースのプレゼンテーターが思いっきり自分の解釈がプレゼンに入っていて、歯止めを利かせようとしたコメンテーターの質問も耳を貸さずで唖然としたのを覚えています。
もちろん皆が彼のようにひどいわけでなく、それに、プレゼンに自分の解釈を入れないというのも難しいものです。(自分の意見を挟むのはいいですけど)
プレゼンに解釈が入ってしまうとたいがいの人はそのまま信じてしまうので、日常的に考えることをしなくなってしまうんですよね。
そして、私が驚いたのは中学生の女の子が2人で皇居広場前に朝早くからやってきていたことです。今はそんな女の子なかなかいません。さっき私が、日本人の友人にこの本を「とても興味深い本をもらった」といって見せたら「これが?本当に言っているの?」と聞き返されてしまいました。昭和の日本の象徴ですから、祭祀の王ですから、日本人として興味深いと思うんですが、上記の大学生の意見のように私たちの中から天皇とい言うものが重要でなくなってきているのでしょう。上記の大学生の「天皇が亡くなっても感想は特にない。それはボクらの生活に天皇が深く溶け込んでないことの証明で、そのほうがいいんじゃないのかなあ」という意見は一理あるかも知れません。私たちは少し酔いがち、暴走しがちなところがあります。それは妥当な意見かもしれませんが、悲しい意見でもあります。
代々受け継がれてきた我々の家元がなくなってもいいというんですから。
長々とお付き合いくださり有難うございました。
しかし、日本はどうなっていくんでしょうかねぇ・・・
ご意見、ご感想、そのころのエピソードなどもあればお待ちしております。