2018年01月13日

華ひらく

スパゲティを茹でる。 ボコボコ塩湯の中で踊っている麺が一瞬ふわと躍る瞬間、ここしかないとばかりに湯から揚げた一皿は小麦の香ばしさが噛むたびに広がる。 パンに入れる胡桃を煎るときだってそう、ジワジワと色づいた途端ふわと香りのエラン。 今日の平目の置き具合、鯖のしめ具合、赤身の包丁の入れ具合と、他に客がいないときに旦那とのやりとりで、寿司屋の味が育ち、華が開くのを感じる。 住むところにしても、ゆたかさがある人が普段そばにいるならば、そこに華は開いている。 
華がひらいているか?あなたの再生装置も。 真っ青な空の下で酸っぱさがはじけて「ヒャーッ」と真っ赤な果汁を飲むほどの音の華、むせかえる淫靡な匂いの漂う弦楽合奏の華、ピアノの単音に思いがけない音の色、ヴァイオリンに誘惑と気高さの一筋。 今夜も音の華を聴けたらと、レコードに針を入れる。 情の深さに体が動いたり、歯切れの良さにこころが弾み、水紋が拡がる静けさに感じ入る。 
そりゃ音の華を開かせるために、ネジをゆるめたり、抵抗を交換したり、その他いぢれるところはすべていぢる。 アナログは何処か一か所がうまくいけば音の華は開いてくれる。他の個所がうまくいくともっと開いてくれる。 そんな時、音楽が噴きこぼれるのを感じるきっかけができる。

今朝はリュシアン・ラヴァイヨットが吹くラロを聴く。 フルートがひそやかに蕩けるように流れる。 矜持は保たれ、ぬめらかな弱音で流れていくさま、フルートが葦笛に変容して靄がかったところに強いちからで連れていかれるようだ。 歌くちにたっぷりと息は吹きこまれるけれど、音はあくまで静かでとろりと足元にまで伸びてくる。 1958年、パリオペラ座のティンパニ奏者パセロンが亡くなった。 悼んで仲間の団員が一本づつ花を献げるように、ソロで一曲づつ吹き込んだレコード(VEGA C30S244) が知られている。 ラヴァイオットをはじめジャメのハープは優しく、エティエンヌのクラリネットはヒョウキンながら目は笑っていない、メルケルのパガニーニには翼が生え天国に届きそうだし、マルシェシニのヴィオロンセロは黄泉の白鳥をベタに泳がせている・・・。 
以前書いた通り、このごろは自宅でモノーラルを小音量で聴くようになった。 トランスを通して電気臭い音で聴くか、それともダイレクトでヴォリュームを大きく回してノイズ承知で聴くか、このごろはノイズがあるけどダイレクトで聴いている。 音そのものが素で、伝わってくるものがあるから。 こうしてオペラ座の奏者たちが音楽の裏にあるものを濃やかな芸で聴かせてくれる。 また、違う音の華が開いた。

先週、フランスの友人が召されたと知らせがきた。 50そこそこだった。 このレコードをゆっくりとした英語で紹介してくれた彼の顔、よく憶えている。 


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