2017年06月26日

東海道線刈谷駅

昭和三十一年六月二十四日の朝、大検校宮城道夫は死神の迎えを受けて東京牛込中町の自宅に目をさました。・・・ という書き出しで短編は始まる。・・・ この日にあった出来事、朝起きて関西交響楽団と協演する「越天楽による箏変奏曲」の練習、静養、庭散歩で過ごし、夕食の卓につき、お酒を楽しむ。 琴爪の手入れをしたが気に入ったように中中できない。 7時半、家を出ようとした宮城は、その支度に立ち上がった前後から機嫌が悪くなる。 気象に敏感な彼だから初夏の晩のこと、どこかに雷が鳴っていたせいかもしれない、とはたの者は思った。 筆頭の高弟牧瀬喜代子が手引きして家を出る、いつもは必ず見送る夫人がどうしても起つことが出来ず臥せている。 列車は八時三十分東京発十三両編成列車急行「銀河」である。 一号車二等寝台に落ち着き『手洗いに行くときは起こしてくださいよ」と云う喜代子を寝かせカーテンを閉める。 寝台灯が消えたなか、魔法瓶には二合足らずの酒が入っている。 夜が更けそろそろ寝ようか、と思う前、暗闇の寝台のなか手酌で一献する、すでに夕飯で下地は出来ているから酔いは早い。 宮城は、手洗いまで通路を一人でたどり、開けるドアを誤り、空に手を出すような恰好をした。車室の出入り口だった。 すかさず「なにか」に腕を引かれ大検校は疾走する列車から空を切って転落する。 
上り貨物列車運転手から、三河線ガード下に轢死体発見の報が入り、最寄りの駅から出た捜索隊は暗がりに白い浴衣姿が横たわっているのを発見、慌てて担架を取りに駅に一旦引き返し、現場に戻る。 と、死体は無い。 気味悪く二手に分かれて線路を伝うと、ランプの光の先に白い浴衣の男が膝を抱えて座っている。「や、生きている」と叫んで駆け寄ると、その白い物が、「どこかへ連れて行ってください」と口を利いた。 
死神や、白い浴衣を使い、読者を引き込んで、連れまわしていく、運び込まれた病院で看護婦が呼吸を見るために鼻に垂らした糸が動かなくなるまで。 

列車転落事故の悲報は書けば一行で足りる。 RIMG0169一行で済ませずに彼の周りにあった重苦しい空気をぼんやりと克明に描き進む作者の技量には驚かされる。 宮城という大検校の謙虚な一生、高貴な人柄、慕う人々、が浮き彫りにされていく。 

読んで10日は経つのに、頭から離れない。 邸内に録音室をつくる普請が始まっていたこと、何度も借家を引っ越してやっと落ち着く家が手に入ったこと、東京駅の赤帽一同がお悔みを送ったこと、寒い晩は腹の上に置いた点字の紙をなぞれば布団から手を出さずに八犬伝を読める、最後の晩の東京駅の見送りは一人だけで「そうか、一人だけか」と寂しく言ったこと、

頭から離れないレコードもある。 鍵盤上の一閃、スピーカとスピーカの間に横たわる左手の低音の水槽、ヴァイオリニストが指板を抑える加減、綾なす倍音が絡み合って散る銀のきらめき、オーケストラからモクモクと上がる響きのエラン、響きの変わり際にあらわれる虹、演奏家が動く気配と情緒、言葉では表しきれない音の数々。演奏会でも聞くことができない音があったりする。再生される音が清んでいれば、透けてその先に何があるかを感じ取ることができる、視覚に邪魔されることなく。 目に見えない音のなにかを、取り出すか取り逃すかでは、LP片面同じ十数分間なのに、違いは大きい。 ある事故死を新聞記事一行で済ますか、短編を読んでしばらく頭から離れないことになるか、くらいに。 レコードには空恐ろしいほどの音楽は刻まれている。

担架の大検校は尋ねた「ここはどこですか」「刈谷ですよ」と答えると、「名古屋はすぐですね」と云った。 東海道線刈谷駅では一日に二十二回列車が停車した。 そのたびに彼の箏曲がホームに流れるようになった。 近くに供養塔も立てられた。


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