2008年10月31日

STIL のプロデューサー

bonne chauffeurあの日は朝早くノルマンディのコレクターの家でレコードを選び、彼のお嬢さんにパリまで送ってもらった。 ジヴェルニィに近い彼の家から、ブージヴァル、アルジャントゥユと印象派ゆかりの地を過ぎていく。 ノルマンディ、僕は好きだ。 もっと先にはルーアン、ドーヴィル、オンフレールが、もっと先にはシェルブール、そしてサン・マロ、ディナールへと続く。 そして午後遅く、パリである人物に会った。 彼の名はアラン・ヴィラン。 長身の老人で、しきりに水でのどを潤しながら、鼻眼鏡の顔を近づけて熱心に話し続けるインテリジェントでディフィカルトなフランス人だ。 最初は用心深く、言葉を選んでいた彼も、僕が彼の品定めに合格したらしく、あたりが暗くなるまで、いろいろな話を聞かせてくれた。 彼はフランスのマイナーレーベルSTILでプロデューサーであり、マネージャーでもあった。 このレーベルにある辛口な口当たりは、おそらく彼の個性から来るものだったに違いない。 もちろん、シャトー・ダサスで一連のスコット・ロス録音を指揮したのは彼だ。 毎年夏に一ヶ月ほどシャトーに滞在して、録音作業に耽る。 演奏家はご存知のとおり、風変わりな性格の持ち主だから、録音の予定などもちろん立てられない。 外に散歩に行ったきり帰ってこなかったり、屋根に上って空を眺めていたり、録音は進行に困難を極めたそうだ。 そこでの生活は十八世紀の匂いがプンプンする様式で、ナイフやフォークも城主の厚意で、見たことも無いかたちの古い食器で朝食が供されたそうだ。 スコット・ロス カナダから来たクラヴサニストはそういう日常生活にだんだん侵されていって、演奏スタイルは微妙に変化していった、と彼は回顧していた。 左の写真はクープラン全集表紙である。 ここに彼一流のヒネリを利かせている。 よおく見て欲しい、写真中央下、台の上にあるはずのクラヴサンが消えているのだ。 録音現場は神秘的な空間だったらしい。 
アランは、STILが提携関係にあったTELEFUNKENの工場にもたびたび出張していた。 パリから汽車でハンブルクに行く。 駅にはテレフンケンの車が待っていて、ノルトルフの工場へ向かった。 ヌヴー ブラームス車中、運転手は彼のために録音しておいたカセットを再生した。 『きのうのラヂオ放送を録音しておいたんだが、誰だかわかるかい?』と馴染みの運転手はアランに謎をかけた。 ブラームスのコンチェルトだった。 最初の楽章が終わるころ『ジネット・ヌヴーかい?』と探りを入れた。 『ビンゴ! そのとおり!』 アランは曲を最後まで聴き終えて、これをLP化することを思いついた。 出来上がった一枚は運転手に贈られた。 予想外にヒットだったそうだ。 何故STILが例外的に古いモノラル録音をLPにして発売したのか、やっとわかった。 写真はLP裏面で、アランがライナーノートを書いている。 
alain villain彼がアラン・ヴィランである。
他にもいろいろ楽しい話が聞けたが、最後にバッハの一組のことを書いておく。 それは1990年にパトリック・ビスムスというフランスのヴァイオリニストがSTILに録音した無伴奏ヴァイオリンソナタ全曲である。 アナログ録音だったが、すでにCDの時代になってしまったため、この演奏はCDでのみ発売された。 しかし、市場にほとんど出回らずに終わった。 それが口惜しく、今年になってマスターテープからLPを製作したのが、下の写真である。 彼がマスターテープを大切に保管していたのが理解できるほどの、ユニークな演奏であり、素晴らしい音質である。 極限られたプレス数のため、300ユーロという高価で販売している。 バッハの無伴奏愛好家には貴重な録音に違いない。Bach STIL

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