2009年06月20日

摂氏39度の再生音

例えば、散歩から帰って、新聞を持ち込み長湯するのが、朝の快楽のしめくくりだ。 浴室は心地よいに越したことはないが、外の光や風景が見えると、温泉に入っているようで気が晴れる。 そして新聞を後ろからめくっていく。 大新聞は字が大きいから、読む気になれない。 週間子供新聞みたいだ。 報道や文化欄にふさわしい、かちりとした字の大きさで印刷している新聞は、やっぱり読むところが一杯ある。 そんなこんなで、長い時間を風呂で過ごすことになるが、大切なのは、外の光、つまり開放感と湯の温度である。 この国には『湯加減』という言葉さえあるし、無数にある温泉の泉質をみんなが云々する文化まで持ち合わせている。 

『ラ・ボエーム』イタリア・コロムビアのセットを聴く。 スイスの国境に近い小さな町のコレクターから入手したカラスの全曲盤だ。 カートンを開けると50年前の新品レコードの香りが広がる。 手が切れそうなレコードに針を下ろす。 イタリア盤独特の、イタリア女の蓮っ葉ぽさ、テノールのスケベ度などがダイレクトに再生されるから、スピーカーがちょっととまどっている。 関西風に言えば『やらしい』空気が充満している。 それに声の肌と質感が、ちょうどいい音加減。 声の魅力、情が声に乗せられて伝わる感じ、これがイタリア盤の泉質ならぬ音質なのだ。 それをちょうどいい音加減できく。 今、僕の装置は数年間試行してきたコントロールアンプの入力感度を最適にする最終ステージにある。 湯加減にたとえるならば、入力感度が高い=湯が熱い 入力感度が低い=湯がぬるい。 単純に言えば、入力感度が高いと10分ほどは迫力があり響きも前に出るのでいいのだが、すぐに聴き飽き、音が乾いて五月蝿く感じている。 音が熱過ぎ。 これを低音が出るから、迫力があるからと我慢して聞いている人は本当におおい。 それをだんだん音の入力感度をぬるくしていくと、音に真実が、音楽に情感が、音場に甘い静けさが、そして音が芯とふくらみのある立体となる、いわゆる『いい音加減』になるところを見つけ出すのだ。 それがやっと、かなり近いところまで旅してきて感じになっているから、つい、こうして書いてしまった。 今出ている音は快楽であり、イタリア盤の魔である。 たしかに英33CX盤も素晴らしい。 もう、今、レコードの趣味の世界は、どちらがいい、という時代は超えて、それぞれの良さを愛でる時代に来ている。 英33CXのスカラの舞台は三人称であり、伊33QCXのカラスは一人称でこころのたけを伝えてくる。


33QCX SCALA














ぬるい音は同じ回転数でもゆっくりに感じる。 お料理やお風呂だけでなく、音楽にちょうどいい加減の温度にしないと、身体はよろこばない。 音は空気を伝わってくる、その空気を味方にしないと。 長いこと入力感度を調整してきたが、実は調整されたのは装置ではなく、耳と聴覚神経ではなかったか。 ミミが恋人に『アッディオ・・』と未練交じりにぼそりと歌う。 
また唸ってしまった。 
いい音加減なので、肩までつかる。


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