TD124のレストア職人魂
最近ビンテージオーディオ界でやたら職人が持て囃されており、やれ匠の技であるとか、職人仕事であるとか、かびすましいかぎりです。 職人とひとくくりに言われても各業種で異なっており、ひとくくりにすることはできません。 私の知る限り、現代の職人は自ら職人であるなどとはあまり思っていません。 ただ職人としての価値が求められる時にのみ職人として振舞っているにすぎないのです。 およそ職人は、実際の現場で物づくりの前後にこそ存在する事柄であるからです。 それは現場において加工すべき物と人が向き合った場合、職人という自覚は作業において邪魔になるだけだからです。 真に物と向き合う時、その物体と個人しか存在せず他の何物も介在する事は出来ないのです。 一般の方々の職人に対するイメージとしては、わがまま、自分勝手、自己主張の強い、きまぐれ、へんくつ等々があると思いますが、それは事実でもあります。 しかしそれは作業が始まるまでで、実際物と向き合った場合それらはすべて消えてしまいます。 そうでなければ物は作れないし、正直でなければならないのです。 もし作業において何らかの妥協や嘘があったなら、出来あがった製品はそのままそれを反映させたものとなり良い評価を得ることはできません。 何より仲間内の評価で何だ、あんなものしか作れないのかなどと言われかねません。 もし職人魂があるとしたら、正直という事以外何もないのです。 職人を語るなら、職人魂の他にもう一つ語らねばならない事があります。 それは職人根性と言うもので、それは、ねたみ、そねみ、社交性の欠落等で、一般の人たちと何ら変わらないのですが、職人というカテゴリーの中では別の意味を持ちます。つまり職人魂で作られたものは本質的に正直ですが、職人根性で作られたものは、ねたみ、そねみ等が混入され、本来職人の持つ正直さとは根本において異なります。 ユーザーの皆様にはビンテージ機器購入時に、それが職人魂で作られたものか、自らの自尊心を満足させるため職人根性で作られたものかを見極めるのが重要です。 最近気付いたのですが、オーディオ業界のなかでもビンテージ部門では、職人魂など必要ないと思います。 それは偏屈、わがまま、自尊心の高さなどを製品に反映された場合、再生音において大変バランスの悪い偏った音になる危険があるからです。 ビンテージ部門の機器修理、レストアでは、むしろ社会常識を持ち社交性のある人こそ、適正なのではと考えるようになりました。 偏った思想からは偏った製品が生まれがちであり、そのような製品をユーザーが使用したら、ユーザー自らの心理的バランス自体がおかしくなってしまいます。 さてビンテージ業界では、職人は固有の技を持って一般の方々からある種の尊敬を勝ち得ていますが、他の職種では、その社会的地位は大変低いのが現状です。 それは国内の職人などの成り立ちと関係があり、オーディオとは何ら関係は無いのですが、知っておいても損は無くこれによりビンテージ業界における職人的な思想については、正しい知識を得る事が出来ると思います。 職人という職種が固定した形で表れるのは、江戸時代の元禄辺りで、世は太平の時代、日本人にもかなり増加してきています。 武士は家督を長男が継ぎ、女性は他家に嫁に行く事となります。 町人も同様で商人の場合も、やはり長男が店を継ぐことになります。 農民も基本的に長男が路を継ぐ事になります。しかし次男、三男はどうするのか?商人の場合他に店を持たせるという事が出来、農民においても畑を切り開いて、次男、三男に譲るという事もできたでしょう。 しかしすべてそう上手く行くとは限らず、出店や新畑を切り開くにも限界があります。武士にあっても次男くらいは商家に婿に入るという手もありますが、三男四男となると難しいところがあります。これらのいわば行き場のない人々はどうやって生活して行くかと言うと職人になるのです。つまり食いっぱぐれた者たちが職人となり生活して行くのです。 これらの人々は自分の望みにより職業を選びますが、中には望まなくても渋々職業に就かざるを得ない場合もあります。 これは職人という職業が無くてはならないというものではなく、社会において余剰的な存在であったことを意味し、この様なあり方が現在の職人の地位の低さの表れとしてあるのです。 つまりいつでも切り捨てられる存在であるわけです。この事は今日、中小企業等の保護に国があまり注意を払わない理由の根源では、と私は思っています。職人が現在どの様な立場にあるかと言うと、建築関係者の間では怪我と弁当は自分持ちと言うことわざがありますが、それは社会から孤立した存在であること意味します。 社会にあって社会の外にいるというのが職人なのです。それゆえニッカポッカを穿いて、地面にヤンキー座りをしてビールを飲んでいても、何のおとがめを受けないのは、社会の人々が職人とはそのようなものであると思っているからです。しかしながらこのような立場は、社会的にあまり制約を受けないという利点もあり、本当の事を本当に言っても構わないという事であり、何しろ職人の言う事だからと許されてしまうのです。 ちょっと言い過ぎでは?何構う事はありません。こちらは天下の職人で社会に属していないので、言わせてもらいます。 ユーザーから、あなたの言っている事は正しい等のお便りもいただきます。 しかし私としてはTD124のレストアに関しては、職人的な要素は限定されるべきであり、それは作業工程にのみ発揮されるべきであると考えています。 その理由は以前TD124の EMPORIUMに対しての文章で、EMPORIUMは接続される機器に対して統率力をもってあたる旨が述べられていますが、この考えからするとレストアする本人は、EMPORIUMに対して絶対的な統率力を持たねばならないという事を意味しています。 それは職人としての在り方とは根本的に異なったものであり、職人の道にあっては、分をわきまえるという不文律もあるからです。 つまり職人である限り全権統率権を持つ事は本質的にあり得ないのです。 そのような領域に踏み込んだなら、それは職人としてではなく、プロデューサーとしての立場を持たなければならないからです。 この事はTD124のレストアでは職人的な要素に対して否というのは、この様な理由によります。 私がTD124のレストアにかかわらず、今のビンテージのレストア等においても重要な事柄であり、職人仕事で終わっていてはそれだけの音しか出てきません。職人魂を超えたプロデュース力がなくては、今のビンテージオーディオは懐かしの機器に過ぎず、ただ現行品とは異なったある種の特殊な機械に過ぎない存在となってしまいます。 そのような事があってはユーザーに対して真に魅力ある製品をプレゼンする事は出来ず、今のユーザーの欲求に答える事は出来ないと思います。 私としてはビンテージのレストアを行う方には職人気質を持ってほしいとは思いませんし、かえって本質を損ねかねないと考えています。 皆様には、職人の技等の言葉に惑わされてはなりません。 オーディオは達人も名人も必要なし、職人技等表面に出してはいけない事でまっとうな職人は、自分を職人などとは思っていないからです。 レストアにおいては職人より、技術者かプロデューサーが必要なのです。
以上T氏
以上T氏