オレのガマンもこれまでだ 第二章その捌
ヴィンテージオーディオ機器の状態表示
ヴィンテージオーディオ機器の状態についての表示には、さまざまなものがあり、販売者側はそれなりの査定を行ない、機器の状態表示をしています。 表示がユーザー側に必ずしも正しく伝わっているとは思いません。 そのため、様々なトラブルが発生し、結果的にはユーザー側が我慢してしまうことになりがちです。 誤解が起こる原因は、販売者側とユーザー側との間で、ヴィンテージ機器の状態の評価が定まっていないからです。 表示には不動品、現状、調整済み、レストア済み、完全レストア済み等がありますが、不動品とは、パーツ取り、又はユーザーが直すか、上手くすれば動く状態を指しており、現状の場合は、輸入されたか下取りされたもので、いずれも簡単な動作テストを行って、動く動かないの二種類に分けられます。 従って、不動品と現状の間は大変曖昧で、この様な製品を買う場合、ユーザー側はご自分の所有する機器のスペアパーツ取りか、業者に頼んでレストアすることになります。 現状と現状渡しは少し意味が異なり、現状とだけ表記の時は、場合によって販売者側がレストアを請け負うという意味も含まれていることもあります。 しかし現状渡しと表記の場合は、その言葉通り買われた方がいかにするかは、販売者側には関係なく、状態のいかんに関わらず今の状態のままユーザー側に譲り渡すと言うのが前提です。 問題は調整済みですが、私には本当の所調整済みという意味が判りません。 ヴィンテージオーディオ機器は発売から既に40〜60年程経っており、調整で動くなどとは考えられないからです。 これはどうやら動く程度にしてあると解釈すべきですが、ユーザー側は調整済みだから大丈夫だと思って、平気で使い続けると1〜3カ月位で不調に陥り、どうしようもなく騙されたと思ってしまいがちです。 これは販売者側のサービスと考えた方が良いと思います。 動作している期間だけは、その機器の音の一貫をユーザーも知ることが出来るからで、音のあらましが例え不完全でも、その音が何かしらのものをユーザーに与え、それによりユーザーは本格的なレストアを行うか、止めるか判断できます。 だから執行猶予付きであると考えるべきです。 レストア済の場合は、果たしてどの程度修理してあるのかは、販売者側の良心が頼りで、ユーザー側としては果たしてレストア済と表記されていても、実態は判りません。 販売者側も同じで、何しろ完全な状態の製品の音を聴いたことがなく、販売価格に応じた程度の音であれば良しとするしかありません。 完全レストア済みと表記の製品も同様ですが、そもそも完全という表記自体が何を指すか、ユーザー側には理解することが難しいと思われます。 それは製品のオリジナル性が大切で、完全と謳うからには、ヴィンテージ品の場合はオリジナルに準じたという、但し書きがつくからです。 このオリジナル性において、誰も新製品であった頃の音は聴いたことが無いのであれば、完全の意味とは何であるか考えずにはおれません。 この様なレストアを行う人の中には、新製品として発売されたばかりの時代の再生音を聴いた人がいるのかも知れません。 しかしその確率は極めて低く、ほとんどゼロに近いと思います。 その理由として、ヴィンテージといわれる製品は、作られてから40〜60年、仮に1960年として、その時代の音を今も覚えている人がどれだけいるか、さらに人間の寿命という事も考慮に入れれば、1960年の時20才であれば今は70才ということになる。 70才で50年前の製品の音を覚えており、さらにその人がレストアに関わっている確率を考えれば、結果は明らかです。 完全レストアとは、製品の能力をおしはかった上で得ることができる予測に基づいたものと言えます。 平たく言えば修理する人がこの位の音が出ればと思った場合が、完全フルレストアの条件です。 リビルトにおいて、良心と言ったのは、この様な場合を想定してのことです。 そしてレストアにおける製品の発売時の音を誰も聴いたことがなく、オリジナリティという点の不明確さ、再創造、リビルトという思想が重要な意味を持ってくるのです。 そういうお前も、TD124の発売時の音を聴いてはいないのに、その音質の是非を言うのはどうか、と思われるはずです。 確かに私自身も知りません。 ただ知らないと言うより、全く知らなかったというのが正確でしょう。 しかし、TD124を知らなかったことによって、今日までレストアをしてこられたのです。 TD124もガラード301、レコカット、コニサー等のアイドラー型レコードプレイヤーフォノモーターが、オーディオにおいて恐らく唯一の機械仕掛けで動くものです。 原理的に車や、日頃使っている電動工具達と基本的には同じ働きがそのまま形となって出てくるタイプで、形を見れば働きそのものがダイレクトに理解できるからです。 レストアにおいて、働きと構造を探っていけば、不具合が何によって発生するかを探り出すことが出来ます。 さらにレコードプレイヤーフォノモーターの働きと構造の原因因子とは、公理的法則に則ったものであり、不具合の発生とは公理的法則が歪められたり、断ち切られたりすることにより起こることです。 私の記述する文章が、理屈っぽく、特には恐ろしくくどくなるのは、この公理に基づいているからで、公理とは理屈そのもので、それを踏まえて記述すれば、当然理屈っぽくなってしまいます。 この理屈がアンプリファイアーやスピーカーユニットとなると、話は違ってきます。 この二つは、レコードプレイヤーフォノモーターと違う形からその働きを知ることができにくい代物で、アンプリファイアーは電子部品の集合体であり、スピーカーユニットは電気製品であり、その働きは、合理性だけでは解決できない様々なノウハウが隠されており、一筋縄ではいきません。 レコードプレイヤーフォノモーターにおける合理的な法則で働くものがアナログオーディオにはもう二つあり、その一つはスピーカーエンクロージャー、構造図自体がすべてを表しており、図面を見ればどのような目的を持って作られたか、一目瞭然でそれを読み取れば、スピーカーユニット自体の基本特性も理解できるのです。 もう一つはレコードプレイヤーキャビネット、スピーカーエンクロージャーやプレイヤーキャビネットを制作するのは、何よりこの合理性に則って作れば、必ず良い結果が得られやすいという特性によるのです。 しかし構造の示す所により、レストアを行えば済むと言うものではありません。 それはレコードプレイヤーフォノモーター自体が、何より良質な音楽再生を目指して作られたものであり、レストアの主目的はここにあるのです。 たとえ機械的に完全に定回転で動作し、異音もノイズも無いとしても、肝心の音楽が出てこなくては何の意味も無いのです。 このことは何もレコードプレイヤーフォノモーターだけではなく、すべてのヴィンテージ機器のレストアにおいても同じなのです。 ここで考えなければならないのは、良質な音楽再生と言ってもかなり漠然としたものであり、レストアにおいて目標が定まらず、曖昧になり兼ねません。 明確な目標が必要で、それが無くてはレストアを行うに当たり目指すものがありません。 そこで考えたのは、音楽の普遍性に根ざして考える方法で、例えばベートーヴェンやモーツァルトは世界中の多くの国で演奏され聴かれていますが、必ずしもすべて同じではありません。 その国その国によって、演奏スタイルも解釈も違います。 それでもベートーヴェンはベートーヴェンであり、モーツァルトはモーツァルトです。 国や人種が異なっても、ベートーヴェンやモーツァルトがそれらしく聴こえるのは、共通の普遍性を音楽が持っているからです。 ここに的を絞ってレストアすれば、多少の差こそあれ、音楽の本質を損なうことが無いはずです。 これは方位磁石計の針が振れながらも、最後には北を指すと同様であり、オーディオ機器のレストアも最終到達地は音楽的には北辰によることになります。 レストアとその完結としてのリビルトは、この音楽の北辰に向かって全方向からチャレンジするべきものであると私は思っています。 ここまで述べたことは、レストアする側の問題や心得の理想とすべきもので、一般ユーザーには本来あまり関係が無く必要のない事柄です。 関係のないことを何故あえて私が述べたか、それは一見ユーザー側には無関係であると思われる事柄でも、知ると知らないのでは、求めようとするオーディオ機器の評価が相当違ってくるからであり、ユーザー側が知っているとなれば、今後の我国のヴィンテージ機器の市場が今よりずっと健全なものになってきます。 ユーザー側が健全となれば、販売する側も健全でなければならなくなり、結果として未来のヴィンテージオーディオ市場は良いものは良いとし、それなりのものはそれなりに自然に市場におけるポジションが定まってきます。それによってヴィンテージオーディオ市場は、今よりずっとコンシューマーが住みやすい世界になってくるはずです。 つづく
以上 T氏
ヴィンテージオーディオ機器の状態についての表示には、さまざまなものがあり、販売者側はそれなりの査定を行ない、機器の状態表示をしています。 表示がユーザー側に必ずしも正しく伝わっているとは思いません。 そのため、様々なトラブルが発生し、結果的にはユーザー側が我慢してしまうことになりがちです。 誤解が起こる原因は、販売者側とユーザー側との間で、ヴィンテージ機器の状態の評価が定まっていないからです。 表示には不動品、現状、調整済み、レストア済み、完全レストア済み等がありますが、不動品とは、パーツ取り、又はユーザーが直すか、上手くすれば動く状態を指しており、現状の場合は、輸入されたか下取りされたもので、いずれも簡単な動作テストを行って、動く動かないの二種類に分けられます。 従って、不動品と現状の間は大変曖昧で、この様な製品を買う場合、ユーザー側はご自分の所有する機器のスペアパーツ取りか、業者に頼んでレストアすることになります。 現状と現状渡しは少し意味が異なり、現状とだけ表記の時は、場合によって販売者側がレストアを請け負うという意味も含まれていることもあります。 しかし現状渡しと表記の場合は、その言葉通り買われた方がいかにするかは、販売者側には関係なく、状態のいかんに関わらず今の状態のままユーザー側に譲り渡すと言うのが前提です。 問題は調整済みですが、私には本当の所調整済みという意味が判りません。 ヴィンテージオーディオ機器は発売から既に40〜60年程経っており、調整で動くなどとは考えられないからです。 これはどうやら動く程度にしてあると解釈すべきですが、ユーザー側は調整済みだから大丈夫だと思って、平気で使い続けると1〜3カ月位で不調に陥り、どうしようもなく騙されたと思ってしまいがちです。 これは販売者側のサービスと考えた方が良いと思います。 動作している期間だけは、その機器の音の一貫をユーザーも知ることが出来るからで、音のあらましが例え不完全でも、その音が何かしらのものをユーザーに与え、それによりユーザーは本格的なレストアを行うか、止めるか判断できます。 だから執行猶予付きであると考えるべきです。 レストア済の場合は、果たしてどの程度修理してあるのかは、販売者側の良心が頼りで、ユーザー側としては果たしてレストア済と表記されていても、実態は判りません。 販売者側も同じで、何しろ完全な状態の製品の音を聴いたことがなく、販売価格に応じた程度の音であれば良しとするしかありません。 完全レストア済みと表記の製品も同様ですが、そもそも完全という表記自体が何を指すか、ユーザー側には理解することが難しいと思われます。 それは製品のオリジナル性が大切で、完全と謳うからには、ヴィンテージ品の場合はオリジナルに準じたという、但し書きがつくからです。 このオリジナル性において、誰も新製品であった頃の音は聴いたことが無いのであれば、完全の意味とは何であるか考えずにはおれません。 この様なレストアを行う人の中には、新製品として発売されたばかりの時代の再生音を聴いた人がいるのかも知れません。 しかしその確率は極めて低く、ほとんどゼロに近いと思います。 その理由として、ヴィンテージといわれる製品は、作られてから40〜60年、仮に1960年として、その時代の音を今も覚えている人がどれだけいるか、さらに人間の寿命という事も考慮に入れれば、1960年の時20才であれば今は70才ということになる。 70才で50年前の製品の音を覚えており、さらにその人がレストアに関わっている確率を考えれば、結果は明らかです。 完全レストアとは、製品の能力をおしはかった上で得ることができる予測に基づいたものと言えます。 平たく言えば修理する人がこの位の音が出ればと思った場合が、完全フルレストアの条件です。 リビルトにおいて、良心と言ったのは、この様な場合を想定してのことです。 そしてレストアにおける製品の発売時の音を誰も聴いたことがなく、オリジナリティという点の不明確さ、再創造、リビルトという思想が重要な意味を持ってくるのです。 そういうお前も、TD124の発売時の音を聴いてはいないのに、その音質の是非を言うのはどうか、と思われるはずです。 確かに私自身も知りません。 ただ知らないと言うより、全く知らなかったというのが正確でしょう。 しかし、TD124を知らなかったことによって、今日までレストアをしてこられたのです。 TD124もガラード301、レコカット、コニサー等のアイドラー型レコードプレイヤーフォノモーターが、オーディオにおいて恐らく唯一の機械仕掛けで動くものです。 原理的に車や、日頃使っている電動工具達と基本的には同じ働きがそのまま形となって出てくるタイプで、形を見れば働きそのものがダイレクトに理解できるからです。 レストアにおいて、働きと構造を探っていけば、不具合が何によって発生するかを探り出すことが出来ます。 さらにレコードプレイヤーフォノモーターの働きと構造の原因因子とは、公理的法則に則ったものであり、不具合の発生とは公理的法則が歪められたり、断ち切られたりすることにより起こることです。 私の記述する文章が、理屈っぽく、特には恐ろしくくどくなるのは、この公理に基づいているからで、公理とは理屈そのもので、それを踏まえて記述すれば、当然理屈っぽくなってしまいます。 この理屈がアンプリファイアーやスピーカーユニットとなると、話は違ってきます。 この二つは、レコードプレイヤーフォノモーターと違う形からその働きを知ることができにくい代物で、アンプリファイアーは電子部品の集合体であり、スピーカーユニットは電気製品であり、その働きは、合理性だけでは解決できない様々なノウハウが隠されており、一筋縄ではいきません。 レコードプレイヤーフォノモーターにおける合理的な法則で働くものがアナログオーディオにはもう二つあり、その一つはスピーカーエンクロージャー、構造図自体がすべてを表しており、図面を見ればどのような目的を持って作られたか、一目瞭然でそれを読み取れば、スピーカーユニット自体の基本特性も理解できるのです。 もう一つはレコードプレイヤーキャビネット、スピーカーエンクロージャーやプレイヤーキャビネットを制作するのは、何よりこの合理性に則って作れば、必ず良い結果が得られやすいという特性によるのです。 しかし構造の示す所により、レストアを行えば済むと言うものではありません。 それはレコードプレイヤーフォノモーター自体が、何より良質な音楽再生を目指して作られたものであり、レストアの主目的はここにあるのです。 たとえ機械的に完全に定回転で動作し、異音もノイズも無いとしても、肝心の音楽が出てこなくては何の意味も無いのです。 このことは何もレコードプレイヤーフォノモーターだけではなく、すべてのヴィンテージ機器のレストアにおいても同じなのです。 ここで考えなければならないのは、良質な音楽再生と言ってもかなり漠然としたものであり、レストアにおいて目標が定まらず、曖昧になり兼ねません。 明確な目標が必要で、それが無くてはレストアを行うに当たり目指すものがありません。 そこで考えたのは、音楽の普遍性に根ざして考える方法で、例えばベートーヴェンやモーツァルトは世界中の多くの国で演奏され聴かれていますが、必ずしもすべて同じではありません。 その国その国によって、演奏スタイルも解釈も違います。 それでもベートーヴェンはベートーヴェンであり、モーツァルトはモーツァルトです。 国や人種が異なっても、ベートーヴェンやモーツァルトがそれらしく聴こえるのは、共通の普遍性を音楽が持っているからです。 ここに的を絞ってレストアすれば、多少の差こそあれ、音楽の本質を損なうことが無いはずです。 これは方位磁石計の針が振れながらも、最後には北を指すと同様であり、オーディオ機器のレストアも最終到達地は音楽的には北辰によることになります。 レストアとその完結としてのリビルトは、この音楽の北辰に向かって全方向からチャレンジするべきものであると私は思っています。 ここまで述べたことは、レストアする側の問題や心得の理想とすべきもので、一般ユーザーには本来あまり関係が無く必要のない事柄です。 関係のないことを何故あえて私が述べたか、それは一見ユーザー側には無関係であると思われる事柄でも、知ると知らないのでは、求めようとするオーディオ機器の評価が相当違ってくるからであり、ユーザー側が知っているとなれば、今後の我国のヴィンテージ機器の市場が今よりずっと健全なものになってきます。 ユーザー側が健全となれば、販売する側も健全でなければならなくなり、結果として未来のヴィンテージオーディオ市場は良いものは良いとし、それなりのものはそれなりに自然に市場におけるポジションが定まってきます。それによってヴィンテージオーディオ市場は、今よりずっとコンシューマーが住みやすい世界になってくるはずです。 つづく
以上 T氏