2012年12月30日

ゲルハルト・ボッセに聞く

5年前の夏、縁あって高槻のお宅を訪ねた。 目的は所蔵するレコードを譲り受けるためだった。 

「午前中に京都に出かけて用を済ませて高槻に帰り、昼過ぎに部屋を出た。 エレベーターで10回まで降りた。 見晴らしの良い廊下から名神高速が見え、その向こうに青々とした山々が暑い空気を背負っている。 XXX号室のベルを鳴らす。 5小節の全休符のあと、ドアが静かに開いた。 タカの目をした外国の老人が手を差し出した。 少し強めに握手をした。 縁あって、ゲルハルト・ボッセさんの自宅にうかがった。 ドイツ人独特のきれいに整った部屋で、奥様と二人、棲んでおられる。 チェコの現代画家の絵や小さなタピスリーが架けられた壁の反対側に、樗牛の舞妓や志功の木版が並ぶ。 勧められた民芸風の木の椅子。 楽譜が奇麗に敷き詰められた床の一部。 八月の演奏会に備えて、ベートーヴェンの4番と6番の譜と聞いた。 奥様が話しに加わり、ドイツ語を同時通訳してくれるおかげで、会話は劇的にスムーズに進んだ。 ボッセさんは今85歳。 脳梗塞を十数年前に発症し、奥様の献身的な介護で回復した。 東独時代87キロあった体重が、30キロ痩せたそうだ。 恰幅の良かったヴァイオリニスト時代の写真からは想像できないほど、痩身である。 奥様が作る和食のおかげだと言った目がすこし笑った。 ヴァイオリンは肘の故障で弾けなくなった。 『チェロはこうだからいいが、ヴァイオリンはこうだよ。 たまったものじゃない。』 と楽器を弾く姿勢をとった。 それだけであたりの空気は音楽的だ。 あっ、芸術家だ、この人は。 と、思った。 愛用のヴァイオリンは、ザンクト・セラフィンというイタリアの銘器。 音楽家一家に生まれ、父は自分のオーケストラを持っていた、と古い写真を見せてくれた。 学生時代は、ダンスホールで弾き、当時の流行歌手ヨハネス・ペーターと一緒に演奏したそうだ。 大戦中はリンツ・ブルックナー管の若いメンバー。 アルト・アム・ゼーで終戦を迎える。 1946年6月まで、楽団は給料をくれた。 米軍が進駐してきて、安全が確認されると、山中に隠れていた団員がぞろぞろ出てきたと愉快そうに語った。 1946年3月に、音楽学校の教授となり、教育とオーケストラ団員と室内楽活動に力を注ぐ。 印象に残る指揮者は、カパスタ(後に自殺)、シューリヒト、カラヤン、クナッパーツブッシュ、フルトヴェングラーときて、一番はアーベントロートとはっきりと答えてくれた。 思い出に残る演奏会は、コンヴィチュニー時代のゲヴァントハウス、アラウと共演したベートーヴェン ピアノ協奏曲4番5番、同じころ、初めてオイストラフと共演した演奏会。 1946年か7年、ワイマール時代に西ベルリンへ交歓演奏会で招かれたとき、捕虜から帰還したばかりのディースカウが歌った4つの厳粛な歌など。 録音時のヴァイオリン配置について聞く。 コンヴィチュニーと録音したベートーヴェン交響曲全集は左右に分けた曲と、分けなかった曲があった。 アーベントロートは必ず左右配置にした。 ノイマンとマズアは分けず、ブロムシュテットは分けた。 録音するレパートリーは文化省とVEB(書籍レコード公社)が協議した上で、ドレスデン/ゲヴァントハウス/ベルリン・シュターツカペレと3つの主力オーケストラに割りふった。 印象に残る演奏は、ベートーヴェン 弦楽四重奏曲作品18全曲、エルベンたちと録音したピアノ三重奏曲、シェシー・ノーマンが歌った4つの最後の歌のモルゲンでつけたオブリガード。 ノイマンが振った ハイドン シンフォニア・コンチェルタンテ。 それからライプツィヒ放送響時代のアーベントロートが振った一連の録音。 『お茶を飲んで、少し休みましょう』 ライプツィヒの大きな自宅の写真や、九州での楽しかった思い出など、奥様を交えて話が弾んだ。 『私は、満足していない』 と射るような目線を放って、シリアスなお話のつづきは始まった。 4番6番と3番5番との関連について、ベートーヴェンの話だ。 『君が素晴らしい絵を前にしたとき、見えないものまで感じたことはないかね?』 (ホーラ、オイデナスッタ) ボッセさんは4番の序奏部をしずかに、しずかに歌い始めた。 『暗い中から輝きを増す光。 そういう空気を内側から照らす何かをオーケストラから引き出したいのだよ。』 更に6番冒頭の有名な主題を歌った。 『ハイリゲンシュタットの小川というけれど、小川だけではない、木々、小鳥たち、風、すべてがまわりにあり、そうした空気に自分が入っていける。 これが大切なんだよ。 僕が考えているのは、ベートーヴェンの黄金期といわれる時代の作品群は、それぞれのつながりがとても重要になってくる。 もちろんそれを指揮するのは簡単だ。 しかし、経験からそれをしっかりと語りきるのは、少々難しい。』 教授然としたマエストロの表情は熱を帯びていた。 『満足してはいない。 皆は私を伝説の人あつかいしているが、まだまだ私は進化している。』 最後にボッセさんの探し物について。 来日時にゲヴァントハウス四重奏団が、ティアック社に録音した、ベートーヴェン作品74「ハープ」のレコードまたはテープを、今一度聞きたいとのこと。 音源を貸してくださる方がいたら、是非知らせて欲しいとのこと。 彼は楽譜とにらめっこに戻り、僕は彼の愛蔵盤を譲り受けた。 今回のリストには、彼がサインしたレコードも載せている。 始めに縁あって、ボッセさんと会えたと書いたが、実は、彼は家人のお母さんと同じマンションの住人。 偶然というより、これはやっぱり縁だ。」 と、グレイリストNo.65 (2007年)に書いた。

ゲヴァンとハウスの楽器の配置についても言及していたので、付け加えておく。
コンヴィチュニーの場合、左から、第1・第2ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ
しかしベートーヴェン交響曲全集録音時は第1・第2ヴァイオリンは左右に分けられていた。
ノイマンとマズアは通常の第1第2ヴァイオリンが並ぶ配置、
ブロムシュテットは左右に分けた。
個人的には、「もちろん、分けないほうが演奏しやすい」 と仰った。

あの時、無理を言って数十枚のレコードにサインをしていただき、それをグレイのレコードリストで販売した。
そのレコードを持っている方々には、これからも大切にして聴いて欲しい。

ことばが途絶えたとき。音楽が始まる (フンボルト)

冥福をお祈りする。



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