2013年08月25日

オーディオシステム構築のヒント

想定外の普通の音
グレイのサウンドポリシーはざっくり言えば平凡な音です。 ここにスピーカが鳴っていますと言った音の出し方はしません。 空間を励起し、漣のように聴き手の心に迫ってもらえば良いのです。 オーディオ機器の販売(商品としては)あまり有効なやり方ではないでしょう。 商品である以上自分の存在を主張し聴き手にアピールをしなければ買ってもらえません。 そうした音はメジャーな現行商品に任せておけばよいと考えています。 一聴平凡と思われる音というのは本来オーディオ機器が持っていてしかるべきだと思うのです。 それはシアター系の音について思いを巡らせば直ちに理解出来ます。 もし俳優の働きに関係なくスピーカが自己主張をしたらどうなるでしょう。 答えは歴然としています。 ホームユースの場合も同じことで良質な再生というのは、スピーカの存在があってなきがごとく働くことが大切です。 シアター系で当たり前のことがホームユースオーディオでは当たり前ではありませんでした。 スピーカの前から動けない人がいまだにたくさんいます。 何のためのステレオでしょうか、信号の拡張の効果、長所がないがしろにされています。 このような聴き方はグレイに来られるほとんどのお客様がまずスピーカの前に座り、なるべくスピーカの周りの空気の影響を受けないように、音をダイレクトに聴こうとするのを見てもわかります。 空気を恐れているようにも見えます。 グレイでは空気を味方にしようとしています。 空気がなければ音は出ません。 ですからグレイで聴く音自体は平凡に属するものになると思っています。 お客様の感想は違います。 アナログからこんな音が出るのかと。 ところが方々が感激される音そのものは、われわれが常日頃聴いている再生音で特別なものではなく、時には中の下くらいの場合もあったりします。 それでも良いんだそうです。 こうしたケースに出会う今日、行われているアナログ再生の在り方についてどうしても考えざるを得ません。 この道何十年という方がこのくらいの音で満足してしまうことが、です。 オーディオシステムの構築について多くの方が何か勘違いしているところがあり、せっかく良い装置を所有していても生かしきれていないのではないか。 プログラムソースと再生の間に大きな段差があり、そのため上手くいかないのではないか。 そこを書いてみます。

ハーモニクスからたどるオーディオシステム
日頃愛用されているオーディオシステムの能力を知るため、ご自分だけのテストレコードをお持ちになっている方は多いと思います。 新しいカートリッヂを買った時アンプを変えた時、取って置きのお気に入りのレコードをかけて聴いてみる。 どう変わったかを確認し、それをもって製品の良し悪しを決める。 どの位低音が出るか、高域が伸びているかによって判断を下すというのが大方のところでしょう。 もう一歩進んで、肝心のプログラムソースそのものの本質とハーモニクスの成り立ちを聴覚してみてはいかがでしょう。 音楽にあるハーモニクスは根幹に属するものであり、音楽そのものでもあります。 従ってオーディオシステムの構築にあたり、プログラムソースのハーモニクスの成り立ちを考えに入れなければならないのは当然で、音そのものから知るのではなくハーモニクス的発想で迫るのもシステム構築法のひとつです。 代表的なものとしてジャズ・コンボとクラシックのオーケストラものについて書いてみます。 ジャズ再生にあたり知っておかなければならないのは、クラシックのオーケストラ物のような複雑で多量なハーモニクスはジャズ再生には必要ないということ。 もっと言えば、ジャズ再生はクラシックのような深く伸びて行く低音の響きは邪魔になります。 音同士の分離がどうしても悪くなり、それが過ぎると音と音の残響が大きすぎて邪魔になります。 音同士の分離が悪くなるからです。 従ってジャズ再生にあってはクラシックのような深くのびる低音が出ないスピーカが望ましいのです。 ある程度の量は必要ですが、あくまで量を伴った性質ではなく性格に属するたぐいのものです。 ジャズ再生はスピーカーユニットの性格が大きな意味を持っています。 たとえば、JBLを使っている方はよく15インチウーファーをダブルで使っていることがありますが、これを英国のホームユース向けのユニットを使って同じことをしたら、低音はガバガバになり収拾がつかなくなります。 これが意味する所は、アメリカのユニットは意識して低音の伸びを押さえている傾向があります。 それはあくまで聴覚的なもので物理特性的には20Hzくらいまで平気で出てはいます。 それにもかかわらず、なぜ15インチウーファーダブルでかぶらないか、それはアメリカ人が求める低音はあくまではっきり聴こえなければならないからです。 聴こえる低音とは、低音が出ていないということになる、本当の低音は聴こえないからです。 しかし物理特性的には出ているのです。 低音域のローエンドからボトムエンドにかけての伸びを抑制すると、伸びに対する低音域のスピード感が少しにぶることにより、音に芯が出来、結果強固な塊として聴き手に知覚される。 ローエンドの少し上に低音として通常のリスナーが認識するハーモニクス、直接音(主音)と間接音(残響音)の厚みのある低域層が形成される。 聴き手はその層からローエンドにおける低音の量を推し量ることが出来る。 こうしてジャズ再生を基にチューニングされたJBLやアルテック等でそのままクラシック音楽を再生すると低音部のローエンドへの沈下が起こらないため常に何か耳に詰め物をされているような感じの音になります。 これらのスピーカがPA系の流れをくむものであることがさらに拍車をかける。 それを補うのはアンプリファイアのパワーしかありません。 結果、ハーモニクスよりも音のボディそのものが明確に再生されるスピーカシステムが好まれるのです。 一方低音が伸びるスピーカ、英国のホームユース用スピーカでジャズ再生を行うとなると、低音ガバガバでキレのない音になりがちです。 しかし低音が伸びるからこそゆたかで潤いあるハーモニクスが醸成され、構成する音のラインのそれぞれに意味が持たされることにより、聴き手は音楽に動かされていくのです。 自然なハーモニクスがもたらす低音から高音域までの音の積み重ねに豊かな音楽的増幅を再生音に意識できるようになれば深英国製スピーカシステムはこの上ない快楽というか快感をもたらします。 例外はタンノイのオートグラフであり、このスピーカシステムは見かけに寄らず本当の低音が出ない。 何しろ15インチデュアルコンセントリックユニット自体が本々PA系のものだからです。 従ってオートグラフであっても、ジャズ再生がいけてしまうというのはこのような理由によるのです。 ここまで低音部におけるジャズとクラシックにおけるハーモニクスのあり方を示してきましたが、再生音全体ではどうでしょう。 ジャズ再生で目指すべきはチャーハンみたいなハーモニクスです。 パラパラが基本です。 音と音がぺったりくっ付いたジャズ再生ほど不快なものはありません。 対してヨーロッパ特に英国の音は煮込み料理に例えることが出来ます。 スープと貝が一体となっている。 これではジャズの再生はまず無理でしょう。 無理とはなから諦めていてはスピーカ以外のオーディオ機器は何のためにあるのか判りません。 つまりジャズ向き、クラシック向きに作られたスピーカであってもそれ以外の機器で何とかする、これが本来のオーディオです。 意識していただきたいのは、スピーカの本質の基本にある品格です。 オーディオ機器の構築にあたり、初めと終わりに出てくるもので初めの段階では俗に言われる相性が出てきます。 終わりの段階では音楽そのもののクオリティといったもので表出されます。 後者にぶち当たると問題は厄介です。 というのはヴィンテージ時代に製作された深英国仕様のスピーカはジャズをゲスな音楽と蹴飛ばしてしまう。 幸いなことにそこまでのクオリティに到達できる人はまず我国には存在しませんでした。 そこまでスピーカを導けるレコードプレイヤがなかったからです。 ガラード301ではまず無理です。 途中で音を放り投げてしまうからです。 音をしっかり最後まで放さないレコードプレイヤTD124の中のいくつか、あるいはコニサークラフツマンがそれに該当します。 アンプリファイアについて少し書きましょう。 プリ部の可変を司るフォノイコライザは入力信号の質に反応します。 信号の質が問われ、カートリッヂの力が大きな意味を持ってきます。 それゆえカートリッヂ選びには苦労します。 これはプリ部の可変力にマッチするカートリッヂを見つけ出す行為にほかなりません。 安易に相性云々と捉えていては、いつまでたっても同じことの繰り返しです。 まず試したいことはカートリッヂに対するプリ部の反応力の働き方です。 反応力が限定されたプログラムソースにだけ働くか、あるいは音楽全般に及ぶかを注意深く観察しなければ良い結果は得られないからです。 とは言ってもプログラムソース別に千変万化する再生音からカートリッヂとプリ部の働き方を知覚するのは容易なことではありません。 そこで品格を選択の基準にします。 オーディオ装置における変容し続ける再生音、あの曲のあの個所は良いが次はダメといったことは往々にしてあります。 音そのものだけ(低音、高音の出方)で判断し続けるとそういうことになる。 品格というものはそのようなものではなく、ある時は音の中にあるいは音と音の間に霧のように存在するものです。 曖昧ではあるが時としては明確な形となって現われる事があります。 その瞬間をとらえて判断を下せば迷いは起きません。 それがユーザ自身の感性を磨くことにもなるのです。 オーディオにおける絶対感覚が自覚される時、あなたのオーディオシステムが真の完成に近づくことでもあるのです。 最後に繰り返しになりますが、フォノモータがなければレコード再生は始まりません。 必要不可欠なものです。 音楽信号の送り手であるカートリッヂのパートナとしてです。 その選択となると、どうしてもアームとの音色や音楽性の適応といったものが出てきます。 それによってレコードプレイヤ部を構築、選別するにあたり、どれを主役に据えるか迷うことになります。 カートリッヂ?アーム?フォノモータ? 答えはフォノモータです。 理由は単純明快、アームやカートリッジは変えられますが、フォノモータはおいそれとは変えられません。 さらにカートリッヂやアームの種類とフォノモータの種類、どちらが多いかを考えればおのずから結論が導き出されます。 以上T氏

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2013年08月

2013年08月01日