2013年10月24日

やるせなき低音

あの装置は低音がよく出ていた。 という印象のシステムは思い出してみると低音のことしかなく、他に何の感興もないことがほとんど。 RIMG0477要するに肝心の音楽に快楽の音が出なかったのだ。 一体に高度成長期からオーディオにいそしんでいる愛好家たちはなぜか良い再生装置の絶対条件として低音をあげる。 低音さえ出ていればその装置は良い。 なかには低音の出しっこ比べをして勝った負けたと大の大人が得意がっている。 訪ねたほうにしても、低音が良く出ていますねと言っておけば、誉めたことになるからこんな便利な単語はない。 音楽に触れているという感性がないと、オーディオに求めるのは低音になってしまうのだろう。 確かに低音はだれにでもわかるのだから。

ウィグモアホールでショパンを聴いた。 演奏家は若くそこそこだったが、心動く時がずいぶんあった。 ホールのアクースティックにある快楽の潤いだった。 RIMG0481響きの美しさ、タッチのこの上ないピュアな爆発音、包み込まれる空気の震え。 演奏の彫りのあまさを補ってあまりある素晴らしい音色のつらなり。 パリのNの装置の水準が飛躍的に伸びたのは、彼が快楽の音を追求し始めたからに他ならない。 潤いの或る音色と響きがこれからどんどんすくい取れるようになるはずだ。 出てくる音楽から予期もしなかった快楽の音が次から次へと連なっていけば、そりゃレコードを聴いて飽きることはない。 このホールにしても、いつも予期しない美味しい音が聴けるから、わざわざ行ってみる気にもなる。

パリのD一家に夕食に招かれて、本当にうまい鴨を食した。 それは我が国の筑前煮に似て味がしみこんでいるのだけれど、フランスで無ければ出ない味の深さだった。 デセルも秀逸だった。 カシスのソースをバットの中に満たし水泳プールさながらの深さにバヴァロワが沈んでいる。 そういう料理を出してくれたところに、僕は失敗を犯してしまった。 僕はその晩のためにワインを1本ぶら下げていった。 鴨料理で皆が盛り上がったときに、そのワインを奥さんが所望した。 一同6人がそのワインで乾杯した。 一口飲んで、居合わせた皆は明らかに、料理に相応しいワインでないことを悟った。 すかさず奥さんは他のワインを『口直し』に皆に注いで事なきを得た。 僕がもっていったのは国内では評判の甲州のワインだ。 今日本は、ちょっと自画自賛の気がある。 確かにいい国だけれど、まだまだのところもあるのを、ちゃんと見なくてはいけないと、猛省した。 甲州の皆さん、もっともっと励んで欲しい。 日本料理に合うからそれでいいではないか、では通用しないと思う。 

RIMG0486ロンドンでは緑色に塗られた小屋をあちこちに見かける。 タクシーの運転手のカフェ。 この小屋は広い車道の真ん中にあるからタクシーは混雑時でも堂々と縦列駐車。もちろん車を掻き分けていけば一般の人も利用できる。 馬車の時代から続いていると、聞いた。
 





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