2015年06月14日

SME3009S2 Stereophonic tonearm 2

1950年代に入ると、スケールモデルの製作を離れ、航空機や工業機械に特化したより精密な部品の製造にSMEは変化していきます。 社長アラステア・エイクマンは自身の趣味でもあった再生装置を向上させようといろいろと試行錯誤を重ねていました。 その中で優れたピックアップアームが無い限り、満足に値する再生音は得られないという結論に至ります。 「ある日工具管理の担当者に言ったんだ。 『アルミニウムのパイプはないかい?』 それがすべての始まりだった。 半年ほどでプロトタイプを完成させた私はグラモフォン誌テクニカル部編集者パーシィ・ウィルソンとコンタクトを取り、意見を請うた。 彼は親切にもオクスフォードの自宅に私を招き、丁寧な助言を与えてくれた。 それがきっかけで英国オーディオ界で知られたPWコネクションの仲間に入れてもらったんです。 私はソーホー地区に行き、ウエッブ・ラヂオ店のピッカードを訪ねた。 プロトタイプを見せると彼は72台欲しいと言ってきた。 当時25ポンドもするトーンアームをだよ。 パーシィの試算では年間1,000台見当だった。 それが彼が工場に来た時には、月1,000台製造していたんで驚いていたよ。』 こうして1959年9月、SME3009と3012は世に送り出されました。 オーディオマニアには評判を呼び、瞬く間に注文しても4か月待たされる状態になったそうです。 その後も順調に生産台数は増えていきます。 ステレオレコードの普及にともない、次々と新しいステレオカートリッヂが登場したのが一番の理由です。 多くの紹介記事には、エイクマンがオルトフォンSPUをもっと良い音質で聴きたいからトーンアームを自作した、とありますが、それはきわめて疑問です。 オルトフォンのプラスティック製GシェルにはSMEバッヂが埋め込まれたものがあるのを見てお分かりのとおり、両社が技術提携して販路を拡大しようとしていたのは明らかです。 RIMG0102 おそらく両者を結びつけたのはPWコネクションだったと思われます。 以上はあくまでも私の妄想にすぎません。 たしかにプラスティック製の蓋のあった初期SPU-Gでしたら、SME3009を使用しても効果が上がったかもしれません。 しかし、その後の蓋なしのSPU-G(日本ではオーディオニクス以降)とSMEとでは目指す音質の方向が異なるのは、実際に組み合わせて再生してみれば火を見るより明らかです。  我国ではそれに気づかずに、SPUとSME3009を組み合わせてきた愛好家が実に多く、そのことを消費者にちゃんと知らせなかったというかちゃんと気付かなかった評論家も居りました。 
1960年以降SME3009S2 はその時々のレコードの製作技術水準にうまく適応して、部品の材質、形状、表面加工などマイナチェインジを繰り返してロングセラとなり、レコード愛好家の支持を得てきました。 RIMG0103SME社の技術者たちは自社のトーンアームの長所について、また短所について多くの経験を持つことになります。 そこで培ったのが市場にあまたあるステレオカートリッヂに対するフレキシブルな反応力でした。 S2は取り付けられるフォノモータも選びませんでした。 TD124でも301でもSMEとしてはたらき、カートリッヂの能力を最大限に引き出そうとする力を具えています。 これがS2の汎用機としての本質です。
汎用でありながら、最高水準の音質を得られるトーンアームをエイクマンはどうやって作り得たのでしょう。 ここが判らないと、真の姿が見えては来ません。  つづく
以上T氏

参考ページ
TD124とSME3009 S2の整合
TD124とSME3009 S2の整合 2
TD124とSME3009 S2の整合 3
TD124とSME3009 S2の整合 最終回



  







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2015年06月14日