テレヴィジョンとステレオ再生と
左右のスピーカの中央に腕を組んで座り、ステレオ効果・定位・位相を厳しくチェックしながら音を聴くという複雑な我国独自の行為はいつごろから始まったのか、そのいわれを問うことは無駄ではないと思うのです。 こうした聴き方をしている限り、音の呪縛から逃れられず音楽の真のあるべき姿を再現するのは困難であり、それでは何のためにオーディオシステムを組み上げたのかわからないのではないでしょうか。 ことに高額システムの所有者のほとんどがこうした聴き方をしているようです。 肉体的・精神的苦行はある期間は必要かもしれませんが、それはいつまでも続けることではありません。 日常のしがらみを離れ、音楽に浸り、遊ぶ。 自由に在るこそがオーディオ再生の目指すところのような気がするのです。
こうしたリスナの不自由な聴き方は、テレヴィジョンが家庭に入ってきたときとひどく似ています。 家族が揃ってテレヴィジョンの前に座り画面を見ている姿が似ているのです。 やがてテレヴィジョンはもっと普及して一家に一台から一部屋に一台の時代に入ります。 ステレオ装置も個室化の流れに乗って、リスニングルームと言う部屋が現れ始めるのです。 この個室化がなければステレオ装置はこうも普及はしなかったでしょう。 なぜなら、本人は素晴らしい音と感激していても、家族かれすればただの騒音に過ぎなかったからです。 スピーカをにらめながらレコードを聴く夫もしくは息子は、妻もしくは母からすれば単なる異常者にしか映りませんでした。 彼らは前方のスピーカから何を観ようとしていたのか。 もちろん音を見ようとしていたのです。 テレヴィジョン画像と同じように音がくっきり空間に現れる、そのリアルさを目を凝らしてみていたのです。 音マニアにとっては音楽は二の次なのです。 そのための定位であり、位相でした。 本来見るものではないものを、一所懸命見ようとしていたわけです。
このような音の聴き方は生理的にある現象を引き起こすはずです。 まず、音に対する反射神経が単純化してきます。 本来人間の反射神経というものは五感すべてにはたらくはずなのに、視力ばかりにたよると感じる力が鈍り退化します。 中でも嗅覚が初めにやられます。 ここでいう嗅覚とは臭いを指すのではなく、物事の良し悪しを嗅ぎ分ける力のことであり、はっきり言うと鼻が利かなくなることを言います。 聴覚なのに視覚優先で音を聴くようになると、はっきり、くっきりが良いという価値判断に陥り、モニタ系スピーカでより顕著に反応して視覚追従現象がが起きることになります。 ホムンクルスは最初は驚き目を見張りはしますが、やがては飽きてしまうのが通常です。 しかし視覚中毒を起こしたマニアはいつまでもこれに固執します。
次にやられるのは音色への反応力の退化です。 再生音における楽器の姿かたちばかり追いかけていると、音色が意味する音楽的な力に何の注意も払わなくなります。 音色というものは見るものではなく、感じるものだからです。 皮膚感覚と似ているところがありますから、視覚にばかり頼っているとどうしても音色への感覚は鈍ります。 そのためか、視覚重視のユーザが調整する装置からは音色を感じさせない再生音しか出ていないことほとんどです。 つづく
以上T氏
こうしたリスナの不自由な聴き方は、テレヴィジョンが家庭に入ってきたときとひどく似ています。 家族が揃ってテレヴィジョンの前に座り画面を見ている姿が似ているのです。 やがてテレヴィジョンはもっと普及して一家に一台から一部屋に一台の時代に入ります。 ステレオ装置も個室化の流れに乗って、リスニングルームと言う部屋が現れ始めるのです。 この個室化がなければステレオ装置はこうも普及はしなかったでしょう。 なぜなら、本人は素晴らしい音と感激していても、家族かれすればただの騒音に過ぎなかったからです。 スピーカをにらめながらレコードを聴く夫もしくは息子は、妻もしくは母からすれば単なる異常者にしか映りませんでした。 彼らは前方のスピーカから何を観ようとしていたのか。 もちろん音を見ようとしていたのです。 テレヴィジョン画像と同じように音がくっきり空間に現れる、そのリアルさを目を凝らしてみていたのです。 音マニアにとっては音楽は二の次なのです。 そのための定位であり、位相でした。 本来見るものではないものを、一所懸命見ようとしていたわけです。
このような音の聴き方は生理的にある現象を引き起こすはずです。 まず、音に対する反射神経が単純化してきます。 本来人間の反射神経というものは五感すべてにはたらくはずなのに、視力ばかりにたよると感じる力が鈍り退化します。 中でも嗅覚が初めにやられます。 ここでいう嗅覚とは臭いを指すのではなく、物事の良し悪しを嗅ぎ分ける力のことであり、はっきり言うと鼻が利かなくなることを言います。 聴覚なのに視覚優先で音を聴くようになると、はっきり、くっきりが良いという価値判断に陥り、モニタ系スピーカでより顕著に反応して視覚追従現象がが起きることになります。 ホムンクルスは最初は驚き目を見張りはしますが、やがては飽きてしまうのが通常です。 しかし視覚中毒を起こしたマニアはいつまでもこれに固執します。
次にやられるのは音色への反応力の退化です。 再生音における楽器の姿かたちばかり追いかけていると、音色が意味する音楽的な力に何の注意も払わなくなります。 音色というものは見るものではなく、感じるものだからです。 皮膚感覚と似ているところがありますから、視覚にばかり頼っているとどうしても音色への感覚は鈍ります。 そのためか、視覚重視のユーザが調整する装置からは音色を感じさせない再生音しか出ていないことほとんどです。 つづく
以上T氏