2016年10月31日

英 iFi社 retro50 番外編 ナチュラルディストーション 2

ナチュラル・ディストーション 2

ナチュラル・ディストーションは流れにまかせておけばそのまま出現するものではありません。 演奏者・指揮者の創意工夫が大切になります。 作曲技法でも、ナチュラル・ディストーションの発生は柵渠化の音に対する感性により差が出ています。 私たちにヒントを与えてくれる話をしましょう。 リヒアルト・シュトラウスが新作オペラを指揮するカール・ベームに助言を与えます。 『この曲は大きな音を出そうとしなくても、自然に大きく響くように出来ているから、君は力まなくても良いのです。』 この言葉こそ、ナチュラル・ディストーションの本質を示している、と思います。 この言葉にはもっと別の意味が含まれています。 小さな音を大切にあつかう、ということです。 ナチュラル・ディストーションは小さなハーモニクスの集合体であり、それだけに若きカール・ベームが演奏効果を狙って大きな音を出そうとすると、どうしても注意がそちらに向いてしまい、小さな音をおろそかにしてしまうと作曲家は懸念したのでしょう。 この作曲家がいかにナチュラル・ディストーションを意識していたかは『ツァラトゥストラはかく語りき』の有名な冒頭の部分でしょう。 はじめはごく小さな黎明の音量ですが、徐々に音数が増し、音量の広がりは寄せて、ついには壮絶なクライマックスに至ります。 その音量は『かけ離れて』いるほどに大きい。 自然倍音楽器そのものは電気楽器のようにヴォリュームによって音を大きくすることはできません。 音量そのものには限界があります。 それなのにこんなに大きく響くのは絶妙なハーモニクスの組み立てから吹き出るナチュラルディストーションが現れるからです。 このクライマックスの大音量には相当におおくのノイズが含まれています。 ハーモニクスの増大の限界点における爆発崩壊時に、圧縮により音がつぶれゆがみ、その力は拡張に転じてノイズとなって発生するのです。 シュトラウスの音楽に限らず、ロマン派・古典派・バロック・ルネサンス期にあった革新的と言われる曲でも同じようにナチュラル・ディストーションが起こっているのです。 しかし、こうしたナチュラル・ディストーションの出現によるノイズやひずみを不自然なものとは感じることはありません。 それらは私たちが日常的に経験する自然界のディストーションと同じようなものであるからです。 たとえば荒れた海で発生する大規模なノイズ、暴風雨による圧倒的な雑音などがそれです。 こうしたノイズ、音ひずみ、ディストーションを私たちは無意識のうちに聞き分けています。 これは大切な情報なのです。 こうしたノイズはつねにわたしたちの生存をおびやかす可能性を伝えてくれるものだからです。 ナチュラル・ディストーションとは音楽において、則を超えない恐怖という面を持っているのは確かです。 それは音楽に芸術としての深みを与えています。  つづく
以上T氏

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