英 iFi社 retro50 番外編 エレクトリック・ディストーション 10
スペクターサウンド その1
私たちの日常はエレクトリック・ディストーションに彩られています、というより浸食され続けているという方が当たっているでしょう。 テレヴィジョンからカーラジオ、駅のホーム、パトロールカーの警告音、商業施設のBGM、そしてレストランからさえも容赦なく襲い掛かってきます。 これらの音やポップス音楽はある男の独創的アイデアで作り出されたサウンドに強く影響を受けた結果生まれたものと言っても過言ではありません。 フィル・スペクター。 1960年代前半から頭角を現したアメリカの作曲家・プロデューサです。 彼以前のアメリカンポップスは自然倍音楽器をそのまま電気変換したもので、音の姿は割合とはっきりしたものでした。 たとえば1950年代のエルヴィス・プレスリー、電気歪みを有効に使ってはいますが決してボケることがないタイトな音作りです。 エルヴィスがバンドのメンバを仲間として接していたことをうかがわせます。 ステレオ時代になっても別録りを避け、バンドと一緒に昔ながらの録音方式をとっていましたし、親しい友人の誕生日に家を一軒プレゼントしたことも。 エルヴィスは音楽は人間が作るものだ、と信じていました。
フィル・スペクターは違います。 演奏者を自分がイメージした音を創り出すための道具や部品と考えていたふしがあります。 彼が欲したのは音源だったのです。 音源さえあれば新しく始まったステレオ録音の特性を生かしてどのような音の世界にも加工できる自信がありました。 音を使った夢の世界を実現するために、彼の才能は多彩な録音方法を編み出していきます。 例えばスピーカの前にマイクロフォンを置いて再生音から録音したり、天井ににスピーカを向け反射音を採集してそれらの音を通常に録音した音と一緒にテープに放り込んだ。 こうして出来上がった音楽は、『音の壁』と呼ばれていました。 サウンドは電気的に重層化された分厚いハーモニーのカタマリでしたが、実際は強烈なエレクトリック・ディストーションによるノイズの集積であり、音を過剰に圧縮して生まれた産物だったのです。 道路を疾走するトラックの騒音と大した違いはなく、ただリズムとメロディを伴うので音楽として認知されているだけでした! だからかってないサウンドとして評判となります。 ロネッツの『ビー・マイ・ベイビー』や、クリスタルズ、アン・マーグレット、ライチャス・ブラザーズなど彼が手がけたモノーラル・シングルカットは次々にNo.1ヒットをかっさらいます。 ステレオ時代に入ると彼は多重録音をフル活用して、次から次へとスペクター・サウンドを展開していきます。 聴き手の前方から後方まで音の壁で包み込む手法を駆使して。 まるで深い音の井戸の底に落とされる錯覚。 しかし、良い効果ばかりではありません。 ある種の閉塞感です。 音の壁は位相や音の方向性がぐちゃぐちゃであり、それに閉塞感が重なると、人によっては三半規管が麻痺するような不快感を誘発する危険をはらんでいます。 フィルは新しい録音方法によるサウンドをシンフォニック・ロックと呼んでいました。 その意味するところは電気オーケストラそのものでした。 つづく
以上T氏
私たちの日常はエレクトリック・ディストーションに彩られています、というより浸食され続けているという方が当たっているでしょう。 テレヴィジョンからカーラジオ、駅のホーム、パトロールカーの警告音、商業施設のBGM、そしてレストランからさえも容赦なく襲い掛かってきます。 これらの音やポップス音楽はある男の独創的アイデアで作り出されたサウンドに強く影響を受けた結果生まれたものと言っても過言ではありません。 フィル・スペクター。 1960年代前半から頭角を現したアメリカの作曲家・プロデューサです。 彼以前のアメリカンポップスは自然倍音楽器をそのまま電気変換したもので、音の姿は割合とはっきりしたものでした。 たとえば1950年代のエルヴィス・プレスリー、電気歪みを有効に使ってはいますが決してボケることがないタイトな音作りです。 エルヴィスがバンドのメンバを仲間として接していたことをうかがわせます。 ステレオ時代になっても別録りを避け、バンドと一緒に昔ながらの録音方式をとっていましたし、親しい友人の誕生日に家を一軒プレゼントしたことも。 エルヴィスは音楽は人間が作るものだ、と信じていました。
フィル・スペクターは違います。 演奏者を自分がイメージした音を創り出すための道具や部品と考えていたふしがあります。 彼が欲したのは音源だったのです。 音源さえあれば新しく始まったステレオ録音の特性を生かしてどのような音の世界にも加工できる自信がありました。 音を使った夢の世界を実現するために、彼の才能は多彩な録音方法を編み出していきます。 例えばスピーカの前にマイクロフォンを置いて再生音から録音したり、天井ににスピーカを向け反射音を採集してそれらの音を通常に録音した音と一緒にテープに放り込んだ。 こうして出来上がった音楽は、『音の壁』と呼ばれていました。 サウンドは電気的に重層化された分厚いハーモニーのカタマリでしたが、実際は強烈なエレクトリック・ディストーションによるノイズの集積であり、音を過剰に圧縮して生まれた産物だったのです。 道路を疾走するトラックの騒音と大した違いはなく、ただリズムとメロディを伴うので音楽として認知されているだけでした! だからかってないサウンドとして評判となります。 ロネッツの『ビー・マイ・ベイビー』や、クリスタルズ、アン・マーグレット、ライチャス・ブラザーズなど彼が手がけたモノーラル・シングルカットは次々にNo.1ヒットをかっさらいます。 ステレオ時代に入ると彼は多重録音をフル活用して、次から次へとスペクター・サウンドを展開していきます。 聴き手の前方から後方まで音の壁で包み込む手法を駆使して。 まるで深い音の井戸の底に落とされる錯覚。 しかし、良い効果ばかりではありません。 ある種の閉塞感です。 音の壁は位相や音の方向性がぐちゃぐちゃであり、それに閉塞感が重なると、人によっては三半規管が麻痺するような不快感を誘発する危険をはらんでいます。 フィルは新しい録音方法によるサウンドをシンフォニック・ロックと呼んでいました。 その意味するところは電気オーケストラそのものでした。 つづく
以上T氏