2017年01月28日

英 iFi社 retro50 番外編 エレクトリック・ディストーション 最終回

自然倍音楽器のディストーション

自然倍音楽器でありながら、この世には音色と響きが電気楽器をおもわせるものがあります。 北インドでシタールとサロード、南インドでヴィーナ、アメリカではドブロギター等々、わが国ではさしずめシャミセンというところ。 ヨーロッパではヴァイオリンが一番に挙げられましょう。 これらの楽器の特徴として合わせものでは電気的な響きは顕著でなくて、独奏になると途端に電気臭を帯びてきます。 個人的に言ってクラシック音楽でヴァイオリンソロが苦手なのは70年代に使用していたオーディオ機器では電気臭がむき出しになって聞こえていたせいかもしれません。 ヴァイオリンソロはちょうどナチュラル・ディストーションが自然電気ひずみの領域に入ったり出たりする演奏形態にあるといえます。 良い装置ならば木質の音色たっぷりで聴き入ってしまいますが、これがエレクトリック・ディストーションの方に呼び込む装置では金属っぽくて痛い音で再生されることもしばしばあります。 例えば同じヴァイオリンソロのレコードを英国A級プッシュプルアンプと米国製マッキントッシュやマランツなどのアンプで聞き比べてみますと、米国製アンプの方がずっと太くたくましく聴こえる一方英国製はパンチが無い聞き応えがない音と受け取る方が結構います。 太くてたくましい音は実際は電気的な歪みがなせる業であり、自然電気ひずみのエレクトリック化に過ぎないのです。 それに気づかない方は年配の方に多く、原音再生を目指しているといいながら、聴かせていただくと電気的歪みたっぷりの音だったりするのです。 こうした方々は電気ひずみを長年聞き慣れているから気にならないのでしょう。 自然電気ひずみに全くかかわらない楽器もあります。 それは日本のお琴です。 お琴はあまつちの神気を映し出す音を発するものとされています。 つまりマイクロフォンではとらえにくい楽器といえます。 実際にお琴はお隠れになったところから漏れ聞こえてくるのが一番といわれています。 オーディオでは神の言葉の代弁としての音と音楽は確かに出せるでしょうが、あまつちの神気となるとまず無理なことかもしれません。

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この項を終わるにあたって
ディストーションについては英ifi社製retro stereo50 アンプリファイアの紹介文を途中下車して書き始めてしまいました。 ひとつ言っておきたいのは、retro50 については、こういうことを踏まえての上で書いたということです。 オフィスではこれまで一年以上retro50を使用して試聴テストを繰り返してきましたが、ますますその音楽的再生能力の高さに感じ入ってしまいます。 カートリッヂのM44同様、アンプリファイアとしてのretro50の存在も、価格が性能を反映しない優れた機器の証しだと確信します。 レコードプレイヤがアナログ再生にはどれほど大切かも書きました。 レコードプレイヤが本来の性能を備えていないと、音楽的なディストーション再生は果たせません。 ノンレストアのTD124はナチュラル・ディストーションをたやすくエレクトリック化してしまいます。 エレクトリック化された再生音を聴き続けると、聴くひとの聴覚は狂っていき、ナチュラル・ディストーションに反応しない耳になってしまう。 オーディオ再生を良質なものにするいとなみは、聴くひとの健康にとっても大切なことです。 心にうそをつかずに気持ち良い音と音楽を聴かないと、ストレスは溜まっていきます。 オーディオの世界は目に見えるものではありませんから、自分にいいわけし、他人に強要するようになってしまうひとが大勢いらっしゃいます。 音楽を通してこういうことになってしまってはなんのための音楽かわからなくなってしまいます。 今回書いたことの真意はここにあります。 この項おわり
以上T氏

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