2020年04月25日

without a song

without a song the day will never end
(歌なしに長い一日は終わらない)
without a song the road will never bend....
(歌がないとつらい道はどこまでも続く)
2月に雪が舞った日、ヴォーカルグループ・パイドパイパーズの愛好家のお宅で78回転を聴いた。ちょっといい唄に出会った。トミー・ドーシー吹く渋いトロンボーンソロでワンコーラス、ジョー・ブシュキン奏でるチェレスタの味なアルペジオ、楽団専属の男性歌手がリフレインを流す。軽快なピッチ、研鑽を積んだブレスコントロールに裏打ちされて、生きざまのレガートはメロディに乗ってフレーズをこなしていく。1941年1月20日ニューヨークでのセッション。太平洋戦争直前のパワフルなゆたかさと不安が入り混じったアメリカ、スウィングには匕首の煌めきがある。歌い手は23歳のシナトラ、と聞かされて驚いた。パイドパイパーズのメンバーだったジョー・スタッフォードはシナトラがドーシー楽団デビューの印象を語っている。「ドーシーがシナトラをコールした時、私たちもステージの上にいました。マイクに近づく彼を見て、なんて痩せているんだろう!」
there ain't no love at all, without a song
(どこにも愛なんてありはしない、歌がなければ)
78回転のシナトラはエッヂが利いた端々しさ、歌詞が花開く表現力に満ちて唄は舞い落ちる。張り詰めた緊張の裏に暗黒が、いまにも毀れそうなナイーヴさが音楽になっている。この曲、もともとは黒人の重荷を負った酷い生活を歌っているのを、シナトラは自分に当てはめて苦しみを吐露している。聴く者にそれが感染していく。シナトラは50年代、と思っていたけれど、これを聴いてしまうと、40年代のアメリカのスゴミに押し流される。何より78回転の音質に。いろいろとヤバいこともあっただろうけれど、忘れられない唄を聞かせてくれた。



楽団専属歌手を辞めてシナトラは50年代にキャピタルに移籍、ロサンゼルスでジョン・カルショウに出会う。このイギリス人、英デッカで上役のフランク・リーとヴィクター・オロフの確執に嫌気がさしていたところ、5000ドルという桁違いの報酬につられてキャピタル・クラシック部門に転籍していた。シナトラはカルショウにロンドンで映画に出ているエヴァ・ガードナーに持っていってくれと包みを渡した。小さな紙袋だった。カルショウはブリーフケースに入れ、飛行機に乗り込んだ。ロンドンに到着し空港の税関で係官がブリーフケースを開け、小さな紙袋を出して振るとガラガラと鳴った。「中身は何ですか?」「さあ、何でしょう。シナトラに頼まれてエヴァ・ガードナーに渡すんです」眉をひそめた係官。「この男は狂ってるのか、俺をからかってるのか?」目はそう言っている。「取りあえずこちらにどうぞ」小さな部屋に案内される。「中身はひょっとしてダイヤモンドかもしれない。」カルショウに不安がよぎる。部屋には他の係官も集まってきた。" if I ask you to open ? " と促され、彼は袋の封を切った...
顛末はジョン・カルショウの回想録 "Putting the record Straight"  でどうぞ

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