2022年09月10日

Good Reproduction 気配

835098AY ベートーヴェン ピアノソナタ17番「テムペスト」18番  クララ・ハスキル(Pf)  録音1960年9月14日 ヴヴェ劇場 スイス  エンジに銀のPHILIPS Hi-Fiステレオレーベル 重量盤  レコードに針を入れて待つあいだ、これは、と思う時がある。耳が積極・能動モードに入る。幽かな針音が過ぎていくなかピアニストが腕を上げて、鍵盤に降ろす覚悟の気配が濃厚にある。確かにある。ちゃんと座りなおして敬意を払う。RIMG0357弾かれる音が、何というか、時間の純粋な運動により発生している。時間を生み出せる音楽は、いつもピュアであり、絶対の存在を意識させる。音楽との対話が親密にできる機会を与えてくれたこのレコード。僕は音を聴かず、ただ過ぎていくのを意識している。スピーカの前に在る人、もう四十年も前にみまかれた人。その人の気配がここに或る。喜びがあり、遊び心があり、そしてエネルギッシュなベートーヴェンがいる。  盤美品  ジャケットほとんど美品  NLP #52 ¥110000 ( グレイリスト上巻 P871 )
電話で会話が途切れると、背後のノイズが消えて、一瞬回線が途切れたか、と戸惑う。けれど静かなノイズの背景があると、会話の間合いを滑らかにつないでくれる。リエゾンのおかげでフランス語が詩的になるように。五感が磨かれていく。休符で一音が途切れて次の音が出るまでの間、ディジタルは真空のような無音、アナログは微かなノイズ。無音は耳を苛立たせ、ノイズは次の音への期待を促す。休符でブツっと切れるのか、休むのか。空気の存在を前提とする地球上では、人間はつねにノイズの中にある。休符の再生にもノイズはある。静かなノイズがあるから次にくる音を自然な物象として疑いもなく受け入れる。このノイズにある静けさも「けはい」。音が消えていき、また音が生まれる、その背後に気配があると、音楽は一層活き活きする。Good Reproduction はそれを知っている。
50年代の録音技術者達はレコード再生音が現実音に近づけば近づくほど、人間の耳に「にせもの」だと察知されてしまうことを知っていた。紙と金属で製造されたスピーカを電気で動かしていては、どんなことをしても現実の音源に敵うものにはならない。そこで彼らはレコードにしかできない音の世界を探し始める。RIMG0369嫌な音がしない、心地よい、共感できる、聞きつづけたい、緊張しない、無意識に働きかけて自然と体を動かすような再生はどういうものか。彼らは医学、生理学、心理学などの専門家とディスカッションを重ねた、と当時EMIで録音に携わったエンジニアから聞いたことがある。そうして彼らは現実より現実的な再生を探り始める。
例えばディズニーの白雪姫。あのアニメイション映画には現実を離れた美しい画像がある。丁寧に描かれた背景、実際よりゆっくりとした人物の動きはリアルな人間では不自然な動きであるはずなのに、あの白雪のしぐさは優雅であり観客を夢に誘う。それと同じく、錯覚ではない、共感できる再生音を彼らは研究し、創り上げていった。再生音楽にしかできない音の世界にある美しさを、気配を、聴き手に感じさせることで。

10年前に同じようなことを書いていた。
1966年録音のモノーラルを聴いて
ついでにこれも
電畜とノイズ





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