1953年
1953年12月23日ウェストハムステッド デッカNo.1スタジオ、マントヴァーニと彼の楽団の周りを小男がマイクロフォンスタンドをああでもない、こうでもないとうろうろしていた。ステレオ実験録音が始まる。エンジニアはロイ・ウォレス。短めのDixion(スチール棚支柱)をT字型にボルトで締め組み、左、右、中央に3本のM49マイクロフォンをバッフル板に取り付けた(デッカ・ツリーの誕生)。廊下を挟んだ部屋ではシリル・ウィンドバンク(デッカ最高のディスクカッターでありスタジオナンバー2の地位にあった)が待機している。2トラックレコーダ購入を会社は認めなかったため、演奏はディスクにダイレクトカッティングされ、直ちにアセテート盤がニュー・モルデンのプレス工場に送られた。ウォレスはお偉方を集めて出来上がったレコードを再生し、技術がどんなに向上したかデモンストレーションしてみせた。ステレオ音場が会議室に大きく広がった。大成功だった。残念なことに実験録音第1号のマントヴァーニと5日後のフランク・チャックスフィールドを記録した盤は残っていない。このことは以前に書いたことがある。「デッカ最盛期を支えた録音エンジニア、ロイ・ウォレスは当時最先端となる数々の録音方式を開発したが、それは彼自身が熟知していたオーディオ的『聴覚における情感生理学』に基づいていた。彼は機器を知る人であり、情感を知っているし、人と人のアヤも存分に知っていたに違いない。そうした彼の録音盤を聞いていて、第六感がはたらく時、僕は鳥肌が立ったりすることがある。」(2008年08月28日当ブログより)
聴き耳はどっち?
オーディオ的『聴覚における情感生理学』・・・英デッカのエンジニアが大切にしていたのは周波数特性や機材の性能向上開発だけでなく、人間が音から情感を感じ取る生理的仕組みを探ることだった。マントヴァーニ楽団を最初の実験に起用したのは、オーケストラの弦、ことに旋律を任される第1ヴァイオリン群が醸し出すDuzzling Sound や Cascading Strings にある音の粒立ちと拡がりを保ちつつ、人の耳がどうして共感し好意を持てるか。そうして初めてレコード再生音が大衆に受け入れられると、デッカのエンジニアたちは知っていた。複数のヴァイオリンの音色の干渉の妙、ふくよかで、みずみずしい輝きを滲みや位相...ウォレスは「ツリー」というアイデアを思いつき、人々が自然に感じるステレオ録音へと続く道を歩き始める。あれから70年経った今日でも「デッカツリー」は録音現場で当たり前のように使われている。
1953年、流行歌手のレコードに次いで売り上げがあったジャンルは勢いづく映画産業の「映画音楽」そして戦勝国アメリカではパーティに必須の「ムード音楽」。大衆の愉しみ。再生装置を気にせず、嫌な音がしない、それでいて官能的なレコードが求められた。今となっては少数派の「映画音楽」「ムード音楽」、当時は利益を得るだけでなく、大衆の嗜好と生理的情感を刺激する音を探る格好のジャンルだった。そう、あのふわっとした自然な弦楽合奏の拡がる響きを再生する試みはモノーラル時代からの課題であった。
楽団主Roberto は実は英国人、ロンドンのサヴォイホテルでロマンティックな音楽を奏でているとライナーにある。EQ13で再生する。心地良い、実に心和む。かすかなポルタメントを粋に添えるあたり確かに英国らしい。AESではなくNABで気持ちがほぐれる。こうしてしっくりくるカーヴを選んで過ごす贅沢な時間。ヴァイオリン群の柳の揺れがほぐれ、映画的な感情の盛り上がりと鎮静。そうしてジャケットを眺める。ただのモデルじゃなかった。 Jane Russel である。「肉体は隠すから汚くなるわ、太陽に思い切りさらせばきれいになるのよ。」計り知れないほど輝きを放ち、量り知れないほど理不尽な目に遭った。ハワード・ヒューズの目に止まり『ならず者』でビリー・ザ・キッドの相手役でデビュ、死ぬまで義理人情に篤く誇り高く生き抜いた。1957年12inchLP。Robertoが随分と感情移入して楽団をドライヴしているのはJane の魔力に取り憑かれてしまったからか。ジャケットに見る彼女の表情に日常と非日常、誇大と謙虚の間が見える。さわやかな弦の拡がりと音の芯の太さを得るにはEQを選択する前に針先のオーバーハングを目に頼らず耳で調整すること。何度もいうけれど、本当に大切なんだから。
もう一枚、映画音楽に針を入れる。
"MUSIC FOR JENNIFER" いわゆるムード音楽のなかでも高音質、時代の匂い、そして美しいジャケット。1954年10インチLpにレコードの誘惑がぎっしり詰まっている。映画産業全盛の頃、多くの人材と労力が潤沢な資金でハリウッドに引き寄せられ、タフな人間だけが生き残って映画作りを続けていく。マックス・スタイナー、ビクター・ヤング、ドミトリ・ティオムキン...彼らが作曲した音楽は銀幕の背景となり、視覚の裏に感情の波を寄せていく。レコードに針を入れると、今度は逆に音楽による映像が蘇がえる。
上質なモノーラル再生によるつややかな弦の響きとその表情のゆたかさ、これはRIAAでは出ない、やっぱりCOLカーヴでないと。Miss Jones が自分の思い出に残るアルバムをとPaul Weston にせがんで録音したのは「終着駅」の翌年、まだ残る彼女の仕草、声、涙の温度が耳に伝わる。レコードからあの重苦しいテーマが流れるのを聞いていると、学生の頃、リバイバル上映の映画館の出口のことがありありと思い出された。誘って一緒に見た友人にこの映画すごい、と言われてとても嬉しかったことを思い出した。しみじみ旋律を誘うソロヴァイオリンの技量もすごい。ロサンジェルスにはクラシックのソリストが映画スタジオに参加するのは当たり前だった。たとえば、Vanguardにブラームスのソナタを入れたEdith Shapiro はドリス・デイのバック・オーケストラで弾いていたりする。ゆたかな時代だったかもしれないけれど、皆が皆、ゆたかだったわけではない。輝きの裏には嫌なこともたくさんあったはずだ。映画音楽は憂さを忘れて一気にイマジネイションの世界に連れていかれる。1953年、ロイ・ウォレスはウェストハムステッドでステレオ実験録音に没頭し、ジェイン・ラッセルはマリリン・モンローとハリウッドで、ジェニファー・ジョーンズはモントゴメリー・クリフトとローマで共演する。
聴き耳はどっち?
オーディオ的『聴覚における情感生理学』・・・英デッカのエンジニアが大切にしていたのは周波数特性や機材の性能向上開発だけでなく、人間が音から情感を感じ取る生理的仕組みを探ることだった。マントヴァーニ楽団を最初の実験に起用したのは、オーケストラの弦、ことに旋律を任される第1ヴァイオリン群が醸し出すDuzzling Sound や Cascading Strings にある音の粒立ちと拡がりを保ちつつ、人の耳がどうして共感し好意を持てるか。そうして初めてレコード再生音が大衆に受け入れられると、デッカのエンジニアたちは知っていた。複数のヴァイオリンの音色の干渉の妙、ふくよかで、みずみずしい輝きを滲みや位相...ウォレスは「ツリー」というアイデアを思いつき、人々が自然に感じるステレオ録音へと続く道を歩き始める。あれから70年経った今日でも「デッカツリー」は録音現場で当たり前のように使われている。
1953年、流行歌手のレコードに次いで売り上げがあったジャンルは勢いづく映画産業の「映画音楽」そして戦勝国アメリカではパーティに必須の「ムード音楽」。大衆の愉しみ。再生装置を気にせず、嫌な音がしない、それでいて官能的なレコードが求められた。今となっては少数派の「映画音楽」「ムード音楽」、当時は利益を得るだけでなく、大衆の嗜好と生理的情感を刺激する音を探る格好のジャンルだった。そう、あのふわっとした自然な弦楽合奏の拡がる響きを再生する試みはモノーラル時代からの課題であった。
楽団主Roberto は実は英国人、ロンドンのサヴォイホテルでロマンティックな音楽を奏でているとライナーにある。EQ13で再生する。心地良い、実に心和む。かすかなポルタメントを粋に添えるあたり確かに英国らしい。AESではなくNABで気持ちがほぐれる。こうしてしっくりくるカーヴを選んで過ごす贅沢な時間。ヴァイオリン群の柳の揺れがほぐれ、映画的な感情の盛り上がりと鎮静。そうしてジャケットを眺める。ただのモデルじゃなかった。 Jane Russel である。「肉体は隠すから汚くなるわ、太陽に思い切りさらせばきれいになるのよ。」計り知れないほど輝きを放ち、量り知れないほど理不尽な目に遭った。ハワード・ヒューズの目に止まり『ならず者』でビリー・ザ・キッドの相手役でデビュ、死ぬまで義理人情に篤く誇り高く生き抜いた。1957年12inchLP。Robertoが随分と感情移入して楽団をドライヴしているのはJane の魔力に取り憑かれてしまったからか。ジャケットに見る彼女の表情に日常と非日常、誇大と謙虚の間が見える。さわやかな弦の拡がりと音の芯の太さを得るにはEQを選択する前に針先のオーバーハングを目に頼らず耳で調整すること。何度もいうけれど、本当に大切なんだから。
もう一枚、映画音楽に針を入れる。
"MUSIC FOR JENNIFER" いわゆるムード音楽のなかでも高音質、時代の匂い、そして美しいジャケット。1954年10インチLpにレコードの誘惑がぎっしり詰まっている。映画産業全盛の頃、多くの人材と労力が潤沢な資金でハリウッドに引き寄せられ、タフな人間だけが生き残って映画作りを続けていく。マックス・スタイナー、ビクター・ヤング、ドミトリ・ティオムキン...彼らが作曲した音楽は銀幕の背景となり、視覚の裏に感情の波を寄せていく。レコードに針を入れると、今度は逆に音楽による映像が蘇がえる。
