2007年03月09日

旋律美に

屋根と空と気が付いたら歌を口ずさんでいた。 『桜色舞う頃』『港が見える丘』だ。 今朝の空気のうまさに気分は晴れた。 自動車が通らない道を歩くと、もうそれだけで開放されて、頭の中が遊び始める。 歌詞を忘れて適当に歌っても、結構楽しい。 外で気まぐれに歌うのは、実に気持ちが良い。 もう一つ発見。 この町では小路や狭い路地でも、行き止まりがほとんどない。 気まぐれで歩くひとにとって、これほどありがたいことはない。 その代わり、袋小路に出くわすと、犬に吼えられるのを覚悟しなければ。 自動車が我が物顔で走るガソリン臭い道路を知らずに、毎日散歩できるのも、田舎道の良いところだ。 その上、半分以上は舗装されていない。紫の花 
そうそう、今朝の最初の曲は『蘇州夜曲』だった。 有楽町ガード前の『K楽』という中華料理屋のトイレがふと、浮かんだのがきっかけだ。 用を足していると、エキゾチックな音楽が聞こえてきた。 キッチュな音で『蘇州夜曲』が広東語で歌われている。 ぜんぜん、ピンと来ない。 ひっかからない。 やっぱりこれは日本から中国を見た曲、異国情緒を身につけた歌手、黒い瞳のコワイ山口淑子のシグネチュア・ソングなんだなあ、これが。 次に、宝塚の『スミレの花咲く頃』に何故か飛ぶ。 往年のタカラジェンヌ冨士野高嶺(ふじのたかね)の録音を偶然ラヂオで聞き、薫り立つ歌の力を知った。 伏し目がちの歌唱、手紙を読む風情。 肌寒い春先に届いた声、陶然とした。 そして中島美嘉の『桜色舞うころ』と平野愛子の『港が見える丘』は三番の歌詞まで覚えているから、歩きながら歌うに問題はない。 この二曲もうつくしい曲だ。 『港が見える丘』はサビのきいた旋律線が、粋な歌詞に絡みつく小唄になっており、興味が尽きない。 ”色褪せたさくら”の『さ』の音程の妙と、”ちらりほらりと花びら”のくだりに残る甘酸っぱさ、そして的確な時代感の描写。 一番の歌詞で完結していたら、日本の歌曲と見なしてもおかしくない、高貴な情緒を置く。 中島美嘉は久しぶりに出現した良い歌手で、こころの奥底から伝えようとする肉感を持っている。 旋律の美しさ、文字に写すのは一番難しい。 ただ、くらっとする甘い瞬間を旋律から受ける時、理屈ぬきにしあわせを感じるはず。 そう、理屈じゃあない。 
本当は、旋律美の名人たちのこと(レハール/プッチーニ/リチャード・ロジャース)を書こうと思ったが、思わぬ方向に逸れていってしまった。 いつものことだ。 


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