2007年03月15日
Neumann DST
数年前のベルリン。 まだ東側の匂いが残る頃のフリートリヒ・シュトラーセのエチオピア料理店で、友人と僕は、自由ベルリン放送(SFB)のエンジニアだった老人と会った。 大きな鉄皿を囲んで、山羊の肉を手づかみで薄い皮で包んで食う。 そんなにうまくはないが『ゲシュメック』『レッカー』などとおあいそを言いあう。 ココナッツの椀に果汁入りのビールを泡立て注ぎ乾杯。 世間話が始まる。 デザートの時間だ。 鮮やかな辛子色の民俗衣装をまとった女が、鍋のついたひしゃくを巫女のようにふりかざす。 テーブルの上に、煎ったコーヒーの薫香が開いて舞い降りる。 老人はふらりと放送局内部のことを語り始める。 とぎれとぎれに。 エリカ・モリーニがメンデルスゾーンを、ずっとサングラスをかけたままで弾いた、大袈裟なジェスチュアで振る指揮者を見ないようにするために、ゲアハルト・タシュナーはとにかくいい加減で小品五曲の予定をソナタ一曲弾いて帰ってしまった、ハスキルは演奏が終わっても随分ながいことピアノを離れなかった、それからムラヴィンスキーは・・・、しわがれた声のドイツ語を友人がテキトーに英語に訳す。 あの日は朝の五時にアムステルダムから汽車に乗ったものだから、薄暗さのせいもあって、猛烈な睡魔に襲われた。 これらの話は翌日友人が思い出して語ってくれたものだ。 眠気にたまらず『ゾー(じゃあ)』 と言って席を立とうとすると、老人は『座りたまえ』と静かにいった。
彼は皮鞄を出した。 無造作に小さな灰色の箱をテーブルに置いた。 用心深く小箱を開け、手に取って見る。 黒のDST62ではなく、初期のDSTだ。 シリアル#1208、針先もオリジナルのゴツイやつがほとんど未使用の状態。 『これは1958年、ノイマン社製ステレオカッティングマシーンが放送局に納入された際、付属していたうちの一個だ。 ほとんど使われていないが、性能は保証する。』 こちらも状態には納得したので、そのまま受け取る。 翌朝、眩しい光の部屋で、もう一度箱から出してみる。 思わずにんまりする。 ホテルに迎えに来た友人にDSTの支払いを済ませる。
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