2007年05月20日
昨日書き残したこと
今朝出かける前に昨晩修理したリークのカートリッジでLPを聴いたので、もう少し昨日の続きを書いてみる。 「どんな小さな音でも全部ちゃんと再生します」と謳うアッケラカン・カートリッジは多い。 だが、このカートリッジは暗く、狭く、微妙な動きを得意とする。 
音楽に露地、細道、暗い道があるとちゃんと目くばせして、奥に導いてくれる。 奥にあるうごめきを、よーく聴かせてくれる道具。 聴く耳を養ってくれる道具。 耳が肥えてくると、楽の音に妙が出て、面白くなってくる。 ただ聴けば、ただ音が出れば、それだけで面白いときもあるにはあるけれど、それだけでは「もったいない」音楽の世界だってある。 聞こえない音まで意識させてくれるリークのピックアップは、大切にしたい茶道具みたいなものだ。 ひょんな時に忘れていた感覚を呼び覚ます道具だ。 この道具は「音色」の再生を得意にしている。 その音色が、実は家庭で聴く再生装置に欠かせない大切な能力だ、とわかっている人も多いはずだ。 ただ、CDを聴いていると、音色を聴き分けるフィジカルな能力が衰退していくような気がする。 聴力は、高い周波数から衰えてくるのだが、今言ったように、耳の能力である聴力より音色を聞き取る脳の働きの方が、音楽を楽しむには有益なのではないか。 耳が良く聞こえないから音楽が聴こえないことはないはずだ。 それだと、ベートーヴェンやドヴォルザークはどうなるんだ。
公害が無かった時代の白黒映画の海や空の色は、銀幕の内側から光っていたかのように本当に青かった。 実際は白黒なのに、本当に碧いと思った。 これがディジタル映像となると話は別だ。 楽園の海の景色などは鮮やかで限りなく本物に近いのだろうが、匂いがしない。 風が吹かない。 映像がそこまでくっきりはっきり見えるなら、人間は匂いがして、風が吹かないと「嘘っぽい」と本能が言わせる。 歌劇場の匂いがしない映像で、オペラのDVD見てワクワクしろっていうのが無理だ。 空気が読めない映像では、音楽は立たない。
昼ご飯に、連れ立って佐原という町にいく。 利根川沿いの道を乾いた青い空の下、快適に走った。
伊能忠敬を産んだ古風な商業町は、大分の日田と同じように、ゆたかな文化をゆったり育んでいたようだ。 十年ぶりだが、小さくて良い町だ。 運河沿いは素朴な味があり、片肘張らずに町が生きている。 諏訪神社、八坂神社、とくればもちろん山車もあり、お祭りが盛んな町でも知られる。 若者は40名、年寄り含めて総勢百数十人がひとつのグループとなり一台の山車を盛り上げる。 見ただけでもまとまりの良い集団で、10月のお祭りに繰り出すのに備えて、もう山車の手入れをしているのだそうだ。 ちゃんと大きな山車の車庫もきれいになっている。 空襲がなかったせいで、町並みが残った。 桜、もみじ、柳、はなしょうぶ、かきつばた、優しい風に映える木々が多いのも風情を添える。 古書店に入ったら、その品揃えに思わず長居をきめこんだ。 女性軍は近くのやきもの屋へ。 レコード芸術イヤーブックと昭和30年発売芸術新潮が何冊かあった。 帰り道、最中屋に寄る。 いつもいただいてばかりで、お店に来るのは初めて。 味は普通だが、ひとくちサイズがウリだ。 OLEOと同じくらいの大きさ。 たしかに、味がまっとうなのである。 銚子の餡は塩味が利いた重い甘さでバカデカイのに対し、餡は軽めでこの小ささだから自然と余計に食べてしまう。
銚子の最中が北風ならば、佐原の最中は太陽だ。 煎餅は昔ながらの味、というか、当たり前の味がするから好きだ。 今日昼ご飯に連れて行ってもらったお店は、昔からの屋敷を改造した料理屋で、天気のせいもあって気持ちよく過ごせた。 銚子にも、開放的で落ち着いたお庭のあるこんな料理屋が二軒くらい欲しい。 佐原の気質はマイルドで大人しく、銚子の人はエキセントリックで一匹狼が多い。 似ていないから、もっと仲良くできると思う。 まあ、銚子がオランダなら、佐原はさながらベルギーか? このたとえ、ちょっと、つらいか。
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音楽に露地、細道、暗い道があるとちゃんと目くばせして、奥に導いてくれる。 奥にあるうごめきを、よーく聴かせてくれる道具。 聴く耳を養ってくれる道具。 耳が肥えてくると、楽の音に妙が出て、面白くなってくる。 ただ聴けば、ただ音が出れば、それだけで面白いときもあるにはあるけれど、それだけでは「もったいない」音楽の世界だってある。 聞こえない音まで意識させてくれるリークのピックアップは、大切にしたい茶道具みたいなものだ。 ひょんな時に忘れていた感覚を呼び覚ます道具だ。 この道具は「音色」の再生を得意にしている。 その音色が、実は家庭で聴く再生装置に欠かせない大切な能力だ、とわかっている人も多いはずだ。 ただ、CDを聴いていると、音色を聴き分けるフィジカルな能力が衰退していくような気がする。 聴力は、高い周波数から衰えてくるのだが、今言ったように、耳の能力である聴力より音色を聞き取る脳の働きの方が、音楽を楽しむには有益なのではないか。 耳が良く聞こえないから音楽が聴こえないことはないはずだ。 それだと、ベートーヴェンやドヴォルザークはどうなるんだ。
昼ご飯に、連れ立って佐原という町にいく。 利根川沿いの道を乾いた青い空の下、快適に走った。
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