2007年05月26日

煙草をのむ

煙草をのまなくなって、もう久しい。 確かに健康にいいのだろうが、こころにいいのか、誰もわからない。 「いいえ、吸ったら死にます」、「いいえ、一本吸うのも百本吸うのも同じです」と医者に言われると、スパッと止められるのは確かだ。 Flint”GAME OVER”、もう選択の余地はない、次の玉は出てこないのだ。 美味しそうに一服点けている人を見ると、「僕の分まで味わってね。 頼んだよ。」なんてひそかに励ましたくなる。 悪いのを知って、あえて煙草の袋のシールを外すのだ。 かっこいいじゃないか。 悪いと知って火を点ける、勇気ある人びと。 これでも人に気を使いながら、場所に気を使いながら、ふかすのだ。 喫煙仲間が減り、禁煙する人が増えていく中で、止めないというのは立派だ。 白い目で見られても、堂々と煙を吐いて欲しいものだ。 善人、健康、清潔、正義。 世の中みんな、オキシフルで世界中を消毒し始めている。 Thorens Lighter喫煙人口がここまで減ったいま、残った喫煙者は堪忍してやったらどうだろう。 煙草がなかったら、過去の文学作品の多くは存在しなかったに違いない。 村上春樹は問題なく煙草なしでかけるだろうが、太宰や安吾はどうだろう。 不健康なのは、本当に悪いことか? 健康のために人間は生きるのか? 写真はスイス・トーレンス社が50年代に製造していたライターで、商品名はACIERAと刻まれている。 あの時代の男たちが持つにふさわしい牙がある。 犬小屋
灯台の霧笛がこだまして鳴り渡っていた。 愛宕山の南側は昨日の大雨をたっぷり吸い込んだ農地から、湯気が立ち上っていて、外川の海ももやが濃かった。 犬若のお菓子やで味噌煎餅と巻き煎餅を買った。 懐かしいお菓子の出来立てだ。 帰り道、良い犬に会った。 健康も気にせず、気持ちよさそうに寝ていた。

写真をクリックすると拡大します





トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔