2007年09月23日
霊感聴 霊聴 聴霊感
曇り空の丘の中腹を登っていると、ふもとの君ヶ浜あたりから、古ぼけた歌謡曲が聞こえてきた。 静けさが御馳走の田舎で、たまたま風に乗って一キロほども離れた音を耳が捉えるのは、澄んだ空に星の光をらくらくと見るに似ている。 パブリックアドレスは、どうしたら遠くへ音を流して飛ばせるかが役目である。 放送局スタジオから、はるか数百キロ、数千キロ離れた聴取者に音を送り出すにも、国益に直接関わる作業であるから、限りないノウハウが注ぎ込まれている。 しかし、だからといって、スタジオで再生される音質が美しいか、と聞かれれば、素直に「うつくしい」とは言えないというのが実際スタジオに出入りしている人の本音だろう。 BBCバーミンガムやパリのフランス国立放送局、ヒルフェルスム放送局、自由ベルリン放送、アビーロードのEMIスタジオ等々で、当地のスタジオ再生音を聞いてきたが、根本はあくまでも商業的な緊張感のある音楽が再生されるわけであり、普段聞くには「ちょっとー」である。 それでいながら、家庭で聴く、ゴルフの朝のBBCは英語、プロヴァンスの昼寝時に聞くRTFは仏語、牧草地の朝もやで聞くVPROはオランダ語、古い農家で聞く深夜のRTBはベルギーフランス語、それぞれの言語の本質が部屋の片隅から流れてくる情趣がある。
ラヂオでそれぞれの国のニュースに聞く味のある音質は、ひとつの旅情だ。
家庭で聴く音楽も楽しい。 PAとも違い、スタジオとも違う、ホームオーディオの味わいで気付いたことを書く。 家庭では、ほとんど寛いで聞く。 いや、いろいろ、ごちゃごちゃ、考えて聞く人もいる。 年中いぢくり回して、音楽を聞く暇の無い人もいる。 ちゃんとした音がちゃんと出るのは家庭で聴く音としてはヨソイキであり、どちらかといえばスタジオの音だ。 家庭でレコードを聴く以上、霊感を感じるまでの音楽が再生されているのがホームオーディオの本質だろう。 家族から離れてひとりになって音楽に触れる、家族と一緒に聞く、扉を開けて隣の部屋で本を読みながら聴く。 その音は、私たち装置はあなたが好きですよ、という音で出て欲しい。 全部の音が全部出てしまっては、家庭で聴く音楽としてはちょっとまずい。 だいたい音楽は全部の音があっけらかんとして登場されると、疲れる。 音楽には、隠し味があって、その音は出ているのだけれど耳には聞こえない楽器の音や、和音の薬味等々が調和して音楽の香りやニュアンスが感じ取れる。 それをゴリ押しして聞いているひともいるが、それではスタジオで働く音だ。 最近レコードを聴いて、我を忘れるのは、「霊感」を感じる時だ。 「気配」であったり、「演奏家の影」であったり、和音の横溢する賑わいであったりする。 全部の音があっけらかんと完璧に出ていているときは、霊感は出てこない。 気配が出てくると、音楽は楽しい。 気配の先には音色がある。 その音色が気配とつながって、俄然精気を帯びてくる。 音色の妙は、周波数レインジが精妙にバランスされて初めて漂いはじめる。 伊達に音色は出てこないし、あっけらかんとした再生音ではひっかかりもしない。
変幻自在の音の色には、音楽家の伝えたい気持ちが込められていて、それに触れた途端、聞き手は恍惚の境地に浸り始める。 ただ、健康的な音の構築性を追求するのとは違う方向なわけだが、この音色と霊感の関係は、ディジタル機器はもちろん、PAやスタジオの装置ではかすりもしない問題である。 ホームオーディオを突き詰めていくと、このあたりに必ずたどりつけるはずだ。 確かに、モノーラル時代のオリジナル盤を聞いていると、霊感まで刻まれている盤がある。 周波数レインジを補正するのがイコライザーの表面的な役割であるが、経験から言うとイコライザーが合うと、音像の形がちゃんとするだけではなく、音像に霊感が潜んでいるのを感じている。 そして音色が情感をくすぐり始める。 やおら、ある生気が部屋にヌッと現れるとき、そこにはホームオーディオでしか味わえない無上の歓びを知る。 レコード会社のスタジオでは、周波数をそれぞれ異なるイコライザーでプログラムを加工送り出して音溝に刻むのだが、聞き手としては先入観にとらわれずに情感を刺激されるポイントでイコライザーを合わせるとうまくいく事が多い。 その時こころを自由自在に開放していないと、情感なぞわくはずもなく、違った方向に調整を進ませてしまう。 優れた再生装置を買いこんで結線すれば、音は出る。 しかし、それから情感を霊感を引き出せるかどうかは、聞き手の耳次第だ。
家庭で聴く音楽も楽しい。 PAとも違い、スタジオとも違う、ホームオーディオの味わいで気付いたことを書く。 家庭では、ほとんど寛いで聞く。 いや、いろいろ、ごちゃごちゃ、考えて聞く人もいる。 年中いぢくり回して、音楽を聞く暇の無い人もいる。 ちゃんとした音がちゃんと出るのは家庭で聴く音としてはヨソイキであり、どちらかといえばスタジオの音だ。 家庭でレコードを聴く以上、霊感を感じるまでの音楽が再生されているのがホームオーディオの本質だろう。 家族から離れてひとりになって音楽に触れる、家族と一緒に聞く、扉を開けて隣の部屋で本を読みながら聴く。 その音は、私たち装置はあなたが好きですよ、という音で出て欲しい。 全部の音が全部出てしまっては、家庭で聴く音楽としてはちょっとまずい。 だいたい音楽は全部の音があっけらかんとして登場されると、疲れる。 音楽には、隠し味があって、その音は出ているのだけれど耳には聞こえない楽器の音や、和音の薬味等々が調和して音楽の香りやニュアンスが感じ取れる。 それをゴリ押しして聞いているひともいるが、それではスタジオで働く音だ。 最近レコードを聴いて、我を忘れるのは、「霊感」を感じる時だ。 「気配」であったり、「演奏家の影」であったり、和音の横溢する賑わいであったりする。 全部の音があっけらかんと完璧に出ていているときは、霊感は出てこない。 気配が出てくると、音楽は楽しい。 気配の先には音色がある。 その音色が気配とつながって、俄然精気を帯びてくる。 音色の妙は、周波数レインジが精妙にバランスされて初めて漂いはじめる。 伊達に音色は出てこないし、あっけらかんとした再生音ではひっかかりもしない。