2010年02月07日

オレのガマンもこれまでだ 「オーディオ道って、ナニ?」の巻

最近では流行らなくなりましたが、嘗てはオーディオを「道」と称して何かしら教唆を図るがごとき事柄が見かけられたものです。 このオーディオを「道」とする思想が今でも私達の心の奥底に潜んでいる事は、お客様との話の中や、雑誌の文章でそれとなく感じていました。 私の個人的な意見としてはオーディオを何に例えようと、それは個々の自由であり、とやかく言う問題ではありませんが、その弊害は草花を蝕む虫の如く心を蝕んでいるようにも思えます。 それは、オーディオ装置の構築にあたって最も大切な事柄である合理性や論理性を「道」というイメージに取り込んで変質させ、本来目指す自らの欲求に基づいた理想的な再生音の実現から逸脱させてしまうからです。 「道」の思想は深く私達のDNAに組み込まれており、何かの拍子に突然現われたりして、「道」という言葉を聞いただけでまるで魔法にかかったように思考が停止してしまいがちです。 「道」思想がいったい何時生れ、私達の内に潜んでいるか、その元をたどってみれば、古代中国から伝えられた仙人思想と、我国で育まれていた修験道がもととなり、それが天下泰平の江戸時代に一種の流行として発展していったようです。 元となったのは、老荘思想で、それが様々な形をとり「道」思想が完成され今日まで及んでいるのでしょう。 現在、我国で何々道と名のつく習い事がいかに多く存在するか、ご存じだとは思いますが、これには気をつけなくてはなりません。 何々道と名のつくものは、その修得にあたっては修練と作法が必要になります。 もしオーディオ道として捉えてしまったら、そこに待っているのは修業です。 果たしてオーディオはこの様な修業が必要なのでしょうか? オーディオのプロならば修業めいたものは必要かもしれません、しかし一個人であれば既存の機器を組み合わせて音や音楽を楽しむのが本来あるべき姿で、何もオーディオを道化しなくても良く、大仰な「道」思想は本質とは異なったもののはずです。 くれぐれもこのオーディオ道なる思想に近づかないでください。 さらに「道」を主張される方にも充分注意された方が良いと思います。 オーディオを「道」としてしまったら、そこには必ず修練と作法が求められる事となり、せっかくオーディオという楽しい遊びを修業化しかねず、何のためのオーディオかわからなくなってしまいます。 もっとも自分自身を虐めたい傾向の気質があるかたは、話は別ですが。 また、オーディオ道と同様にオーディオ芸術なる言葉も見る事がありますが、そもそも他人の作った機材を好き勝手に組合せ、得られた再生音を芸術であるが如きに表現されるのは、真摯に芸術に取り組んでいる方に失礼に当るのではないでしょうか。 P1000034およそ芸術作品とは、人類共通の普遍性とある程度の公共性を持つものでなければならないはずで、自らの欲する音が表現出来たからと言って芸術であるかの様に持ち上げるのは、オーディオの本質から見れば的外れとしか思えません。 オーディオはあくまで個人それぞれが楽しめば良く、それがどの様な再生音であろうと本人さえ満足できれば良しと、それだけのことなのです。 以上T氏


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