2010年02月14日

オレのガマンもこれまでだ「ステレオ(ステレオ的定位)の録音って ナニ?」の巻

ステレオとは天然自然なものではなく、徹底的に人工物である。 録音技師がセッティングしたマイクを通して送られてきた信号を、生かすも殺すもミキサーの技量とセンスにかかっているからです。 私の愛聴盤のオーティス・レディング(劣悪な日本盤)でオーティスの定位等はボーカルが中央にあるべしと信じている方からみれば神経を逆なでされるような録音方法です。 オーティスという人はかなりのオーバーアクションでシャウトして歌うので、このレコードでは右へ左へ、時には屈んだり伸び上がったり、歩き回ったりしており、動かず中央で録音していたのでは無かったようです。 ここまで派手に動くとさすがに録音する方も匙を投げたらしく、ステレオ再生にとってあまり良いとは言えません。 仮に中央に無理やりパンしても人工臭が強くなって、さらに不自然になるのでやめたのだと思いますが、これをミキサーのセンスだととるか、サポタージュととるかは聴く側に委ねられます。 このようなレコードでも発売中止にはなっておらず、リスナーはこういうものだと納得したのだと思います。 また7〜8年前のCDで10代の若者に人気の女性ボーカルの映画主題歌の録音では、驚くことに当時私が使用していたアルテックの大型スピーカーからの再生音は、ボーカルが中央に定位せず、スピーカーとスピーカーの間にその距離分だけ広がるというものでした。 試しに友人のミニコンポで聴いてみると普通に聴くことが出来たのです。 多分、販売対象が10代の若者に限定され、ミニコンポを想定し、空間定位させなくても問題ないと発売元は考えたのでしょう。 CDステレオ再生には、映像とシンクロした音楽ソフトがもっとも効果的であり、映像と同時性を保つのが有効なのです。 エリック・クラプトンの『アンプラグド』をLDとCDを聴き比べるとそれが実感できます。 LDの場合、映像とシンクロさせるため定位は映像と同じ位置にあり、フレームアウトしてもそのままです。 しかしCDの場合、音源は同じでも定位は異なり、音量もLDと違います。 LDはリアリティがあるから映像と音楽を一致させなければならず、CDは映像がない分リアリティを出すため音をいじることになります。 結果的にCDのほうが良くありませんでした。 CDで聴くエリック・クラプトンのギターはLDに比べるとかなりヘタクソに聴こえてくるのです。 この場合LD、CD共、同じミキサーが作業したのかはわかりませんが、ステレオ録音とはあらゆる音をいじらなければ成立しないことは理解できます。 レコード録音でも、モノーラルに比べて音の処理はかなり複雑にならざるを得ないのです。 しかし、ステレオ録音にはマルチ・トラック録音という強い味方があり、定位の確定や位相、音場の反転、転移、時間軸等その気になれば何でもできるわけで、ミキシングはミキサーを操作する人の音楽についての知識と良心が求められることになります。 これには予定調和が不可欠でそれぞれの音を言語化し、レコードとして形成します。 音楽的に言語化にするのは、暗号化することでもあり、その意味を読み取ることが出来ない人には何の効果ももたらしません。 経験があると思いますが、自分がこんなに良い音楽と思っていても、友人や知人にはまったくその曲の良さが理解できない。 これは、暗号化された音楽がその人達には働かず、解読し得ないからです。 しかしながら、暗号化された音楽には二重の意味を持つことも忘れてはなりません。 一つは音楽の核となるべきもの、もう一つは音楽を音楽として成立させるために必要なその他のもので、この第二のものが含まれるのが定位であり、ホールトーンであったり、時にはノイズでさえあるのです。 この二つのものが合成され、解読し聴く側には、ある喜びが届けられます。 この部分のこの音の意味を自分だけが知り、楽しむ事をひそかに喜んだり、反面音の良さが判らない人に毒づいたりします。 私のように。 
この巻つづく 以上T氏


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