2010年04月25日
ハイ・フィデリティ 3
1920年代半ば米国、トーキーサウンドシステムと電蓄が産声を上げました。 満を持して出現したのか、見切り発車なのか、昔の事ではっきりとはわかりません。ある程度、見切り発車的であったと思います。 全てに万全を期していたのでは研究の成果の到達地点が不明確になってしまい、どこかで踏ん切りをつけなければならないからです。 この時代の研究に関するものを読んでいると、いつもしっくりこないのです。 現在から過去を見下ろすような感覚で書かれているために、本質的なところが不明確になっているのです。
当時の技術開発者の立場で考えなければ、物事の本質は見えてきません。 パイオニアでした、彼らは。 前人未到の地を切り開かなければ、何もありませんでした。 今の私たちと彼らとは、不知と既知という異なる立場に立っています。 知っているということは失敗を予知できるということ、その時点で思考は停止してしまいます。 知らないということは、失敗が何によって起こり、何を意味するかと考えはじめます。

技術者達は失敗からたくさんのことを学びとりました。 失敗は成功でした。 電気的拡声における電気の振舞いの在り方が見えてきたのです。 不知力には前例とすべきものが無く、何も制限を受ける事はありません。 壁を乗り越えるために、独創的な方法が次々に考案されていった結果でした。 彼らが集中的に実験したのは次のことでした。 信号電送時の過大入力信号によるオーバードライブとエレクトリック・ディストーションの発生。 当時のアンプリファイアーのほとんどが直面した問題でした。 どのくらい入力信号を送ると歪みは発生し始めるのか、入力と出力比の加減で音がどのように変化していくのか、それが再生音の効果にどのような変容をもたらすのか?などなど。 再生音とオリジナル音源との差異の在り方についても、広範な分野で、徹底的な研究と討論が為されました。 電気的な歪が人間の生理的な聴覚にどのように作用するかは重要な研究課題でした。 歪みというものは必ずしも人間に不快なものばかりでは無く、上手く利用すれば良好な効果をもたらす。 ここで、電気的な歪とはその対極にある、音源に厳然として存在する自然な歪みについても言及しなければ、話は前に進みません。 この歪みは、実際の演奏会でしばしば皆さんも経験することがあるはずです。 演奏会の音は必ずしも快い音ばかりではありません。 不協和音が続くと聴覚的にかなりきつくなります。 それでも不協和音がやっと解決して調和音になると、人間は大きな感動を得ることができます。 もちろん、楽器自体からも歪は発生します。 このような現象も一緒にレコードから取り出して、耳に快適な再生音を実現するには自然の歪みと電気的歪みが統和しなければ、ハイフィデリティ再生は難しくなります。 歪を容認した上で成立したのがハイフィデリティです。 本来のハイフィデリティとは異なるのでは?と思われるかも知れません。 確かに電気的な歪は原音再生的な思想からすれば何よりも避けなければならないファクターですが。
原音再生とハイ・フィデリティとの差異に大きく関与するのは、人間の感性の捉え方、切り口の違いでした。 当時のハイフィデリティを可能にするために技術者に課せられたもっと大きな問題は、音源そのものに起因するノイズを、人間の聴覚に沿ったものにすることでした。 トーキー時代の映画館音声装置や電蓄からは歪みやノイズが現在では考えられないほどの水準で発生しています。 にもかかわらず現代人が聴いても、心地良く感じられる人が多いのは、技術者たちの失敗と向上のノウハウの蓄積の成果だと思います。 ハイフィデリティはこうして端緒に着いたばかり、その先に、またひとつの壁。 彼らはまたも乗り越えようと研究をはじめます。 それは、人間の聴覚に対する追従性でした。 つづく
以上T氏
『見てきたような』口ぶりでT氏は語っている。
思い込みもあるが、誰も書かなかった真実がある。
彼の語りを聞いて、
悪玉の歪と善玉のひずみという言葉が浮かんだ。
当時の技術開発者の立場で考えなければ、物事の本質は見えてきません。 パイオニアでした、彼らは。 前人未到の地を切り開かなければ、何もありませんでした。 今の私たちと彼らとは、不知と既知という異なる立場に立っています。 知っているということは失敗を予知できるということ、その時点で思考は停止してしまいます。 知らないということは、失敗が何によって起こり、何を意味するかと考えはじめます。
技術者達は失敗からたくさんのことを学びとりました。 失敗は成功でした。 電気的拡声における電気の振舞いの在り方が見えてきたのです。 不知力には前例とすべきものが無く、何も制限を受ける事はありません。 壁を乗り越えるために、独創的な方法が次々に考案されていった結果でした。 彼らが集中的に実験したのは次のことでした。 信号電送時の過大入力信号によるオーバードライブとエレクトリック・ディストーションの発生。 当時のアンプリファイアーのほとんどが直面した問題でした。 どのくらい入力信号を送ると歪みは発生し始めるのか、入力と出力比の加減で音がどのように変化していくのか、それが再生音の効果にどのような変容をもたらすのか?などなど。 再生音とオリジナル音源との差異の在り方についても、広範な分野で、徹底的な研究と討論が為されました。 電気的な歪が人間の生理的な聴覚にどのように作用するかは重要な研究課題でした。 歪みというものは必ずしも人間に不快なものばかりでは無く、上手く利用すれば良好な効果をもたらす。 ここで、電気的な歪とはその対極にある、音源に厳然として存在する自然な歪みについても言及しなければ、話は前に進みません。 この歪みは、実際の演奏会でしばしば皆さんも経験することがあるはずです。 演奏会の音は必ずしも快い音ばかりではありません。 不協和音が続くと聴覚的にかなりきつくなります。 それでも不協和音がやっと解決して調和音になると、人間は大きな感動を得ることができます。 もちろん、楽器自体からも歪は発生します。 このような現象も一緒にレコードから取り出して、耳に快適な再生音を実現するには自然の歪みと電気的歪みが統和しなければ、ハイフィデリティ再生は難しくなります。 歪を容認した上で成立したのがハイフィデリティです。 本来のハイフィデリティとは異なるのでは?と思われるかも知れません。 確かに電気的な歪は原音再生的な思想からすれば何よりも避けなければならないファクターですが。
以上T氏
『見てきたような』口ぶりでT氏は語っている。
思い込みもあるが、誰も書かなかった真実がある。
彼の語りを聞いて、
悪玉の歪と善玉のひずみという言葉が浮かんだ。