2010年06月01日
TD135とTD150とTD126
アイドラー型とベルトドライブ型の根本的な相違について今まで書かれたことがあったでしょうか。 私は読んだことがありません。 我国のオーディオ関係者がアンプリファイアースピーカー至上主義者であり、レコードプレイヤーの音楽的表現力とそれにかかわる回転運動系の相違が、いかに大きくレコード再生で音楽の深さの表出にかかわるかについてほとんど注意を払ってこなかったからです。 ではその相違とは何か。 アイドラー型プレイヤーでは、アイドラーに到るまでどのような回転機構が用いられたとしても最終段にアイドラーを使用する限り、その回転力はプラッターを押す力であり、ベルトドライブ型プレイヤーは原則としてプラッターとベルトで引く力で回転します。 アイドラードライブではモーターから発生するノイズ振動やそれに伴うさまざまな音楽表現に必要なある力を同時に押し出しているのですが、ベルトドライブは自らの回転に伴う振動(これはプラッターの質量により可変される)を再び回帰させてしまう働きをしており、それらの可変ノイズ成分を引き受け解決し、新たな力をプラッターに送り届けるにはモーター自身があまりに小さいためモーターは常にノイズまみれ状態にあります。 高SN比に加え、アイドラー型特有ゴロが無いにもかかわらず音楽が生きてこない原因のひとつがこれです。 解決策としてベルトをなくすのが一番ですが、それではベルトドライブ型でなくなってしまいます。 私が宿命と言うのはこの様な自己矛盾が種としてベルトドライブ型には厳然と存在しており、それがTD150とTD126といった機種に象徴的に顕れています。 周波数特性的にはフラットで広帯域な再生音をいかに表出しても、特性の改善のみを考え多量にNFBをかけたアンプリファイアーに見られる、眠ったような音というかプラスティックな音とどこか似たところのある再生音を聴かせることがままあるのです。 ここで疑問なのは、TD135がTD150やTD126ベルトドライブプレイヤーと比べ鮮烈な切れ込みのよい、真に音楽性の高いレコードプレイヤーなのに生産を終えてしまったというトーレンス社の決断です。 単にコスト面をその理由とするには、必然性が希薄です。 TD135の場合TD124とモーター等共通のものも多く、固有部品は鉄板プレスシャシーとストップ機構、センタースピンドルくらいで、TD124と比較すればコスト面での不都合はなかったはずです。 当時のオーディオ愛好家の音楽再生の志向変化、トランジスターアンプの本格的音楽市場への参入、カートリッヂの軽針圧化が大きな要因とも考えられます。 特にトランジスターアンプの参入は真空管アンプのようなノイズと音楽成分を取りなして再生する力が不足しているために、アイドラー型プレイヤーのノイズ成分を可変出来ずそのままノイズとして出す傾向を考慮したと思われます。 特にTD135の鉄板プレスシャシー自体の共振成分が、モーターゴロやアイドラーゴロ成分に乗りやすかったことが大きな要因でした。 このような反省からTD150、TD126のフローティング構造が採用されるにいたったのです。 アーム、カートリッヂの軽針圧化は、トーレンス社をしてベルトドライヴ機の市場への参入を急がせる一因となります。 軽針圧のカートリッヂは再生周波数帯的にレンジ拡張は出来ても、音楽の骨格となる基本的な音の形より、枝葉から葉の葉脈まで表現しようとする傾向がしばしば見られ、トランジスタアンプの平滑でフラットな周波数レスポンスがTD135の音楽再生力にとって逆の力として働いてしまい、あたかも聴覚的な歪み感を伴っているように聞こえてしまうのです。 トランジスタアンプが成熟する1970年代になるとTD135は時代遅れのプレイヤーであり、ベルトドライヴ全盛時代の到来と共に市場から退場を余儀なくされました。 TD135は決して劣った製品ではないことをご紹介する意味でも今日のオーディオにおける社会的な流行がキーワードになります。
はやり、すたりの過程でリバイバルを繰り返す今日、我国の真空管アンプリファイアーの復興ぶりは1960年代後半〜1980年のトランジスターアンプ全盛時には想像できないものであり、その影響で海外でも多数の真空管アンプが作られるようになりました。 この流行が、かつてトランジスター時代には時代遅れと思われていたフィックスド・エッジのスピーカー達に光をあて、その存在価値も著しく高まっています。 ガラード301やTD124もまた、この流れによって蘇った製品であり、TD135が再びその力を蘇らせる事も決して不自然なことではありません。 真にアナログレコード再生に的を絞った製品は現在にあってもそれほど多いとは言えません。 しかし、これからはだんだんレコード再生に的を絞った製品が増えてくる予感があります。 時代は既にリニアHi-Fiではなくグットリプロダクション、ハイフィデリティになりつつあるからです。 時代的な流行のリバイバルにも問題はあり、当時そのままの性能と再生音が出せたとしても今日に通用するほど甘いものではありません。 時代も違えば聴き手も違い、往年の名機でも今日のリスナーには満足できるレコード再生が得られるとは限りません。 何かしらのプラスアルファがなくては時代に沿うことはできず、時代の醸し出すセピア色はそれなりに懐かしさはあっても、それでしかないのです。 レストア、チューニングが必然として要求され、それにおいて真に今日、往年の名機はその存在価値を得られるはずです。 TD124、ガラード301、コニサー、コラーロ等もTD135にしても、結果はすべて再生音で証明されなければなりません。 その過程で重要な位置を占めるのがTD135にとっては、専用キャビネットであり本体各部のリファインメントとチューニングの是非にかかっています。 また、敷板とキャビネットの相乗効果におけるTD135のダンピングファクター力の強化も重要です。 これによって再生音は生き、今日におけるTD135の存在価値が新たな展開をむかえると確信しています。
以上T氏
レストアは、ただ単に初期性能に戻すだけではなく、今日流通しているハイ-エンド機器では再生できない何かを吹き込む作業だと、T氏のレストアしている姿を見て思う。 ただレストアを真面目にするのではなく、個々の持つ特長を活かすべく作業しているのは、芸のうちのような気がしている。
以上T氏
レストアは、ただ単に初期性能に戻すだけではなく、今日流通しているハイ-エンド機器では再生できない何かを吹き込む作業だと、T氏のレストアしている姿を見て思う。 ただレストアを真面目にするのではなく、個々の持つ特長を活かすべく作業しているのは、芸のうちのような気がしている。