2010年06月14日
CD43型からの未来への提言
今日、小型のモーターで重量級のプラッターを駆動する糸ベルトドライブプレイヤーは完全に種の限界点に達し、もはや進むことも退くことも出来ません。 この現状を打破すべく最近また、ダイレクトドライブプレイヤーが発売されたりしていますが、正直なところ欧米の人達はいつまでマイクロ社の糸ドライブ型やテクニクス社のSP10型ダイレクトドライブ型をベースにした模索品を作り続けるつもりなのか、いい加減にしてほしいものです。 アイドラードライブ型の場合、見た目は同じように見えても、その設計思想と音楽再生への思いはそれぞれ異なっており、共通点としては回転系の最終段にアイドラーを使っているぐらいで、音楽の再生の構築性は建築的で大変独自性の強いものです。 これに比べると現代のアナログオーディオプレイヤーの再生の在り方は、50年代60年代のハイフィデリティHi-Fi時代のレコードをかけると同時代のレコードプレイヤーの再生とは似ても似つかぬ再生を行い、もはや音楽の原風景をまったく変えてしまいます。 このような再生音が生みだされた要因は無共振思想と徹底したノイズ殺し、電子制御にありますが、注目するのがこの電子制御で、なぜ欧米の人々が安易にこの方式を取り入れたのか不思議でならないのです。 日本が得意なエレクトロニクスによる制御は、本来なら負けず嫌いの欧米人は容易く受け入れることは無かったはずです。 車の分野でも我国が真っ先にエレクトロニクス化を成し遂げましたが、それに対して反旗を翻したのは西独のメルツェデス社であり、その言い分は誤作動により人命が損なわれる恐れがあり、その危険を押してまでエレクトロニクス化すべきではないと言うものでした。 オーディオは人命に係わらないからというのであれば、それこそ問題です。 私の知る限り、今までこの電子制御で上手くいった試しがないからです。 ベルトドライブ型もダイレクトドライブ型もダメとなるとこれからのアナログプレイヤーはどうなるのか? 今日、欧米を中心に多くの製品が作られ続けており、今後の方向性を注意深く見届けなければなりません。 何故なら新製品の生きた実験台になるのは、消費者なのですから。 アイドラードライブ型に回帰するのは、基本的にある程度量産しないとコスト的に合わず、現代のアナログオーディオ市場が縮小していては、まず無理だと思います。 もっと少量生産で、アナログレコードプレイヤーとして未来を担うべき型式のものとは、CD43型のようなセンターギアドライブやシャフトドライブ型ではないかと思うのです。 この型式は電子制御や重量級プラッターのお世話にならず、型式、構造によるメカニカルノイズはありますが、現代の技術で充分克服出来るはずです。 なぜなら、過去に欧米や我国で生産されたベルトドライブ型、ダイレクトドライブ型プレイヤーは音楽的再生を行うと言うより、レコードプレイヤーの姿を借りたノイズ探知機同様で、その技術をもってすればギアドライブ型をHi-Fi的特性にも充分満足させる水準まで高めることは可能だからです。 新しいギアドライブは、センタードライブ型にこだわる必要もなく、アイドラー型のように内側や外側に駆動体を設けて、それが目的に叶うなら何の問題もないはずです。 ベルトドライブ型もダイレクトドライブ型もすでに40年も前の形式で、今日でも使っているのであれば、もっと昔のギアドライブ型を復活させても良いではありませんか。 復活させる事により、レコードプレイヤーの本道である機械的なメカニズムと音楽の融合で、いにしえの思想も同時に甦り本来のあるべき姿に。 特に欧米では、本来みずから得意としているはずで、我国はこれらが著しく劣っていたため、重量級プラッターやダイレクトドライブ型を作るしかなかったことを、欧米のユーザーも我国のオーディオファンも肝に命じておく必要があります。 腕時計の世界と同様です。 我が国はディジタル時計を開発して一時的に主流となりましたが、ヨーロッパの職人たちはより高度なアナログ時計を追及して、今日では一歩も二歩も世界をリードしています。 機械的メカニズムと音楽の融合こそ、未来のレコードプレイヤーの目指すべき所だと思います。 それを知らしめてくれたのがトーレンスCD43型というレコードプレイヤーでした。
以上T氏
以上T氏