2010年07月07日

英デッカ社アーク型スピーカー再生音-2

我国の平均的な和室のリスニングルームは音響的にデッドであり、それゆえ反射型のスピーカーは能力を発揮できないと、むかし評論家たちはあたかも常識だとばかりに書いています。 私の本業である建築業から言わせていただくとそれは間違っています。 和室というものは、本来思っているほどデッドではありません。 特に1970年代頃から用いられたラスボード下地の上にプラスターを塗り、京壁風に仕上げられた内壁は、乾くと石同然で音楽的にはかなりライブなものなのです。 見かけはソフトでも実際は石材同様なのです。 天井は通常の場合、ベニヤ板に木目を印刷したもので、ベニヤ合板であり、全体的にはライブです。 オーディオ的に見れば床の畳にカーペットを敷き詰めると丁度よいくらいになり、さらにそれ以前の古来からの土壁と漆喰で仕上げられた壁等も思われるほどデッドなものではありません。 今はあまり見かけなくなりましたが、土蔵や蔵、特に大谷石で作られた建物等もかつてはリスニングルームには最適であると言われていたものです。 この様に我国の居住空間は、皆様が思われるほど音響的に考えても決して劣悪というものではないのです。 ヨーロッパのリスニングルームに対して、ライブ気味でそれゆえ響きやすく、反射型スピーカーを鳴らすのに良いと思われるかもしれませんが、私の経験から言えば、むしろデッドなものです。 スイス・フランス・オランダ等のオーディオマニアのお宅で、柏手を打って残響を確認しましたが、いずれも私達が普段想像するよりデッドなのです。 しかしヒアリング的には大変良く響くのは、天井の高さが我国の2m40cmより20cmほど高く、広さもかなりあり、音が飛ぶためそう感じるのだと思います。 従って音楽的にはデッドであるが、聴覚的にはライブであると考えることが出来るでしょう。 この様な特性を持つリスニングルームで彼らの使用しているスピーカーから室内全体に響き渡る再生音が得られるのかを考察すると、それは音の浸透力が大きいためで、決して音圧レベルの大小ではないのです。 DSC_0016-5このような空間を再生音で満たすには何より室内エアーボリュームをエキサイトさせねばなりません。 しかしそれはアンプリファイアーの出力に頼らず、力ではなく、反応力で動かなければ音を飛ばすことは出来ません。 スピーカーは空間をエキサイトさせるドライバーでなければならないのです。 これを考えていくと、なぜ我国に本機のような反射型のスピーカーが無いか解ってきます。 我国のスピーカーは概ね腰ヌケが多く、それを補うため出力の大きなアンプでドライブする傾向が見られ、それは抜けた腰を蹴っ飛ばして無理に鳴らしていることが通例で、音が空間に充ち溢れることがほとんど無く、それゆえリスナーは、スピーカーの正面に正座して再生音を拝聴するという習慣が身についてしまったと考えられます。 しかしながら、レコードを聴くことにおいて、海外と我国の文化と習慣が違うのも事実です。 一般的な和室をリスニングルーム化するにあたって最大の障害は、甚だ遮音の面が不足するという問題があり、家族と同居する場合、大きな諍いの原因ともなります。 この問題を回避するためなのか、最近ニアフィールドなるオーディオ思想が取りざたされていますが、私としてはニアフィールド等は、CD再生では良いがアナログレコード再生では、あってはならないものだと思うのです。 ニアフィールドの聴き方には、空間と時間を無視したところがあり、再生音の中に頭を突っ込んで聴くこと自体、アナログオーディオとしては不自然極まりないからです。 仮にアナログレコード再生において、ニアフィールドで聴くことは、アナログの死を意味すると私には思えます。 私がニアフィールドを嫌う本当の理由は、その聴き方が美しくないからであり、潔さというものが感じられないからです。 そんなにスピーカーに近づいて、再生音の中に首を突っ込んでまで、聴きたいと言うのであれば、何も改めてニアフィールド等の思想を持ちださなくても、CDラジカセを目の前において聴けば良いのです。 ニアフィールド思想の源流をたどって行けば、私の記憶が正しければ、1970年代中頃から我国に輸入された米国製の小型モニタースピーカーの存在があり、このスピーカーは録音技術者がミキシングコンソールの前に置いて使用していました。 明晰でクリアーかつ大入力に耐え、ヘッドフォンの代わりに使用されました。 我国ユーザーのスタジオ機器コンプレックスのせいで、コンシューマー用として発売され、当時は話題にもなりました。 このような製品が人気を呼んだ裏を読まねばなりません。 そこまでリスニングルームのエアーボリュームというものを無視してまで、何故スピーカーから直接音を聴かなければならないか。 それは当時、我国のスピーカーからは、リスニングルーム内のエアーボリュームフィールドをエキサイトさせるだけの力が無く、音楽再生における白熱化、つまり音楽を燃え上がらせるだけの力が無かったからなのです。 リスニングルームの空間をこのように働かせ得ないのであれば、何もエアーボリューム等は必要無く、それゆえスピーカーに人間の側から近づいて行かねばならなかったのです。 しかしそれが本当に良い事であり、楽しい事なのでしょうか? DSC_0015-5本来私達がスピーカーを使う目的は、音楽がむしろ人間の側に近付いてくれる事であり、その目的の為にこそスピーカーの役割があるはずです。 私がニアフィールド的な思想を本質的に嫌うのはこの点であり、アナログオーディオにとってニアフィールドは死に値すると思う所以です。 ニアフィールドとは音楽を頭で聴こうとするもので、全ての音楽再生をハウス音楽化してしまい、体全体で音楽を味わうという、グッドリプロダクションやハイフィデリティは変質します。 音をリニアとして味わうことしかないのです。 人それぞれですが、それでよいのでしょうか? 今回私が紹介した英デッカ・アーク型スピーカーについて、改めて考えていただきたいと思います。 このスピーカーは、ニアフィールドの持つピンポイントの定位は、二台を使用したステレオ再生音で、全くと言ってありません。そこに展開されるのは音楽そのものであり、ステレオ的な定位感は二次的な物に過ぎなくなっています。 そしてリスニングルームいっぱいに音楽そのものを展開してくれます。 このスピーカーでは、スピーカーの正面に座ってステレオを拝聴するという行為は、もはや無意味なのです。 音が遊んでいるという現象、リニア性はスピーカーユニットのみが請け負うものでしかないのです。 リニア的に聴くニアフィールドと本機のような拡散型のどちらかの再生音を好むかは、ユーザー側の嗜好性に委ねられ、私がとやかく言う事ではありませんが、どちらが現実に音楽を楽しむにあたって豊かであるかと言えば、確実に本機のようなスピーカーの方が豊かであると私は思います。 現代のスピーカー達が、概ねステレオ効果を狙いすぎ、しばしば音や音場がスピーカーの後方に展開しすぎる傾向があり、リスナーからは音が逃げ続け、従って聴き手は音を追いかけなければならなくなります。 これは実際私が経験した事ですが、その逆位相的音場やヴァーチャルな音像のあり方がやや病的であると思うのは私だけではないと思います。 スピーカーの位置をミリ単位で動かして虚像を結ばせる。 それで音楽に果たして自然に入り込んでいけるのでしょうか?  これについては、また改めて書こうと思います。   
この項おわり
以上T氏


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