2010年07月23日
大出力アンプによる現代スピーカー駆動の問題点
現代の中型や小型のスピーカーは能率が低いため(80db台)、大出力のアンプでドライブするのが通例のようですが、果たしてそれでよいのでしょうか。 かつてのスピーカー達(現代スピーカーと基本理念が同じ)は、今のスピーカーのように大出力を要求するものではありませんでした。 例え今日のスピーカーと同じ能率や同じ形を有していても、源は電気信号の質に反応する要素を失っておらず、アンプ側の出力が増大したからと言ってそれがそのまま性能面や音楽的なものと直接結びつくことはありませんでした。 従って伝達される信号の量的なものが増加したからと言って、直ちに量的なものが質的なものに変化することにはなりませんでした。 現代スピーカーのほとんどは、この様な量的なものの中にある反応力を引き出す質的な信号には反応せず、ただ量的なものに対して忠実に働くものばかりです。 そのために、パワーアンプを自らが再生しようとする音のヴォリュームボックスとして利用しているように見えます。 ヴィンテージアナログ時代のスピーカー達のように、自らが発動するに当たって可変されたわずかな電気信号に反応して動作するというものとは根本的な相違があります。 さらに、このような大出力アンプから供給されるエネルギーは、一体何処で消費されてしまうのかということに疑問を持ちませんか? それは道理的に見ても明らかに過入力であり、余剰なエネルギーが必ず何処かに残るか逃げるか悪さをするはずだからです。 どう考えてもスピーカーが大出力アンプから伝達されたエネルギーを再生音にすべて使い切っているとは思えません。 何処にあるかと考えてみると、やはりスピーカーに蓄積されていると考えるのが妥当だと思われます。 蓄積量が増大すれば、必然的に一定量を超えれば放出されることになるはずですが、私たちにはそれを見ることも出来ませんし、聴くことも出来ません。 だからと言って無いとは言い切れないのです。 それは見ることも聴くことも出来ないか、空間にエーテルの如く充満していると考えることが出来、それはパイプオルガンの重低音の様に、聴こえないが感じることが出来ます。 これこそが大出力アンプで、小型スピーカーを力ずくで駆動した時の再生音にある種の圧迫感とむなしさが生じる原因ではないかと思えます。 それは私の体験上言えることなのですが、このような組み合わせで得られる再生音は、聴き終わった後の音楽的な感動や充実感が得られたためしがなないのです。 一方、ヴィンテージオーディオスピーカーで得られる感賞は、白熱電球が限界に達した時に、切れてしまうのを見るような、ある種の爽快感であり、これが生じるとああ良い音楽を聴いたと感じるのです。 現代のスピーカーで、このような感動が生じるのは極めてまれであり、多くは嫌な残尿感が残ります。 エネルギーの行く先は、こればかりではなく、スピーカーが音量の増大される際に一緒に放出されるのではと考えており、その音はやや圧縮されたものとなるはずで、その音は飛びづらいと考えられます。 何故かと言えば、スピーカーから音が放出される際には、音自体は拡張されたもので無ければならず、圧縮から解き放たれなければ音は飛びません。 従ってスピーカーから出た音に圧縮がかかっているということは、本来スピーカー側で圧縮が行われなければならないはずが、そのまま未整理のまま出てしまうことになり、大変具合の悪いものとなってしまいます。 このことが使用者にしてみれば、ラウドネス効果を及ぼすことになり、さらに音量を上げざるを得なくなりますが、そうするとさらに聴こえづらくなります。 さらにこの現象を促進するにあたって重要になってくるのが、スピーカーバッフル面積の少なさと音の廻り込みの早さによる影響です。 まず見えず聴こえない音がぐるっとスピーカーの廻りを取り囲んだスクリーン上にスピーカーから廻りこんできた音が移ると推測でき、しかもこの廻り込んだ音は安定していないので、プログラムソースにより千変万化してしまい、空間定位力はかなり不安定になるのです。 つまりサッカーの無回転シュートと同様に常に揺れ動いているのです。 この不規則な音の揺れは、音場自体を不連続に成形し続け、これが素人の人にもめまいや吐き気を覚えさせてしまうのでしょう。 さらに良く聴けば、フォルテにおいては常にある程度の圧縮がかかり、それがディストーションを呼び結果的にリバーブがかかってしまい、原理的に見るとHi-Fiっぽいギターアンプスピーカーと化します。 しかし現代のスピーカーは紛れもなくHi-Fiであり、ギターアンプスピーカーと同等とみなすことは出来ません。 リバーブやエフェクトがかかったような、後方定位重視の音像定位と目まぐるしく変化する音場は、まさにカラオケサウンドそのものではありませんか。 名器と呼ばれるスピーカーの中にも、このカラオケ的な鳴り方をするスピーカーがあります。 タンノイ社製オートグラフです。 オーケストラの再生では前方に放出される音像とエコー成分が分離して、エコー成分が後方に取り残されたと聴こえる時がたまにあります。 この現象が発生するのは、前方へ放出される音が早いためキャビネットの位相ズレ(これはプログラムソースにより変化する)と一部の板材が鳴くためです。 ただ、オートグラフの場合、こうした問題はわりと早く解消します。 オートグラフはコーナー型であり、音そのものを全反射してしまうからで、現代スピーカーのもたらす不自然さとは根本的に異なるのです。 同じカラオケサウンドでも、本質にある様相自体は別物なのです。 現代スピーカーの再生音の傾向の変化は、CDが誕生した頃からで、それは再生音だけでなく形にも表れています。 現代ハイエンドと呼ばれるスピーカー群の奇抜なデザイン(少なくとも私には)は、アナログオーディオではあまり見かけることがありませんでした。 アナログオーディオの後期には、リニアフェイズ型のスピーカーが出現しましたが、その型はおおむねボックス型であり、今日のようなカタツムリのお化けや百目小僧や、墓石のようなデザインのものは、ほとんど見かけませんでした。 このことを考えれば、今日のスピーカーは、CDの再生に主眼が置かれたものであり、アナログレコード再生はおまけと考えた方が良いと思います。 何しろあのような型ではアナログレコードの再生としては、極めて特殊な形の再生とならざるを得ませんし、ましてハイフィデリティ時代のモノーラル盤の再生となると、音場の構築型が根本的に異なってしまい、まず良い結果は得られないと思われます。 現代スピーカーについては、ここまでダイナミック型スピーカー型について書いてきましたが、コンデンサー型についても述べておかねば不公平なので、一通り書いてみようと思います。 コンデンサー型の代表としては、クォード社のものがあり、マーティン・ローガン社のものも我国のオーディオファンには好評を博しています。 この形式は、比較的レコード再生において、破綻をきたさないと考えられています。 何故ならバッフル効果があるからです。 コンデンサー型自体の平面がバッフルとして有るからです。 それよりも重要なのは、そもそもコンデンサー型は初めから能率が低く、ある程度以上の音を出そうとすると、必然的にある程度の入力を要求することで、コンデンサー型にとってアンプ側からの出力の増大は自然であり、必然であったということになります。 これを今回のダイナミック型スピーカーと比べてみれば、ダイナミック型の歴史とは、能率が年々低下していく歴史であり、逆にコンデンサー型は能率が上がってきています。 このままいくとダイナミック型は、能率80dbを切ってしまいかねず、アンプリファイアーは1kw級のものが必要になってきかねません。 スピーカーと呼ばれるモーターのために、ユーザーは自宅に発電所たるアンプを設置するはめになり、おそろしく使用者にとって不健康であることには違いありません。
以上T氏
以上T氏