2010年10月29日

オレのガマンもこれまでだ 第二章その柒

リビルトの時代
最近、痛感していることがあります。 現在使用されているヴィンテージ機器が調整、整備、レストア等の修理、修繕の作業工程ではどうにもならない状態になっており、完全分解、再組み立てというリビルトでなければ、元の状態にはならないことです。 グレイで行っているのはレストアではなく完全にリビルトです。 レコードプレイヤーは機械仕掛けであり、余程の事がない限り、ほとんど元の状態くらいにはなります。 TD124の場合、いじり代があるので調整によってオリジナルより格段良くなることも可能です。 これがアンプリファイアーとなると、電気部品で成り立っており、モーター以外ほとんど電気を必要としないレコードプレイヤーとは違いそうはいきません。 マランツはパーツの半分くらい交換しないと元には戻らず、マッキントッシュのC22に到ってはその複雑な回路構成から、本当に直すのであれば半分くらい内部を分解しなければ劣化部位はわからないそうです。 これがパワーアンプであれば、物量でカバーできますが、プリとなると音質に直結するので、直すには技術はもとより、音楽を良く知っている人でなければ修理不能で、音楽センスのない修理人にいじられると、いかに世界の名器であっても確実に音は死にます。 そのため、ヴィンテージオーディオで製品を高度に復元するには、当時の制作者たちと同等かそれ以上の技術力と音楽センスが必要とされ、レストアではなく再創造、リビルトが求められるのです。 この50年間の技術革新は決して無駄ではなく、それを有効に生かせば充分リビルトが可能ですが、我国の修理に携わる人々はオーディオ製品を動作させることのみ注意を払い、音楽性にはほとんど興味を示さなかったことは、乗り越えがたい壁となっています。 リビルトは、何より技術を超えたところにある自由さによる芸が求められるのです。 ここまでは理想論ですが、実際のリビルトは名画の修復作業と大変よく似ています。 巨匠の隠れた作品を後年の画家により加筆された場合、加筆された個所を取り除き、作品本来のものになるように修復します。 そこで重要なのは、その作品を描いた画家の芸術的狙いがどこにあるか、正しく知ること、それをおろそかにするとその部分だけが魂の抜けたものとなり、作品自体の完成度を著しく落とす事になります。 技術だけでなく芸が必要になります。 あくまでも作者の作品に対する構想目的に沿いながら、作者の技量と同じくらいの技術力を要求されるからで、修復者の意図が作者の描いたものより目立たないようにというやや矛盾したものです。 ヴィンテージオーディオの修復、リビルトでも同様に修復者の個性が目立ってはいけません。 もし自分の個性を発揮したければ自分の作品(製品)を作れば良いのですが、修理、レストアにおいて、自分の思い込みで勝手にヴィンテージ機器を作り変えてしまい、製品そのものの本質さえも自分流に歪めてしまう修理業者がいるのは残念なことです。 絵画と違いヴィンテージオーディオ製品は、電気製品であり、元通りにリビルトしたとしても、オリジナルと同等のクオリティにある電子部品がなくてはオリジナルと完全に同じにはなりません。 仮にオリジナルパーツを見つけ出しても本来の力を発揮するとは限らず、オリジナルパーツに近いものを使う場合、古い新しいを問う事は無意味で、肝心なのはいかにオリジナルに近似であるか、それを使用することで再生音がいかに変化するか見極める音楽性の有無、極言すればセンスなのです。 オーディオ歴何十年の経歴を誇る人、職人的な技術のみを誇る人も職人魂が頭を硬くしてしまっているのでは、リビルトに向いていません。 エキセントリックな人は物を新しく作り出すほうが向いています。 人間嫌いもダメです。 それは音楽とは人間が作り出したもので、リビルトにおいて再生音が冷たい冷酷な音になってしまうからです。 それではリビルト作業に向いている人はと言えば、人間嫌いではなく、機器に愛情を持って、正直であること。 正直とは、お金、自分、機器、依頼者等に対してか、リビルトするその人の考え方により、依頼するユーザーにとっても重要な問題です。 修理業者の人間性を良く見極めて、その業者が誰に対して、何に対して正直かじっくり考えて依頼されることです。 これを怠ると、せっかくの名器が台無しになりかねません。 つづく
以上 T氏



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