2010年11月01日

オレのガマンもこれまでだ 第二章その玖

リニアHi-Fiの負の遺産
我国のリニアHi-Fiについて、相当悪態をついてきました。 今日においてもなお、リニアHi-Fiは、レコードを良い音で聴きたいだけのユーザーはリニア側に引っ張り込まれて酷い目に遭わされているのをずいぶんと見せられました。 今日において我国のリニアHi-Fiは、アナログ部門では減退し続けており、往事の面影はありません。 それに代わって、海外のリニアHi-Fi機器が幅を利かせ、天文学的な価格によって、アナログオーディオファンの数もさらに減少させてしまいました。 海外のリニアHi-Fiの基となったのは、1970年代から始まった我国のオーディオ界の在り方が参考になったことは、今日の海外製品の多くが、我国のリニアHi-Fiのリメイクであるということを知れば明らかです。 これらの現象は我国のリニアHi-Fiの負の遺産を引き継いだとも言え、その被害は膨大であり、このままではいけないと思い、改めてリニアHi-Fiの負の遺産を明らかにしてみることにします。 まず我国のリニアHi-Fi思想のもたらした最も大きな問題は、モノに頼るということで、素材そのものに音の良し悪しを預けてしまったことです。 レコードプレイヤーのゴムシートから始まって、アームの素材に頼り、カートリッヂのコイル素材の是否カンチレバーや針先まで全ての素材頼りでMCトランス、アンプリファイアーも何の素材を用い、どんな高級な抵抗を使っているか等々、スピーカーにおいてもこの素材頼みは続き、特別なエッヂを使ったユニット、強力なマグネット、新素材のキャビネット等、数えたらきりがありません。 最も特徴的なのは、アクセサリー類で、レコードスタビライザーやアンプ用の足、スピーカー用の防振材等の付加パーツの数の多さであり、効果はやはり素材頼りなのです。 ケーブル類も多種多様のものがあり、銀線、無酸素銅だと、声を大にして宣伝していますが、果たしてその効果がどれだけあるのか怪しいものです。 素材に頼った様々な製品が、何故大量に販売されることになったかを考慮すれば、我国のリニアHi-Fiオーディオ機器が、揃いも揃って独立した音色や音楽表現を持たず、ユーザー側が何か足りないから足すというどうしようもない製品であったと結論づけることが出来ます。 しかも補うために素材の力を利用したというのが根本的な間違いのもとで、技術的な不足は本来技術で補うべきものであり、質は質で量は量で補わなければならないのです。 しかしリニアHi-Fiは質(技術力)を量(素材)で補うという恐ろしく安易なことを行ったのです。 それによって多くのオーディオレコード愛好家を落胆させ、屍を曝すことになっても良いと言うのであれば、オーディオの存在自体が問われかねません。 オーディオとは本来楽しみのものであり、幸福をもたらすものであるはずで、多くの犠牲者の上に一部のオーディオ機器製造者が存在するということであれば、そんなオーディオであるなら無くても良いとさえ思います。 補助的な機器を用いて、自ら自己主張をし、音づくりをするというリニアHi-Fiの在り方は、本来ユーザー側が行うことではなく、設計制作、販売者側つまりプロフェッショナルな人達が行うことであったはずで、ユーザー側としては、プロフェッショナル側の作り上げた完成された製品を調整しながら、自己主張(マイサウンド)を表現するのが本来のもので、音づくりとは、製作者サイドで行うべきものです。 それが行えないならプロとは呼べません。 本来プロ側で行うべき音作りを、ユーザーに押しつけてしまったことにより、プロ側は楽になり、『音が良くない』とユーザーにクレームをつけられても組み合わせが良くない、相性が悪い等と理由づけが出来るからです。 最も良くこの特長が現れているのは、様々なオーディオ用ケーブルの存在です。 本来この様な使用ケーブルの選択は、プロ側で行うべきでユーザーが行うことは無いはずです。 昔のオーディオ製品(ロープライス品)には、スピーカーケーブルやシールドケーブルが付いてきましたが、それはユーザー側があれこれいじるより、この品で充分だからレコードを楽しんでくださいという、メッセージが込められていたのです。 残念なことに我国のこれらの品は、お世辞にも良いと言えるものではありません。 そこでユーザー側で、音質の向上をはかる人は何がしかのケーブルに付け変えますが、初めのうちはスゴイ変わったと喜び、暫くすると不満が出てきて新しく買い、これを数度繰り返すとやっぱり機器自体がダメだと考え、新たに他の機器を買うことになったりします。 1950年代の欧米のオーディオ界はどうでしょう。 彼らは素材そのものには頼らなかったのです。 どの様な素材を使ったかは企業秘密で、固有の音色を作る為のアイテムでした。 素材そのものの特性の優秀さに頼るということは、技術力の欠落を表明することに等しく公言しなかったのです。 それは技術者としての矜持であり、恥を知ると言うことでもあったはずです。 ウエスタンのトランス等もウエスタン社としては、製品自体の優秀さをアピールしたとしても、それがトランスのせいであるとは口にすることは無かったはずです。 そんなことをすれば、ウエスタン社自体の技術力が疑われ、信用を失いかねません。 なぜならウエスタン社は技術力を売っている会社であるからです。 英国でもその他の国でも同じで、決して何々を使ったから良い等とは、大声で言ったりはせず、素材の扱いは補助的なものにとどまり、特長として他の製品と区別を図るために使われるのがほとんどです。 物に頼るということは、オーディオ再生装置をも物化することであり、特にシステムコンポーネントの構成では、それぞれの機器の働きをかえりみず、高性能で高価な製品を組み合わせれば、結果的にそれが音や音楽的表現の向上に繋がると、目的付けをユーザーに求めることにもなり、これらのシステムは全員4番バッターを揃えたチームか、指揮官のいない外人部隊のような各機器が己の責務だけ全うすればことが足りる、バラバラな働きしかしない何のためのオーディオシステムかわからなくなって行きます。 ノーアウトフルベースでセンター前ヒットをピッチャーが打者に打たれた場合、ピッチャーは本塁のベースカバーに向かいます。 このプレイを怠れば、もしキャッチャーがセンターからの返球を後逸すれば、全てのランナーがホームに帰ってきてしまいます。 そしてこの様なベースカバーは守備において、内野外野を問わず連携してバックアップを行っています。 このベースカバーとは言うまでも無くオーディオにおける様々な問題を指しているのですが、本来この様な再生におけるバックアップベースカバーのたぐいは、メーカー側で行うべきことであって一般ユーザーが関わることではありません。 日本のハイフィデリティやHi-Fi時代のオーディオシステムは、しかるべく接続すればそれなりの音が出るように、レコードスタビライザーやシールドケーブル、スピーカーケーブル等の音質の是非は、ユーザー側より製造販売するメーカー側の技術力でバックアップしていたのです。 その例として、よくヴィンテージスピーカーの配線材が、あまりに頼りなく細いものが使われたりして、果たしてこれで良いのかとリニアHi-Fi思想に侵された人は考えがちですが、その細い線で良いのです。 それは、メーカー側が吟味して取り付けたものであり、それでスピーカーが良く鳴らないとしたら、スピーカーに到達する電気信号が、スピーカーを働かせるに値する信号を送り込んでいないことを示しており、これを太いものに変えようとするのは、全員4番バッターでなければ気のすまないリニアHi-Fi思想に洗脳されているのです。 以前私が使っていたアルテックの288−16Gコンプレッションドライバーの端子は、30芯以下のケーブルしか入りませんでしたし、JBLの15インチウーファーもそうでした。 ケーブルは太ければ太いほど音楽信号が通りやすいというリニアHi-Fi思想は、その理由がまずわからないと思います。 理由もわからずになんとかして極太のコードを入れようとするのですが、アルテックやJBLのウーファーが、この様なスピーカー単子を使用したのは、ユーザー側へのサービスで、ここに入るだけのコードを使えばユニットは正常に作用するということを示したものです。 ただやみくもに極太コードを使って、信号の量は多ければ多いほど良く、アンプリファイアーの出力は大きければ大きいほど良い等と考えているのがリニアHi-Fiで、信号の可変力等は一切無視しているのです。 確かに音は変わります、変わりますが、それは本当に音楽に貢献している音でしょうか? 力づくの再生音をもたらすオーディオ機器の発展は、今日行きつく所まで来ているようで、スピーカーを、100W以上、時には800W位の出力で駆動しているのを目にします。 この様なシステムの再生音をリアルであるとか、驚異的に静かでSN比が素晴らしい等と言います。 この様なリニアHi-Fiの再生音を何度か体験しました。 それはオーディオではなく、台風の目の中でのこと、その静けさは異様なものとしか言いようも無く、台風の目の外は暴風雨で恐ろしいエネルギーが発生していることは充分に想像がつき、肌で感じるこの感覚が大出力で小型のスピーカーを駆動した時の音とそっくりで、狂気をはらんだものなのです。 この狂気の生み出す音は、無音の中からいきなり音が出現し、現実ではあり得ない異空間の音を出現させます。 このような圧力の中から生まれる音が、人間にとって無害であるとはとうてい思えません。 狂気は狂気を呼ぶからで、こんな音を常時聴いていると気が触れてしまいかねません。 人間はいつまでも台風の目の中にはいられません。 しかしこれこそ、リニアHi-Fiの真の狙いで人間を狂気に落とし込めば、正常な判断が出来にくくなり、天文学的な価格の製品を迷わず買ってしまうことに。 これこそがリニアHi-Fiの最大の負の遺産ではないでしょうか。 オートグラフを20W程度のプリメイン管球アンプで鳴らすのと、800Wで小型のスピーカーを鳴らすのと、どちらが理にかなっているか、正常な判断を持っていれば答えは明らかです。 リニアHi-Fiの狂気性に充分注意を払って頂き、量と物に頼るのは、オーディオ、特にヴィンテージオーディオでは何よりも避けねばならぬこと、理解していただけたと思います。 最後に本文をもって、今後はリニアHi-Fiオーディオ機器については、悪態をつくことはやめることに致します。 リニアHi-Fiの不手について書くよりも、真に有益であるグッドリプロダクションについて書くことの方が、重要事項であるからです。つづく
以上 T氏   



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