2011年01月26日
オーディオ統一理論 19
反応力の時代背景と興亡 5
50年代に入ると米国では、アンプリファイアーの出力が上がり始めます。 この頃から、米国と英国のオーディオと言うものに対する価値観の差が、顕著になるのです。 ハーツフィールドやパトリシアン等のPA、シアター用のスピーカーユニットを用いた大型スピーカーが発売され、それらを駆動することを考慮したと思われる、マッキントッシュのC8とMC30も発売されています。 勢いを得たマッキントッシュ社のパワーアンプは、その後徐々に出力を上げて行くことになります。 一方、英国はこうした米国様式のパワー競争には興味を示さなかった。 米国と英国では、レコード再生による音楽の楽しみ方のスタンスが違っていました。 英国人は本質的にPA的な再生音をリスニングルームに入れるのを嫌います。 そんな事をする奴は野暮天だという社会のモノサシが厳然として存在していた時代でした。 しかし米国の場合は再生音がPA化しても、なんとも思わない。 ゆたかな時代のこの国では再生装置にしてもオーケストラにしても大きい音を出した方が勝ちという風潮が横行していました。 それは本質的なものであるからして、50年代に入って顕著に現れ始め、両者の違いは再生音において、英国ではオーディオ機器と聴き手の個人的な関係となって現れ、米国ではもっと不特定多数の聴き手の存在として現れますが、それはそのまま再生音の成り立ち方としても表出されていきます。 すなわち英国ではオーディオ機器の再生音は、聴き手の心の中で初めて形を成しますが、米国ではまず形として聴き手に提示され、それをどう捉えるかは各々の自由に任せると言う形をとる傾向がありました。 ピストル対マシンガンのような違いでしょうか。 つまり米国のオーディオ機器の再生音は、これといった目標を定めず、適当に打ちまくり、聴き手がそのタマに当たって反応すれば、良しとするという性質のものなのです。 この様な格差が生まれた原因は何だったのでしょうか。
米国ではオーディオ界が市場原理に準じており、メーカー側としてはユーザーが希望し、求めるものを販売提供し、なおかつそれで利益が得られるなら、それが市場の順調な進歩であると歓迎されます。 一方、英国の場合、ユーザーと言うより、技術開発者や販売者側の方が主導権を持っていたところが米国と違います。 つまり知識人や趣味人がオーディオ界を仕切っていたと言えますが、それがエセで無い所がこの時代の英国の素晴らしさでしょう。 そしてこれは、例え一部のユーザーが米国の様なオーディオ機器に需要があったとしても、そうしたものは製造する興味がないというものでもあり、自らの良しとするもので無ければ製造も発売もしなかった。 オーディオ的自己責任感が強かったのです。 米国のオーディオ機器のもたらす再生音が、英国のものと比べて鳴りっぱなしで、責任感が無いのはここにあります。 市場原理に従ったオーディオと個人の趣味性にのっとった、オーディオの違いでもありますが、米国流の無責任な音は、反面自由と言う感覚を聴き手に覚えさせるものでもあり、こうした自由な響きを楽しみたい方には、この上ない優れた製品群でもあります。 米マッキントッシュ社製C8およびMC30の発売により、見た目は急速にアンプリファイアーのハイパワー化が進んだかのように思えますが、本当にそうかと言えば、どうやらそうでもない、火力発電式オーディオと共に、核反応力を利用したオーディオと言うものもまた存在はしていたのです。 個このあたりのところは我国にはあまり知られてはおりません。 その理由は我国のオーディオと言うものが越後獅子とお代官さまが一枚岩となって、オーディオ市場といういびつな世界を作り上げて行ったからです。 しかし米国には越後獅子もお代官さまもおらず、様々な意見も製品も選択購入することが自由であり、あたりまえだった。 この辺りが米国文化の奥深さでもあります。 文化とは見る人によって深くもなり浅くもなる、米国のオーディオも又、文化としてみるなら相当深いものでもありますが、それは多民族性ゆえで、これがオーディオと言うものを固定化せず、ダイナミックな動きを可能にしたのです。 さてここで賢明な英国人が、この様な米国のオーディオをどう思っていたか、ひとつ当時の英国人になったつもりで考えて頂きたいと思います。 英国人にとっては、米国のオーディオの在り方は、面白くなかった、と思えてきませんか? 何しろ当時の英国人にとってはオーディオ植民地くらいの感覚だった米国が、勝手に独立宣言をしてしまったのですから。 しかし臭覚の優れた英国人が、アンプリファイアーのハイパワー化と、業務用シアターPAスピーカーユニットを使った、ホームユース用のオーディオ機器が、米国人の求めるリアリティの希求によって現れるであろうことを、予見出来なかったはずはなく、それをどの様にすれば実現できるかを、それとなく米国オーディオ業界に見本を示そうとした形跡もあります。 それが英ヴァイタヴォックス社のCN191コーナーホーンスピーカーであり、このスピーカーを持って、いわば米国の来るべき業務用ユニットを使ったスピーカーの在り方に、一本釘を刺したと私は感じています。 CN191型の発売は1947年。 ハーツフィールドや、パトリシアンよりずっと前のものであります。 さらにCN191の存在はもう一つ意味もあるのです。 CN191のオリジナルは、米国のクリップッシュ社のオリジナルでもあると言う点です。
ところで1950年代の火力発電式オーディオと、核反応力オーディオにはある共通の悩みがありました、それはレコードプレイヤーの存在です。 火力発電式オーディオでは、可変型プリと協力して、パワーアンプの出力を暴れないようにコントロールする必要がありましたし、核反応式オーディオ側も火力発電式よりも全体の可変力を増大して、核反応力を強固なものとする必要があったからです。 そうした要望に応えて登場したのが、ガラード301であり、1954年〜55年に発売されましたが、奇しくもマッキントッシュ社のC8−MC30アンプリファイアーが発売時期と一致します。 3年後の1957年、トーレンスTD124が発売されますが、この発売年が意味する所は、米国において火力発電式も、核反応式オーディオも、相当のっぴきならない状態になっていたことを示しており、何としても強力なダンピングファクターを持つレコードプレイヤーが求められたのです。 TD124が米国で爆発的に売れたという事情も、この様にして見ると良く判ります。 しかし米国でTD124がいくら売れたからと言って、それが全て世界中のオーディオ界を席巻したと考えては、やはり米国メガネを通して見ているに過ぎません。 英国ではTD124はほとんど売れずにいた様で、英国人がTD124を使うようになるのは、マークⅡの時代になってからのことです。 
英国では、そんな高価なTD124に頼らずとも、強力な可変力を持つフォノモーターレコードプレイヤーがゴロゴロしていたからです。 ガラードは除くとしても、コニサークラフツマン、コラロ、BSR、レンコ-ゴールドリング等が頑張っていました特にコニサーAタイプ初期型モデルは、1950年には既に市場および各スタジオに登場していたはずです。 ガラード301も、TD124も米国で人気を得ましたが、それはとりもなおさず、米国のレコードプレイヤー・フォノモーターに見るべきものが少なかったことを示しており、私達がこの時代のフォノモーターとして目にするのは、レコカット社のものがほとんどで、ヴィンテージとなるとその他はほとんど業務機ばかりであります。 米国は回転系があまり得意では無かったのです。 ガラードやTD124の様に精度と可変力を併せ持った製品を作るのは無理であったと言うことになりますが、それは米国のこと、自分の不得意な分野は得意な奴に任せておけば良いだけのことで、そんなことをしなくても、他に作るものはいっぱいあるのですから、ムキになるほどのこともないのです。 こんな理由で米国では、レコードプレイヤー部門は、ガラード301やTD124等、いわば丸投げしてしまったと言うのが本当のところなのでしょう。
50年代に入ると米国では、アンプリファイアーの出力が上がり始めます。 この頃から、米国と英国のオーディオと言うものに対する価値観の差が、顕著になるのです。 ハーツフィールドやパトリシアン等のPA、シアター用のスピーカーユニットを用いた大型スピーカーが発売され、それらを駆動することを考慮したと思われる、マッキントッシュのC8とMC30も発売されています。 勢いを得たマッキントッシュ社のパワーアンプは、その後徐々に出力を上げて行くことになります。 一方、英国はこうした米国様式のパワー競争には興味を示さなかった。 米国と英国では、レコード再生による音楽の楽しみ方のスタンスが違っていました。 英国人は本質的にPA的な再生音をリスニングルームに入れるのを嫌います。 そんな事をする奴は野暮天だという社会のモノサシが厳然として存在していた時代でした。 しかし米国の場合は再生音がPA化しても、なんとも思わない。 ゆたかな時代のこの国では再生装置にしてもオーケストラにしても大きい音を出した方が勝ちという風潮が横行していました。 それは本質的なものであるからして、50年代に入って顕著に現れ始め、両者の違いは再生音において、英国ではオーディオ機器と聴き手の個人的な関係となって現れ、米国ではもっと不特定多数の聴き手の存在として現れますが、それはそのまま再生音の成り立ち方としても表出されていきます。 すなわち英国ではオーディオ機器の再生音は、聴き手の心の中で初めて形を成しますが、米国ではまず形として聴き手に提示され、それをどう捉えるかは各々の自由に任せると言う形をとる傾向がありました。 ピストル対マシンガンのような違いでしょうか。 つまり米国のオーディオ機器の再生音は、これといった目標を定めず、適当に打ちまくり、聴き手がそのタマに当たって反応すれば、良しとするという性質のものなのです。 この様な格差が生まれた原因は何だったのでしょうか。

米国ではオーディオ界が市場原理に準じており、メーカー側としてはユーザーが希望し、求めるものを販売提供し、なおかつそれで利益が得られるなら、それが市場の順調な進歩であると歓迎されます。 一方、英国の場合、ユーザーと言うより、技術開発者や販売者側の方が主導権を持っていたところが米国と違います。 つまり知識人や趣味人がオーディオ界を仕切っていたと言えますが、それがエセで無い所がこの時代の英国の素晴らしさでしょう。 そしてこれは、例え一部のユーザーが米国の様なオーディオ機器に需要があったとしても、そうしたものは製造する興味がないというものでもあり、自らの良しとするもので無ければ製造も発売もしなかった。 オーディオ的自己責任感が強かったのです。 米国のオーディオ機器のもたらす再生音が、英国のものと比べて鳴りっぱなしで、責任感が無いのはここにあります。 市場原理に従ったオーディオと個人の趣味性にのっとった、オーディオの違いでもありますが、米国流の無責任な音は、反面自由と言う感覚を聴き手に覚えさせるものでもあり、こうした自由な響きを楽しみたい方には、この上ない優れた製品群でもあります。 米マッキントッシュ社製C8およびMC30の発売により、見た目は急速にアンプリファイアーのハイパワー化が進んだかのように思えますが、本当にそうかと言えば、どうやらそうでもない、火力発電式オーディオと共に、核反応力を利用したオーディオと言うものもまた存在はしていたのです。 個このあたりのところは我国にはあまり知られてはおりません。 その理由は我国のオーディオと言うものが越後獅子とお代官さまが一枚岩となって、オーディオ市場といういびつな世界を作り上げて行ったからです。 しかし米国には越後獅子もお代官さまもおらず、様々な意見も製品も選択購入することが自由であり、あたりまえだった。 この辺りが米国文化の奥深さでもあります。 文化とは見る人によって深くもなり浅くもなる、米国のオーディオも又、文化としてみるなら相当深いものでもありますが、それは多民族性ゆえで、これがオーディオと言うものを固定化せず、ダイナミックな動きを可能にしたのです。 さてここで賢明な英国人が、この様な米国のオーディオをどう思っていたか、ひとつ当時の英国人になったつもりで考えて頂きたいと思います。 英国人にとっては、米国のオーディオの在り方は、面白くなかった、と思えてきませんか? 何しろ当時の英国人にとってはオーディオ植民地くらいの感覚だった米国が、勝手に独立宣言をしてしまったのですから。 しかし臭覚の優れた英国人が、アンプリファイアーのハイパワー化と、業務用シアターPAスピーカーユニットを使った、ホームユース用のオーディオ機器が、米国人の求めるリアリティの希求によって現れるであろうことを、予見出来なかったはずはなく、それをどの様にすれば実現できるかを、それとなく米国オーディオ業界に見本を示そうとした形跡もあります。 それが英ヴァイタヴォックス社のCN191コーナーホーンスピーカーであり、このスピーカーを持って、いわば米国の来るべき業務用ユニットを使ったスピーカーの在り方に、一本釘を刺したと私は感じています。 CN191型の発売は1947年。 ハーツフィールドや、パトリシアンよりずっと前のものであります。 さらにCN191の存在はもう一つ意味もあるのです。 CN191のオリジナルは、米国のクリップッシュ社のオリジナルでもあると言う点です。


英国では、そんな高価なTD124に頼らずとも、強力な可変力を持つフォノモーターレコードプレイヤーがゴロゴロしていたからです。 ガラードは除くとしても、コニサークラフツマン、コラロ、BSR、レンコ-ゴールドリング等が頑張っていました特にコニサーAタイプ初期型モデルは、1950年には既に市場および各スタジオに登場していたはずです。 ガラード301も、TD124も米国で人気を得ましたが、それはとりもなおさず、米国のレコードプレイヤー・フォノモーターに見るべきものが少なかったことを示しており、私達がこの時代のフォノモーターとして目にするのは、レコカット社のものがほとんどで、ヴィンテージとなるとその他はほとんど業務機ばかりであります。 米国は回転系があまり得意では無かったのです。 ガラードやTD124の様に精度と可変力を併せ持った製品を作るのは無理であったと言うことになりますが、それは米国のこと、自分の不得意な分野は得意な奴に任せておけば良いだけのことで、そんなことをしなくても、他に作るものはいっぱいあるのですから、ムキになるほどのこともないのです。 こんな理由で米国では、レコードプレイヤー部門は、ガラード301やTD124等、いわば丸投げしてしまったと言うのが本当のところなのでしょう。