2011年01月27日

オーディオ統一理論 20

反応力の時代背景と興亡 6
てんやわんやの1950年代が終わり60年代に入ると、いよいよアンプリファイアーの分野にトランジスターアンプが参入してきます。 60年代の初めの頃までは管球式が頑張っていましたが、米国流の市場原理主義は管球式アンプをオーディオアンプリファイアーの主役の座から退場させます。 この時代の特長は、アンプリファイアーのトランジスター化と、スピーカーユニットのマグネットが小型化し、多くのものがアルニコからフェライト型へまた16オームから8オームインピーダンスへと移行していったことです。 この辺りのことは卵が先か、ニワトリが先かの問題であり、スピーカー自体の反応力が独立したものとして存在しがたくなったことで、反応力はアンプリファイアーに内含されていくことになります。 つまり、出すも出さないもアンプリファイアー次第ということにならざるを得ない時代に入るのです。 60年代は世代交代の時代であり、オーディオにしても、現実社会にしても、伝統が否定され、それまでのものが本来とは異なる使われ方をした時代でした。 たとえば英国のワーフェーデール・スピーカーから、突然ビートルズのプリーズ・プリーズ・ミーが出てきたりとか。 オーディオ的には緩やかな衰退と、変化の時代とすべきものでありますが、一方レコードは完全にステレオ化が実現した時代で、ステレオ音場の登場は、オルソン博士の述べた再生における原音、音楽再生に必要な「何か」を求めるものであったかもしれません。 だが音場のリアル感が向上すると、音色の表現力は少々後退すると言う現象が発生したことも確かであり、この時代のレコードを再生すると時々、音楽の緊張感や凝縮力が急に落ちるようにしばしば感じることがあります。 これは、反応力がアンプリファイアーとスピーカーの相互間で動かず、アンプリファイアーからの一方通行で行使され、アンプリファイアーの制動力がある瞬間消失したりするために、スピーカーの力が抜けることにより発生する、と私は考えています。
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1970年代に入ると、世界のオーディオ界に日本と言う新興国が元気に登場します。 この日本という国は、オーディオの歴史とはまったく無関係に、独自のオーディオを展開して行きますが、急速な発展を遂げていきます。 オーディオバブルが出現したわけで、50年代の米国と似ていなくもありませんが、米国には英国と言うライバルが存在しており、それを自らの鏡として利用することもできました。 しかし日本国の場合は、何処にも自らの姿を映してくれる、鏡の様な国はありませんでした。 英国のオーディオは虫の息であり、米国はかつての力は無く、低迷していたからです。 そこで日本は独自の路線を模索していきます。 そのやり方は英国や米国のオーディオ関係者が目を疑うものでした。 いきなりスタジオ用モニタースピーカーや、PAスピーカーを家庭室内しかも狭小な空間で使い始めたのです。 まさにお代官様の御乱心で、欧米では非常識と思われていることを、何故日本人がやっているのか、その謎めいた行動と不思議な消費行動に彼らは考えざるを得なくなりました。 なぜなら日本と言う国が彼らにとってのオーディオ市場としても魅力的なものだったからです。 そこで彼らは考え、日本を訪問します。 1976年、日本で大規模な英国フェアーが開かれ、その際タンノイのリビングストン氏、クォード社のクック父子、KFFのクック氏が来日しています。 彼らの目的は、日本のオーディオ市場のリサーチでした。 例えばリビングストン氏は、オートグラフが100%日本向けであると述べておりますが、その言わんとする所は、20年以上前のいわば時代遅れのスピーカーが何故日本で売れるのか、確かめに来たと言うことでしょう。 又クック父子は自社のPA用クオード50Eアンプが、何故日本で売れるのかを確かめに来たと明言しております。 彼らを始め、この時期にリサーチのため来日したのは、ほとんど全世界のオーディオメーカーの責任者たちでした。 彼らの目には日本のオーディオ市場は将来有望と映りました。 来日と前後して、モニタースピーカーや日本市場に的を絞った製品を輸出販売する戦略が画策されました。 それらの製品は口にするもおぞましいものであり、私が聴く限り、音の後ろにうすら笑いを浮かべたイギリス人が、「どうせお前らは、この位の音でいいんだろう?」と言っているのが聴こえてくるようです。 それらの製品を我国のお代官様は「素晴らしい、これこそ紳士の国イギリスの音だ!!」と絶賛してしまった。 しかしこの音は見かけ的には良いが、反応力とは無縁のもので、何より音とノイズの選別が出来ず、音楽信号とノイズが一緒に出てしまう、これではクラシック音楽がジミーヘンドリクスの音と同じになってしまう。 当時の重量級プラッターを持つ、ベルトドライブフォノモーターは、反応力などまるで無いので丁度良かったのでしょう。 反応力の無いもの同志がコンビを組むと、ノイズは完全に無防備になってしまい、再生音に含まれるノイズが気になって、落ち着いて音楽を聴くことが出来なくなってしまいます。 そこで入力信号を受けるアンプリファイアーにノイズのクリーン化が要求される。 当時のアンプリファイアーは、ストレートワイヤー化を目指して開発されており、クリーン化を実現するにはノイズを消すという暴力的処理が必要になるのです。 それはレコードと言うものの在り方とは、根本において相入れないものでもあります。 何故ならレコードとはそもそも、ノイズと音楽成分が解らなくなっているからで、ここからノイズ成分だけを取ろうとすれば、音楽成分を削り去ってしまうことになります。 従って再生音は、低音、中音、高音が、それぞれ別々に存在する様な鳴り方をすることになる、何故そうなるかと言えば、これらの音域を接合しているものが可変されたノイズ成分であり、接着剤の役割を果たしているからで、単純な信号クリーニングを行うと、この接着剤を洗い流してしまうことになります。 そうしてノイズが洗い流されて各帯域が独立した再生音を、ピュア・オーディオでありハイファイと呼ぶようになったのが我が国のオーディオ全盛の頃でした。 その様な音を効果的に聴き分ける為に、モニタースピーカーを使ったりもした。 これは精神的なアンビバレンツを招き、聴き手を情緒不安定にさせてしまいます。 ルイスキャロルではありませんが、静かに狂っていくのです。 1980年代に入ると救いの神が現れます。 それはWEです。 静かに狂っていったオーディオファンは、WEの音にびっくり仰天してしまった。 それは彼らが今まで知り得たオーディオとは全く違う、エネルギッシュで人間的で生々しいものであったからです。 彼らはWEの反応力に一発でやられてしまったのです。 この出来事自体が、我国のオーディオと言うものが、いかに本物知らずであったかを示すものでした。 何故ならヴィンテージ時代には、WEの再生様式はごく当り前のことであり、至極当然のことだったからです。 更に別の見方をすれば我国のオーディオは、バランス的には平衡感覚を保っていたともいえるのです。 一方では水力発電式のデジタルCD用アンプリファイアーとスピーカーシステムがあり、もう一方でWEの反応力に充ちた再生音があり、オーディオと言うものがいかに多様性に富んだものであるか実証していたからです。 このお話しはこの辺で終わりにしましょう。 これ以後のことは、皆様も既に充分ご存じのはずだからです。DSC_0072 
グレイでは、ヴィンテージ時代の核反応力に満ちたオーディオ機器をよりすぐって販売します。 たしかに、私たちが販売しようとするオーディオ機器は、リニアHiFiに侵された方にとっては、あまり高品としての魅力に欠けると思われるかも知れません。 しかし、それは解る人だけがその秘所を開くと言う特性を有しているからにほかなりません。 それらの機器は、恐らく我国のオーディオマニア、レコードファンが聴いたことの無いものであり、中には英国人でさえ聴いたことの無い製品もあります。 今日のオーディオ界、特にヴィンテージオーディオに於いては、アメリカ製品が主流で、ユーザーは殆どPA的な音しか聴かされていません。 それはヴィンテージオーディオの市場原理と言えばそれまでですが、およそヴィンテージを扱う店側は、皆様の今まで知ることの無いものを提供し、新しい分野を開拓すると言う役割も当然負わなくてはならないはずです。 それによりユーザーは新たな幸福を手に入れることが出来、人生の充実もはかれるのです。 それは核反応力によるグッドリプロダクションにある、真の力を目の当たりにし、体験していただければ、それだけで決まります。 つづく
以上T氏



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