2011年05月10日
レコードに一言
『ステレオについて一言。 録音制作というものは、現在に至るまで、科学というよりは芸術の分野にあったように思う。 ガイスバーグがレコードを制作した1898年、科学が果たしたのは、ホンの小さな部分に過ぎなかったのは明らかだ。 しかし、これから始まるステレオ時代の録音は科学のコンセプトの中にある。 ステレオレコードは演奏家の定位や動きという、これまでなかった楽しみの再生を可能にした。 しかし、それらがもたらす視覚的要素は、レコードに対してある種、別の注意を聞き手に呼び起こすことになりはしないだろうか。 私たちはステレオ録音の新しい効果にどれだけの注意を払えばよいのだろう? さあ、ここが大事なところだ。 モノーラル時代、私たちは pleasant sound を聞き手に提供するため、あらん限りの努力工夫をしてきた。 しかし、これからステレオ時代が来れば、もっといろいろな pleasant sound が手を替え品を替えて創り出されることになるだろう。 そこで私はひっかかるのだ。 動きや定位に聞き手がより多くのテンションを消費してしまうと、過剰な心理的刺激ばかりに邪魔されて、音楽鑑賞を妨げることになりはしないものか?』
G.A.Briggs "Audio Biographie" (1961 Clifford Briggs Limited, Keighley, Yorkshire)
ステレオLPが世に出た当時、EMI録音技術マネジャーだったエドワード・フォウラーが残したエッセイの最後の部分だ。 ここにレコードと音楽の関わりにある大切なことが書き記されている。 ステレオLPを制作し販売していながら、何か引っかかるものを、EMIの責任者だった彼ははずーっと感じていたのだ。 彼の話は、ウォルター・レッグが英コロムビア社長だった時代に、ステレオよりモノーラルを重んじていたのと重なるものがある。 あれから半世紀以上が経ち、当時のレコードを販売している僕が実感するのは、いかにモノーラル盤に音楽の含有量が多いか、のめりこんでしまうか、なのだ。 実際、この数年、グレイのレコードリストで注文がくるのは、モノーラル盤が圧倒的に多い。 ASD/SAX/SXL/SBよりも、同じ演奏のALP/33CX/LXT/RB番号を購める愛好家がどんどん増えている。 10年前と大きな違いだ。 理由は簡単、聴けばわかる。 モノーラルをよろこんで買ってくれる日本のコレクターに感謝もしている。 最近のCDやPCオーディオもよく出来てきてはいる。 それは、『アバター』を観てホンモノに近くなればなるほど、CGを『ニセモノ』と認識してしまう、あの感覚に似ていないことも無い。