2011年10月17日

美術館へ

シャルダン、ピサロ、プッサン、コロー、セザンヌ、ジェリコー、ドラクロワ、ジョン・コンスタブル、そしてセザンヌにゴッホ、さらにモネにマネそしてドガ・・・。 屋根からの自然光で鑑賞する中央の間。 誰もいない。 すさまじいばかりの静寂の中で。 あたりを見回すと、アルルの精神病院の庭やロートレックの踊り子の白い化粧、マネの酒場のおんなが射抜く視線、・・・・・・・・。 座ってしばらく目を閉じてみるがいい。 画家の魂に圧倒されるがいい。 誰もいない、足音一つしない山の中腹の静けさ。 P1010285興福寺の阿修羅が蛍光灯のさびしい光のもと、誰にも見られずに立っていたのを思い出したりもする。 すがすがしい山の空気、絵に囲まれて過ぎていく時間のゆたかさといったら。 本には載っていない絵が多く、『個人蔵』といった匂いのする絵がずらり。 資産家が棲んでいた邸そのまま美術館になっている。 彼は戦前戦中スイスに逃げ込んできた亡命者から数多くの絵画を買い取った。 そのせいか、歩いていると私物を見せて頂いている感じがぬぐえない。 絵が生臭く、身近に感じるから、不思議だ。 ちょうど、お邸に呼ばれて、まあ、遠慮なく見給え、と大きな扉を開けられたように。 P1010288カフェで、マイヨールの像が立つ庭を見る。 アップフェル・シュトルーデルを大きく切り、アツアツにしてもらって、リキュールを頼んだ。 はがきを何枚か書き、もう一度、邸の中を一巡りして、同じところに気の清むまで、座った。 絵にエネルギーがあるのを改めて思い知らされた。 とここまで書いて、気がついた。 美術館で美術品として展示された絵は、芸術品とか芸術家とかはたまた学芸員の意図を意識させられる、ちょっと知的で雑踏な空間である場合が多い。 よーするに功を成し、名を遂げた絵画たちが芸術としてヒョーカされ認められたものとしてお行儀良く鑑賞される。 しかし、個人蔵のそれには、まず、胡散臭さがある。 これだけの高い質の文化財を資産家は仲買人に命じ、正当な取引とはいえ、あくどい手口で手に入れたに違いなく、泣く泣く手放した亡命者や破産者が見え隠れしたりもする。 それだけではない、こういう風に絵の前に座り、目を閉じていると、芸術家が絵を描いたのではなく、生活臭のする画家がいろんなしがらみや、嫉妬、怒り、逃避、発見といった感情の生臭い捌け口になり、窓と化したタブローにふっと引き込まれていく快感を覚えている。 美術館の雑踏には無かった、絵のもつ時代感が濃密に発散されている。 この時代感、最近CDやPCオーディオの問題点として時代感の喪失が挙げられるのは、まだ何とか人間が本来の感覚を持ち合わせているからだと思う。 くっきりディテールまで再生されるかもしれないが、野太い時代感は失せている。 どちらを取るかは聞き手次第。 もう、いい加減にそのあたりに気付かないと。  いづれにせよ、この美術館にはまだまだ表に出せないシロモノをたっぷり所蔵しているに違いない。 
レマーホルツ美術館は駅前から乗り合いタクシーが一時間に1本づつ出ている、往復で500円ほど。  今回は休館中だったが、ヴィラ・フローラという趣味の良い邸宅の美術館も良い。 数年前に見た、オディロン・ルドン展は、よくぞここまでと熱くなるほどに充実したものだった。
市内に戻り、ユルク・ショッパーに合う。 四年越しでトライし続けたTD124アイドラーホイールがやっと完成した由、うれしそうに熱く語ってくれた。 最後は職人の手作業に還るのだそうだ。 夕食は彼のガールフレンドと三人で、この町一番のレストランへ。 P1010296リバール、マルツィ、ハスキルなどが演奏会のあとによくきていたそうだ。 日本人の奥さんを連れてきた見ず知らずのスイス人に『コンニチワ、ゴキゲンイカガデスカ?』と突然挨拶されたりもした。 彼女はもう7年もヴィンタートゥーアに住んでいるとのこと。 当地のオーケストラの日本人とお友達で、すこしはまぎれるそうだ。 

ところで、やっと本業が一段落したらしく、T氏がオーディオ談義をひさしぶりに再開するので、おたのしみに


この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔