2012年02月16日
TD124 30000番台の謎 2
この謎を解明するために、THORENS社史を調べてみると、どうやらこの現象は会社の経営状態が悪化したために起こったものではないか、と私は推測しているのです。 それをこれから書いてみます。
TD124が製造発売されたのは1957年あたりとされています。 この時点ではまだ大量生産を行える生産体制ではなかったと思われます。 最初期モデルは、組立作業に大変手間がかかる構造であり、量産ラインにのるしろものではなかったからです。 ということで量産体制に入るのは早くても翌年、1958年以降だったようです。 組み立てに確実を期すために、パーツの方向を示すためにマーキングを塗ったり、上下を間違えても同じ先端部のかたちになるように形状を変更したりと、いろいろ苦労のあとがうかがえます。 これらの変更は15000-20000番台で顕著に見られるのです。
そこでまた問題が持ち上がります。 技術水準の高い組み立て作業員の確保です。 何よりTD124は他のレコードプレイヤーに較べてパーツも多く、構造も複雑であり、かなりの精度で組上げることが要求されます。 また、有能な作業員には高給を支払わなければなりませんし、その後も人件費は上昇していったはずです。 こうしたことも一因となってThorens社の収支は当然悪化していきます。 つまり売っても売っても、時には売れれば売れるほど赤字が膨らむ。 1961年を迎えるとThorens社は他の業種であるオルゴオル、ライター、ハーモニカ、そして電動カミソリなど、どれもが下降線をたどり始めていたために、翌1962年同じスイスのカメラメーカーPaillard社(BOLEXブランドで知られる)に買収されることになります。 ここに至って、30000番台の謎が解けてくるのです。 30000番台に至って何故それまで盛んに行われてきた変更が止まったのか。 丁度その頃に買収の件が持ち上がってきたからです。 変更を考えるどころではなかった、というのが本当のところだったのでしょう。 32000番台以降に急に増え始める異なる時期の部品の混入の理由も解るのです。 Paillard社に買収される際、Thorens社はすべての資産と在庫の確認を要求されることになります。 調査の結果、TD124の余剰部品と不足部品が管理され、在庫調整のため部品によっては生産ラインを止めたり、休んだりもしたに違いありません。 同じ生産ラインには余剰な古い部品と不足して新しく製造された部品が供給されます。 こうして30000番台には異なる時期の部品が混在することになります。 つづく
以上T氏
TD124が製造発売されたのは1957年あたりとされています。 この時点ではまだ大量生産を行える生産体制ではなかったと思われます。 最初期モデルは、組立作業に大変手間がかかる構造であり、量産ラインにのるしろものではなかったからです。 ということで量産体制に入るのは早くても翌年、1958年以降だったようです。 組み立てに確実を期すために、パーツの方向を示すためにマーキングを塗ったり、上下を間違えても同じ先端部のかたちになるように形状を変更したりと、いろいろ苦労のあとがうかがえます。 これらの変更は15000-20000番台で顕著に見られるのです。

以上T氏