2012年03月20日
TD124 Mk.2 新たなる挑戦
Mk.1に続き、今度はMk.2についてT氏が多いに語る新シリーズ
TD124Mk.2は1965年頃発売が開始されたとされています。 いつまで作られたか正確にはわからず、1968年にTD125ベルトドライブ型が発売されたことから恐らく、この後徐々にフェイドアウトして行き、部品が切れ次第生産終了ということだったのでしょう。
1965年〜1968年とすればTD124Mk.2の生産台数からすれば、いかに生産ライン能力が上がったとしても2年で4万台というのは少々無理があり、いつまでかというのは諸説あり、人によっては69年、70年と様々です。 表題にある「新たなる挑戦」の意味ですが、日頃聴くTD124Mk.2の再生音がTD124Mk.1に比べてアグレッシブで、時には苛立つような攻撃的な音が出るからです。 この様な傾向はTD124Mk.1には見られない独特のもので、特にアルミプラッターを搭載した7万番台に顕著であり、TD124Mk.2の設計者がいったい何に挑もうとしているのか戸惑うことがしばしばあります。 最近になって、設計者が挑んだものとは、他ならぬステレオレコードそのものではないかという思いが湧きあがってきました。 1965年という年は、ステレオレコードが最後の輝きを放った時代で、内情は老化現象がじわじわ進行しつつあり、録音こそ良くなったが音楽的には落ちてきているのは否めません。 その原因は行きすぎたHiFi化であり、それにより空洞化を招くことになりました。 こうした嘆かわしい時流を何とかしなければとTD124Mk.2の設計者は考えたのではないか。 オーディオ十字軍さながら意気込みみなぎり、それゆえf再生音がアグレッシブで、攻撃的と感じられた由縁では。 しかしこの試みは無残にも打ち壊されてしまいました。 EMTとの合併がすべてをご破算にしてしまったのです。 TD124Mk.2の挑戦は失敗に終ってしまいました。 しかし決して無駄ではなかった。 何しろMk.2は現在も立派に活躍しており、TD124Mk.1初期型のように部品取りに回されることなく全生産数のほとんどが生き残っています。 しかもその個体バリエーションがTD124Mk.1より格段に多く変化に富んでいます。 TD124全体から見れば未知の可能性をもっとも多く含んでいるのがこのTD124Mk.2なのかもしれません。 つづく
以上T氏
TD124Mk.2は1965年頃発売が開始されたとされています。 いつまで作られたか正確にはわからず、1968年にTD125ベルトドライブ型が発売されたことから恐らく、この後徐々にフェイドアウトして行き、部品が切れ次第生産終了ということだったのでしょう。

以上T氏