2013年04月25日

ステレオ効果って?? 2

ステレオ効果の動きを語るとき、避けて通れないのが映画でしょう。 映画のステレオ効果はリスニングルームで発生するそれとは比べられないほど大規模なもので、しかも映像と音が同時進行しているため、観客が聴く音の方向感に曖昧さがあってはなりません。 映画ではほとんどの場合登場人物が動きっぱなしですから大変です。 ですから映画のステレオ再生はオーディオのそれとは異なるものと考えたほうが良いでしょう。 映画のステレオとは、それは立体音場です。 たて・横・奥行きをきちんと設定して、その中で登場人物や音を空間のあるべき位置に映像とシンクロさせて表現しているのです。 それに前に出る音を加えると3Dになります。 映画がここまで立体音場に有り余る技術を注いだのは、ひとえに観客をスクリーンの中に引き込むのが狙いであり、そうして観客は日常ではあり得ない体験を共有して大なり小なりの興奮を覚え、カタルシスに身を投じるのです。 こうしたプロセスで何かを得られない作品は駄作の烙印を押されてしまいます。 観客にしろ製作者側にしろ、映画の中にはいりたいという欲望はとてつもなく強いものです。
レコード再生でこれに似ているが異なるものとして、たとえば聴き手がスピーカーを前にして指揮棒を振って我を忘れている図が挙げられましょう。 実際指揮棒が付いたステレオレコードが発売されたこともありました。 つまり、オーディオ再生の楽しみ方は映画のように音の中に入り込むというより、半歩下がって聴くのがスタンダードな入り方なのでしょう。  体ごと音楽の中にどっぷり浸かれるのはハードロック・メタルバンドのライヴ盤を聴いた時かもしれません、が、これは聴くというより体験・体感する行為に近いといったほうが良いのです。 『聴く』という日本語自体対象形から一定の距離を保っていることを意味しています。 それゆえ、ステレオ再生では左右のセパレイションはどうか、どのあたりに定位しているのか、とやかましく言うのではないでしょうか。 スピーカは演奏者であり、リスナーは聴衆ということになる。 そこで生じるのが実際の演奏会と同じような演奏者と聴衆の明確な線引きです。 しかし、これが果たしてオーディオ再生による音楽の楽しみ方なのでしょうか。 IMG_0581そもそもオーディオ音楽再生とは実現不可能なこと、つまり演奏家をリスニングルームに招き音楽を奏でてもらうことではないでしょうか。 招いておいて、演奏家と聴き手の間に触れることの出来ない線引きをするのは、可笑しいではないか? そしてここに生じるのは演奏者と聴き手の対立です。 つまりいままで行ってきたステレオ再生というのは演奏者と対峙することなのであり、それゆえにリスナーはスピーカーの合到点から動こうとしません。 ここでリスナーがしていることは音楽を楽しむことよりも演奏を監視することなのです。 それゆえに二者の距離感が重要な意味を持っており、近過ぎても離れ過ぎても駄目なのです。 つづく
以上T氏


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