2013年07月08日

創始者と追従者

英国のスピーカユニット用エンクロージャを製作していてまず感じたことは、ユニットを作り上げた人達の真意を知ることがとても大切だということでした。 彼らは創始者でした。 彼らが作るまで誰も作ることはありませんでした。 前例がないゼロから作り上げ、自らの音楽センスと技術力でスピーカユニットは創り上げられたのです。 その意を汲まずにスピーカユニットを素材としてしか捉えず、自ら思うがままにエンクロージャを製作すればエゴイズム丸出しの音が出るのは目に見えています。 これは偉大な先駆者に対する非礼です。 それなのに我国のオーディオ業界やマニアは平気で非礼を犯すのです。 これらの人達は創始者でも先駆者でも無く追従者であるからです。 追従者の常として先人の行ったことに対して、アラを見つけ出すのがうまい。 たとえばTD124のセンタースピンドル軸受底部に分厚い砲金製プレートを取り付けてしまう(さすがに最近あまり見かけなくなりました)。 理由はオリジナルの薄いプレートが強度不足でプラッターの重量に負けてくぼみが生じるためという。 ここでちょっと考えていただきたい。 仮にあなたが、TD124の設計者であったとしたら、5kgあまりのプラッター重量を受けるには強度が不足することは初めから判っていたはず。 トーレンスの技術者は素人でも判ることを承知で、薄いプレートを敢えて採用したのです。 音質のためです。 これでなければならないと考えたのです。 それゆえ、誰にでも欠点と判ることを敢えて実行したのです。 分厚い砲金製プレートでは音はキンキンカンカン、奥行きも極端に浅くなり、ハーモニクスは薄く音の数が減ります。 これを音がしまるだの、はっきりくっきりするといって砲金製がオリジナルの薄いプレートよりも良い結果が得られるとおっしゃる方がいる。 そうでしょうか。 確かに音は変わるでしょうが、良いほうに変わるのでしょうか? 少なくともグレイでレストアしたTD124では砲金製プレートを取り付けると、音質面で良い結果は得られたためしがありません。 
こうした事例は英国のオーディオ機器においては例外なく見られます。 当時の英国製アンプリファイアにおける一見チャチなボリュームや合理的でない配線の仕方、強力なマグネットを持ちながら耐入力が小さいスピーカユニット。 これはすべて音質のためになされたことなのです。 音質を優先すれば、これでなければならなかった。 タフなアメリカの製品からは決して得られない音楽的な表現力のために。 だが、追従者はこれらをTD124のプレート同様に欠点と捉えてしまうのです。 そのためヴィンテージアンプのボリュームがちゃちで耐久性もなく性能が良くない(ガリが出る等)として日本製の高性能な品と交換する、結果、音はダイナシになります。 英国製のアンプに最新のボリュームを取り付けて、音が死ぬのを何度も見てきました。 それでも追従者は音が良くなったと考えます。 元の音の何たるかを知らずに。 アームの接続ケーブルをグレードアップと称して取り換えたり、スピーカのネットワークではオリジナルを外し自作のものに変えたり。 他人が作ったスピーカシステムを安易なイマジネーションで改造するくらいなら、自分で一からスピーカを作ればすむことではないでしょうか。 入念に振動を考慮したデザインのレコードプレイヤに本来あり得ない重量級のキャビネットで固め、防振グッズをベタベタと貼りつけるようなマネをする。 ダ・ヴィンチのモナリザの背景がぼやけていて良くないから、もっとハッキリクッキリした方が良いと加筆することと同じ行為を意味します。 つまり追従者は自らダ・ヴィンチと同じレベルかあるいは上であると思っているのでしょう。 これが追従者のうちうちで行われているなら問題はない、所有者の権利の行使になるのですから。 しかし、彼らにより不当に改造されたヴィンテージ機器が市場に出るとなれば話は別です。 何も知らぬユーザー(ほとんどの人)がこれらの品を入手し期待に胸ときめかせ音を出した時、オリジナルとはかけ離れた無残な音が出る。 そんな音を本当のヴィンテージ機器の音として認識してしまったら、ヴィンテージオーディオを指向する人たちにとって不幸以外の何物でもありません。 ヴィンテージオーディオ機器は50-60年前に製作されたものがほとんどです。 したがって何らかの修理か今日の基準に沿うような改造も必要になってくるのも事実です。 寿命の尽きたオリジナル部品(キャパシタや抵抗)に固執するとアンプリファイアがどのような酷い音を出すか私は良く知っています。 どうすればよいのでしょう。 簡単です、創造者の意思を尊重することにつきます。 彼らが何を目指したかを知ることです。 そこから、論理的帰結(人間的な共感に基づいた)として得られるものに従うだけで良いのです。 その結果、たとえオリジナルと多少変わったところがあったとしても、創造者の本質から外れる事がなければ、彼らから文句は言われないと思います。 いやもしかしたら、おまえは良くやっている、私たちが目指したところを良く体現していると褒めてもらえるかもしれない。 何もヴィンテージオーディオの販売者や修理屋さん等、いわゆる業界の方々だけに限定されるものではありません。 消費者側であるユーザーにも責任があります。 今日ヴィンテージオーディオのユーザーは、所有者であると同時に管理人でもある。 RIMG0302機器の状態を良好に保ち次世代に引き継ぐ、という使命を負っているのです。 ですからユーザー側にしても追従者に落ちぶれてはなりません。 創造者に敬意を払うこと、それこそが品格ある所有です。 それがユーザー自身を守る盾だからです。 見栄ばかりの人の音はやはり見栄ばかりの音がするものです。 追従者に落ちてはなりません。 つづく
以上T氏


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