2013年09月14日

再びカートリッヂの音の粗さ 最終回

音の粗さが指し示すもの
今まで使っていた現代の高級カートリッヂをシュアM44に交換したと仮定しましよう。 この場合、音が荒れてしまいサウンド的に古臭い音になる確率が高い。 「ああ、やはりシュアM44は安物のカートリッヂで、私のような高価オーディオシステムに使うべき品ではなかった」というのが今までの常識でした。 だが、賢明な方はもうすでにシュアM44がオーディオシステムに対して、どのように働くか知っておられる。 そして直ちに言ってのける。 音が荒れるのはM44に接続したオーディオシステムが良くないのだと。 こう主張したとしても、その言葉には読み解く力がありません。 今までの高級カートリッヂでは良かったのにM44に替えると音質が悪くなる。 その原因の論理的根拠がどこにもないのです。 しかしM44の優秀性についてはこのカートリッヂについて何度も書いてきた以上、この現象の意味する所を繰り返しになりますが説明しておきます。 この現象を理解するには、M44以外のオーディオ装置が働いていないか、あるいは働いていてもそれぞれが個別に働いてしまい、全体として信号に対する反応力が欠落していると捉えてみることです。 M44の本質はオーディオシステムに対する追従性にあるからで、きちんと働いておりそれが上質なものであれば、高級カートリッヂに劣らない音が出るのが自明のことだからです。 では高級カートリッヂではなぜ上手くいくのでしょう。 これもカートリッジ以外誰も働いていないからです。 働かないからカートリッジの能力や音色が直接出てくる。 それだけのことです。 しかしこの様な装置ではそれくらいの音しか出ない。 カートリッヂだけが働いても他は何のもしないとなればレコードを暗号体として実証できないし、翻訳も解釈も出来ない。 これはアナログの再生のやり方ではなく、デジタルのやり方です。 それゆえ、真のアナログ再生が叶った時の音が百花繚乱し、聴き手がめまいを起こすほどの音楽的感動や音数の多さによる緻密な音の快楽等は望むべくもないのです。 このようなカートリッヂのみに頼った音は音が切れないのです。 すべての音が粘着質の糸で結ばれたようなもので、音が切れるのは無音ミゾの時だけ、音楽が鳴っている時は音楽そのものに内蔵されている音の間が出てこない。 これが出てこないとリズムが生まれない。 リズムは音にダイナミクスの頂点が切れなければ、リズムとはなりません。 カートリッヂそのものが音を拾うというより潰しているということに他ならないのです。 現代の高級カートリッヂは音を潰すことによって見せかけのSN比を実現しているのです。 このようなタイプのカートリッジの宣伝評論には完全な沈黙、無音から音が出る、つまりそれが高SN比の証明であり、能力の高さを示すものであると書かれたりしていますが、ナンセンス以外の何物でもないのです。 この世で完全無音、沈黙など存在しない。 あるとしたら棺桶の中に入った時でしょう。 完全無音から音が出ると、人間の耳は不自然さを感知します。 音を潰した見せかけのSN比によって作られた音楽は変質を繰り返す。 このようなシステムにM44を付ければ、すべてのオーディオ機器の本性を露わにしてしまう。 SN比が劣るM44から再生される無音や沈黙は音とつながっているのでそれなりの意味を持ちます。 決して虚無と同じではないのです。 沈黙や無音が意味を持ち始めると無と有のコントラストで成り立っているオーディオシステムはもはや対応できません。 それが粗さや雑さに姿を変えて出てきてしまうのです。 追従性が装置の性向を露わにしてしまうのです。 ですからM44を使って思ったほど良質な再生音が果たせない時こそ、逆にチャンスなのです。 M44を使えばアナログオーディオシステムを本来あるべき姿に戻すことが出来るからです。 これがシュアM44だけでなく、同じように追従性を持つ未知のヴィンテージ時代のカートリッヂのもう一つの働きです。 現代オーディオシステムにシュアM44を使えばそれなりの粗さが出る、哀れむべき今のシステムの真の姿です。 この項おわり
以上T氏

参考ページ
アメリカのカートリッヂ


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