2014年01月28日

TD124 Mk.2 その音の世界 7

何度も言うように、Mk.2が再生する中音域は不動の中域と呼びたくなるほどがっしりと動かないのが特長です。 中音域があちこち動かないからこそ、低音域と高音域が自在に動くことが出来ます。 レインジが広いだけが取り柄のカートリッヂを取り付けた場合、再生音が中抜けに聞えて音楽力が乏しくなる傾向もあります。 これは中音域の両端の連結がうまく行かずに低域と高域が意味なく鳴るだけで、脈絡のないサウンドと化した結果です。 高音域において重要なのは中低音部から発するハーモニクスの伸びと倍音成分です。 これが不足すると5KHzあたりの音が痩せて、かんかんとやかましい音になってしまいます。 さらに高音域での倍音成分過多の場合、中低音部とのバランスによって良くも悪くもなります。 ただ高音域が伸びていれば良いというわけではないのです。
Mk.2の再生音における量感は集合体によって成り立っていて、それぞれのMk.2は集合体として集められた音たちがいかに連結して支えられるかで、個体としての能力が決定されます。 つまりそれぞれのMk.2は如何なる連結力を備えているか、にかかっているのです。 ですから、Mk.2の音はこうだと一様には語れないのです。 連結力のバリエイションが多すぎるからです。 言い換えれば、Mk.2はMk.1よりも洗練されており誰にでも一応の音は出せるけれど、本当の能力を出し切るにそれなりのテクニックと音楽センスが要求される厄介なプレイヤといえます。
次に分解能について書きましょう。
Mk.2に一貫して言えるのは、ステレオ再生時は響きによって音の実体を明らかにするということでしょう。 時に拡散力があまりに強すぎて実体としての音と倍音が分離気味になり、何が何だか分からなくなってしまうこともあるのも事実です。 花火のようにフルオーケストラが爆発すると確かに呆れるほどのハイファイなのです。 あらゆる音がいっぺんに鳴るのを観察できるのは確かに良いのでしょうが、音楽的にはどうでしょうか。 こういう時、みっちりとしたMk.1が懐かしく思えるのです。 こういう時、オルトフォンSPUシリーズを使用すればこうした弊害から免れることが出来るかもしれません。 しかし、それは邪道です。 SPU特有の音数の少なさで音楽的反応力を減衰させて安心できる音が出ていれば、それでいいのでしょうか。 少なくともMk.2本来の音では無いのです。 それよりも百花繚乱サウンドを自ら調整しチューニングして自分の音楽感に合うようにするのが自然なオーディオ鑑賞だと思います。 モノを変える、組み合わせを変えるという安易なやり方からは安易な音しか出てきません。 
Mk.2が持つ二つの支点、ターンオーバーとロールオフは固定されてはおらず、可動調整できるものです。 これらの支点を動かすことにより音質の調整はできます。 アナログ再生において、特にレコードプレイヤ周りはどう触っても音は変わります。 それを逆手にとって音決めをするのです。 支点が動けば反応力も変わる、そうなれば前とは違う音楽を再生し始める。 Mk.2を一台所有するということは、二台三台のレコードプレイヤを持つといっても過言ではありません。 つづく
以上T氏

Mk.2のターンオーバーとロールオフの2つの支点を変えてイコライザ特性を調整することをT氏は書いている。 どのようにして支点を動かすのか。 それはシャシの響きの微妙な違い、プラッタの出来具合、トランスポート部品の材質など、触れて叩いて体で感じ取りながら調整するのだから、説明は無理だと一蹴された。 理屈ではないのだ。




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