2014年02月07日
LINN-LP12とTHORENS TD124 その2
LP12 ベルトドライヴプレイヤの弱点
以前TD124との比較のために、LINN LP-12を試聴してみたいのだけれど、どのタイプが良いかと尋ねられたことがありました。 迷わず最初のモデルLP-12が良いとお薦めしました。 そもそもベルトドライヴプレイヤの構造自体モータプーリとプラッタにベルトをかけて回す、きわめてシンプルな方式で成り立っています。 この構造にはアイドラドライヴ式のように回転系に歯車ギア的要素が存在しません。 となればプラッタの定回転性を請け負うのはすべてモータということになります。 ギアがなくベルト直結でプラッタと接合しているモータが果たしていつもうまく動いてくれるかというと、そうはうまくいきません。 さまざまな困難が常にモータの定回転性を脅かしているからです。 定回転性を守る手立てとしてはモータの精度の向上でしょう。 多極シンクロナスモータが採用されるのはそのためです。 いくら多極化してもそれだけでは十分ではありません。 さらなる定回転性を追求するなら、今度はモータそのものの動きのコントロールが必要です。 そこでさまざまな補助機器が登場します。 たとえばアンプリファイアまがいのDCモータ安定器、これはアイドラ式にある歯車的要素に具わる機械抑制力をエレクトロニクスに置き換えたものです。 これ、あまりよろしくはありません。 何故ならプラッタの変動、カートリッヂの針圧などによる外的負荷、あるいはプレイヤ自体にある内的負荷に対するコントロール力がいつも後手に回るからです。 つまり発生してからコントロールするのです。 これではアイドラ式プレイヤが持つ機械力コントロールによる時間の先取りができません。 いくら負荷に対する反応を早くしても追いつけない。 問題が発生してから修正するというモグラたたきの繰り返しです。 LP12用補助機器(外部電源・DCモータとコントロール機器・底板など)がガンダム商法のようにどんどん増え、その精度が上がれば上がるほどこうした修正のマイナス面が顕著になっていきます。 ですから冒頭に書いた通り、LP12の中では補助機器なしで初期のものがマイナス面が一番少ないということになります。 実際こうした現象をユーザは感じていないようです。 ストロボで回転数をチェックするしか判断材料がないからです。
ところで回転の正確さに関しては、人間が持つ聴覚は検知器よりもずっと鋭い感度を持っています。 たとえストロボがきっちり数値で正確に33+1/3 rotation per minute を示そうとも正直な耳は信じてはいないのです。 例えば英CONNOISSEUR社のアイドラ式プレイヤは回転数の正確さと音(音楽表現力)が別々に存在します。 定められた回転数の内に幾多の音楽表現が内含されており、ユーザはそこから選択できるようになっています。 こうした選択の広がりはアイドラドライヴ式にある摩擦抵抗値(センタスピンドル・モータ軸・アイドラとプラッタ等々)のせめぎ合いから生まれます。 現代のベルトドライヴ式にはせめぎ合いなど見当たらず、なるべく摩擦抵抗をゼロに極限まで近づけてノイズレスでクリーンな動作を追求しています。できるだけストレートな伝導をめざしたあげくにトーンコントロールまで省略してしまったプリアンプのように。 ユーザから音色や響きの選択の自由という楽しみを無残にも取り上げてしまったのです。 これこそがレコード再生の旨みだというのに。 摩擦抵抗の減衰はプレイヤにある機械力の減少とイコールです。 となればLP12においては補助機器を使わず、電気的制御ができるだけ少ないモデルの方が良いという結論にLP12のユーザもうすうす感じていることなのではないでしょうか。 ベルトドライヴ式の理想のかたちとなれば、TD125とその亜流であるLP12初期モデルあたりがまともな音を出している、ということになります。 ベルトドライヴ式において基本的に進化は無く、永遠のモデファイがあるのみです。 たしかにLP12もTD125にしても、レコードを鑑賞するためには十分考えられたプレイヤです。 それはあくまで復刻盤や1970年代以降のLPにあてはまります。 そのように作られているのですから。 そうしたプレイヤでモノーラル盤やステレオ初期盤に刻まれた音楽表現に触れようとしても、それは無理というものです。 なにより音楽の深みに到ろうという希求心が存在しないからです。 溝をなすってはいても掘ることはしません。 デザインが好き、価格が高い方が良い、補助機器が充実している、それなりの音が出てくればそれでよい、というのであればもちろんかまいません。 すべてのレコード愛好家がTD124ばかり使う、それではアナログオーディオに自由さが無くなってしまいます。 実質的に新譜レコードが販売されなくなって久しくなっても、これだけのレコードプレイヤがあるという事実、ユーザにとってはよろこばしいことです。 こうして自由に意見を述べることもできるのですから。 この項終わり
以上T氏
参考ページ
リン社のレコードプレイヤ
三十年前LINN-LP12を使用していた。 当時ヴィンテージは信用していなかったし、現行品の中ではLP12は他のプレイヤよりも音だけでなく音楽も再生してくれたので魅力的だった。 しばらくして英国でCONNOISSEUR CRAFTSMAN-3に出会い、『この音色、響き、音楽家の気迫、レコードにはこんなにも音楽が刻まれていたんだ。 こんなにLPってすごかったんだ。』と初期盤を聴いた。 以来リスニングルームにコニサーを置いて毎日グレイレコードリストを書いた、楽しく書いた。 LP-12で聴いた頃のリストは盤の状態と録音の音質が多く、コニサーで聴くようになるとレコードリストには音楽のことがどんどん書かれている。 初期盤から60年代のLPはアイドラ式でないと真のレコードの旨味は取り出せないし、こと絵画的表現となると、かないやしない。 良いレコードプレイヤは聴き手の鼓膜を鍛えるのではなく、聴覚を磨く。
以前TD124との比較のために、LINN LP-12を試聴してみたいのだけれど、どのタイプが良いかと尋ねられたことがありました。 迷わず最初のモデルLP-12が良いとお薦めしました。 そもそもベルトドライヴプレイヤの構造自体モータプーリとプラッタにベルトをかけて回す、きわめてシンプルな方式で成り立っています。 この構造にはアイドラドライヴ式のように回転系に歯車ギア的要素が存在しません。 となればプラッタの定回転性を請け負うのはすべてモータということになります。 ギアがなくベルト直結でプラッタと接合しているモータが果たしていつもうまく動いてくれるかというと、そうはうまくいきません。 さまざまな困難が常にモータの定回転性を脅かしているからです。 定回転性を守る手立てとしてはモータの精度の向上でしょう。 多極シンクロナスモータが採用されるのはそのためです。 いくら多極化してもそれだけでは十分ではありません。 さらなる定回転性を追求するなら、今度はモータそのものの動きのコントロールが必要です。 そこでさまざまな補助機器が登場します。 たとえばアンプリファイアまがいのDCモータ安定器、これはアイドラ式にある歯車的要素に具わる機械抑制力をエレクトロニクスに置き換えたものです。 これ、あまりよろしくはありません。 何故ならプラッタの変動、カートリッヂの針圧などによる外的負荷、あるいはプレイヤ自体にある内的負荷に対するコントロール力がいつも後手に回るからです。 つまり発生してからコントロールするのです。 これではアイドラ式プレイヤが持つ機械力コントロールによる時間の先取りができません。 いくら負荷に対する反応を早くしても追いつけない。 問題が発生してから修正するというモグラたたきの繰り返しです。 LP12用補助機器(外部電源・DCモータとコントロール機器・底板など)がガンダム商法のようにどんどん増え、その精度が上がれば上がるほどこうした修正のマイナス面が顕著になっていきます。 ですから冒頭に書いた通り、LP12の中では補助機器なしで初期のものがマイナス面が一番少ないということになります。 実際こうした現象をユーザは感じていないようです。 ストロボで回転数をチェックするしか判断材料がないからです。
ところで回転の正確さに関しては、人間が持つ聴覚は検知器よりもずっと鋭い感度を持っています。 たとえストロボがきっちり数値で正確に33+1/3 rotation per minute を示そうとも正直な耳は信じてはいないのです。 例えば英CONNOISSEUR社のアイドラ式プレイヤは回転数の正確さと音(音楽表現力)が別々に存在します。 定められた回転数の内に幾多の音楽表現が内含されており、ユーザはそこから選択できるようになっています。 こうした選択の広がりはアイドラドライヴ式にある摩擦抵抗値(センタスピンドル・モータ軸・アイドラとプラッタ等々)のせめぎ合いから生まれます。 現代のベルトドライヴ式にはせめぎ合いなど見当たらず、なるべく摩擦抵抗をゼロに極限まで近づけてノイズレスでクリーンな動作を追求しています。できるだけストレートな伝導をめざしたあげくにトーンコントロールまで省略してしまったプリアンプのように。 ユーザから音色や響きの選択の自由という楽しみを無残にも取り上げてしまったのです。 これこそがレコード再生の旨みだというのに。 摩擦抵抗の減衰はプレイヤにある機械力の減少とイコールです。 となればLP12においては補助機器を使わず、電気的制御ができるだけ少ないモデルの方が良いという結論にLP12のユーザもうすうす感じていることなのではないでしょうか。 ベルトドライヴ式の理想のかたちとなれば、TD125とその亜流であるLP12初期モデルあたりがまともな音を出している、ということになります。 ベルトドライヴ式において基本的に進化は無く、永遠のモデファイがあるのみです。 たしかにLP12もTD125にしても、レコードを鑑賞するためには十分考えられたプレイヤです。 それはあくまで復刻盤や1970年代以降のLPにあてはまります。 そのように作られているのですから。 そうしたプレイヤでモノーラル盤やステレオ初期盤に刻まれた音楽表現に触れようとしても、それは無理というものです。 なにより音楽の深みに到ろうという希求心が存在しないからです。 溝をなすってはいても掘ることはしません。 デザインが好き、価格が高い方が良い、補助機器が充実している、それなりの音が出てくればそれでよい、というのであればもちろんかまいません。 すべてのレコード愛好家がTD124ばかり使う、それではアナログオーディオに自由さが無くなってしまいます。 実質的に新譜レコードが販売されなくなって久しくなっても、これだけのレコードプレイヤがあるという事実、ユーザにとってはよろこばしいことです。 こうして自由に意見を述べることもできるのですから。 この項終わり
以上T氏
参考ページ
リン社のレコードプレイヤ
三十年前LINN-LP12を使用していた。 当時ヴィンテージは信用していなかったし、現行品の中ではLP12は他のプレイヤよりも音だけでなく音楽も再生してくれたので魅力的だった。 しばらくして英国でCONNOISSEUR CRAFTSMAN-3に出会い、『この音色、響き、音楽家の気迫、レコードにはこんなにも音楽が刻まれていたんだ。 こんなにLPってすごかったんだ。』と初期盤を聴いた。 以来リスニングルームにコニサーを置いて毎日グレイレコードリストを書いた、楽しく書いた。 LP-12で聴いた頃のリストは盤の状態と録音の音質が多く、コニサーで聴くようになるとレコードリストには音楽のことがどんどん書かれている。 初期盤から60年代のLPはアイドラ式でないと真のレコードの旨味は取り出せないし、こと絵画的表現となると、かないやしない。 良いレコードプレイヤは聴き手の鼓膜を鍛えるのではなく、聴覚を磨く。