2014年04月26日
TD124からTD135Mk.2までアイドラ・ベルト機種の実体 最終回
TD135Mk.2の実像
TD124系列中、どれにも属さない新種のプレイヤがTD135Mk.2です。 確かにその再生音はこれまで述べてきたどの機種とも似ていない固有種と言えましょう。 形成される音場そのものからして違います。 エンポリウム仕様のように円を描いたものではなく、TD134やTD135 に見る横方向への拡がりを大切にすることもなく、聴き手を頂点とするダイヤ型の音場を作るからです。 たとえばTD135Mk.1で聴こえていたはずの音がズバッと切断されているのです。 そのかわりダイヤの内側の充実ぶりにすごいものがあります。 何物も見落とすことなく、すべての音を拾い上げてて聴き手の眼前に広げてくれます。 音を無駄にすることをしないのです。 こうした演出力はTD124エンポリウム仕様のそれとはまた別のものです。
そこに聴く再現力は当時のホームユース機器としては限界に近づけた結果生まれたものです。 フル・レストアしたのち、最後の仕上げとして施すアイドラ研磨調整により劇的に再生音が変化するのが、このTD135Mk.2のすごいところです。 これを聴いていると同じ世代として登場したGARRARD401型からは英国人のアナログに対する熱意が冷めてしまっているのを痛感します。 TD135Mk.2の再生音は聴き手に向かって飛んできます。 ステレオ再生というものが本当は左右のセパレーションや奥行きの再現にあるのではなく、向かってくる音が重要な意味を持つと言いたげに飛んでくるのです。 そうした音に浸っているとき、何かがささやくのです。 これこそが新しいステレオ的グッド・リプロダクションではないかと。 音と音楽を同時に愉しめること、それがグッド・リプロダクションの一つの方向です。 なるほどTD135Mk.2は聴いていてとても面白い音を出すのです。 この機種がグッド・リプロダクションに絡むことが出来る証として、SN比を極限まで上げて音場を澄ませ、音そのものを磨き上げたとしても、直ちに深い音楽表現力を示すことはありません。 なぜならTD135Mk.2にとって、優れた物理特性と音楽の表現力は一致しないのです。 これはちょっと説明しにくいのですが、通常のプレイヤではSN比が上がると音楽性も上がるのですが、これは違うのです。 この特異性はヴィンテージ時代の英国のプレイヤの一部、たとえばコニサーやコラロと同一のものです。 TD135Mk.2の実像とは精緻なステレオ思考にのっとった、グッド・リプロダクションの体現者と断言できます。 この項おわり
以上T氏
TD124系列中、どれにも属さない新種のプレイヤがTD135Mk.2です。 確かにその再生音はこれまで述べてきたどの機種とも似ていない固有種と言えましょう。 形成される音場そのものからして違います。 エンポリウム仕様のように円を描いたものではなく、TD134やTD135 に見る横方向への拡がりを大切にすることもなく、聴き手を頂点とするダイヤ型の音場を作るからです。 たとえばTD135Mk.1で聴こえていたはずの音がズバッと切断されているのです。 そのかわりダイヤの内側の充実ぶりにすごいものがあります。 何物も見落とすことなく、すべての音を拾い上げてて聴き手の眼前に広げてくれます。 音を無駄にすることをしないのです。 こうした演出力はTD124エンポリウム仕様のそれとはまた別のものです。

以上T氏