2014年08月25日
回転する速度
ターンテーブルの回転速度
レコードプレイヤの回転速度の正確さを気にするオーディオマニアはずいぶんいらっしゃるのではないでしょうか。 何を置いてもフォノモータはきっちり正確な回転数でなければならない、と頑として譲らない。 ストロボスコープを凝視し、ちょっとでもストロボパターンが流れれば、ただちに修正。 良い音で鳴っていても、規定回転に戻す。 健康のためなら死んでもいい、みたいなノリで。音楽が再生されて恍惚となっていても、回転数がズレた時に現れた音楽だから、「正しくない」と決め込んで修正する方がいます。 今までは、これでも良かったのでしょう。 なぜなら回転数がズレていようがピタリと合っていようが、ダイレクトドライヴやベルトドライヴ式のプレイヤでは大して変わりはないからです。 TD124やCONNOISSEUR、あるいはCOLLARO等、良質なアイドラ・ドライヴ式プレイヤが、ヴィンテージマニアだけではなく一般のアナログ愛好家にまで受け入れられるようになって、様相は変わりつつあります。 今回は良質のアイドラ・ドライヴ式プレイヤを使用することで、レコード回転数の本質とわずかな回転数のズレによる再生音の違いが意味するところ、感じたことを書きます。
定速回転執着のツケ
ベルトドライヴ時代以降、各社が謳ったプレイヤの宣伝文句は、正確な回転速度の保持、検知不能なレヴェルのワウフラッタ、そして高いSN比でした。 検査結果を数値で表記できる特性値で優劣を競い合ったのです。 当時はそうした性能の競争を疑うことなく受け止めていました。 私もそうでした。 しかし、ヴィンテージ・プレイヤをレストアしているうちに、こうしたスペックの優秀性そのものが怪しく思えてきました。 実はこれらの特性は、レストアの方法や、アイドラの研磨術、簡単なクリーニングなどでガラッと変動します。 ホームユースのアナログプレイヤとは、かくも繊細なものなのです。 こうしたことが判ってくると、なぜベルトドライヴ以降のプレイヤがあれほどスペックに執着したのか、見えてきます。 良い音楽が耳に届いていれば、数値を見なくても聴けば一発で判るものです。 本当に良い音楽を奏でるプレイヤであれば、必要以上に数値を並べなくても、ユーザは選んでくれます。 ベルトドライヴの出始めでは、アイドラドライヴに対して対抗できるのは音楽ではなく数値でした。
ベルトドライヴとDD式プレイヤは市場に登場してから、改良が繰り返され、ピアノアタック時の揺れなど定速回転の保持については問題の無いレヴェルまで向上し、オーディオ評論家たちは検査特性よりも個々のプレイヤの音について言及するようになります。 しかしそれはあくまでサウンド(音アソビ)に傾いたクレジットであり、回転の質に拠る音質の差異(音楽表現力)に関してはほとんど触れられてはいません。
アナログレコードを定められた回転速度でかけることこそ正しい再生法である。 これって、固定観念ではないでしょうか。 規定された回転数で再生すると音が良いとはだれも実証してはいないのです。 私たちのオフィスを訪ねてこられる若いユーザの方々はレコードプレイヤの回転速度にとらわれてはいません。 良い音、良質の音楽が出るか否か、そこにだけ注意を払っています。 プレイヤのストロボスコープを凝視する方々のほとんどが団塊世代以降の愛好家なのは、どうしてでしょう。 正しい形でありさえすれば満足、それでいいのでしょうか。 つづく
以上T氏
ここでいう言及する回転速度の調整とは微かなもので、早めの33・1/3 とか遅めの33・1/3くらいの感じ。
レコードプレイヤの回転速度の正確さを気にするオーディオマニアはずいぶんいらっしゃるのではないでしょうか。 何を置いてもフォノモータはきっちり正確な回転数でなければならない、と頑として譲らない。 ストロボスコープを凝視し、ちょっとでもストロボパターンが流れれば、ただちに修正。 良い音で鳴っていても、規定回転に戻す。 健康のためなら死んでもいい、みたいなノリで。音楽が再生されて恍惚となっていても、回転数がズレた時に現れた音楽だから、「正しくない」と決め込んで修正する方がいます。 今までは、これでも良かったのでしょう。 なぜなら回転数がズレていようがピタリと合っていようが、ダイレクトドライヴやベルトドライヴ式のプレイヤでは大して変わりはないからです。 TD124やCONNOISSEUR、あるいはCOLLARO等、良質なアイドラ・ドライヴ式プレイヤが、ヴィンテージマニアだけではなく一般のアナログ愛好家にまで受け入れられるようになって、様相は変わりつつあります。 今回は良質のアイドラ・ドライヴ式プレイヤを使用することで、レコード回転数の本質とわずかな回転数のズレによる再生音の違いが意味するところ、感じたことを書きます。
定速回転執着のツケ
ベルトドライヴ時代以降、各社が謳ったプレイヤの宣伝文句は、正確な回転速度の保持、検知不能なレヴェルのワウフラッタ、そして高いSN比でした。 検査結果を数値で表記できる特性値で優劣を競い合ったのです。 当時はそうした性能の競争を疑うことなく受け止めていました。 私もそうでした。 しかし、ヴィンテージ・プレイヤをレストアしているうちに、こうしたスペックの優秀性そのものが怪しく思えてきました。 実はこれらの特性は、レストアの方法や、アイドラの研磨術、簡単なクリーニングなどでガラッと変動します。 ホームユースのアナログプレイヤとは、かくも繊細なものなのです。 こうしたことが判ってくると、なぜベルトドライヴ以降のプレイヤがあれほどスペックに執着したのか、見えてきます。 良い音楽が耳に届いていれば、数値を見なくても聴けば一発で判るものです。 本当に良い音楽を奏でるプレイヤであれば、必要以上に数値を並べなくても、ユーザは選んでくれます。 ベルトドライヴの出始めでは、アイドラドライヴに対して対抗できるのは音楽ではなく数値でした。
ベルトドライヴとDD式プレイヤは市場に登場してから、改良が繰り返され、ピアノアタック時の揺れなど定速回転の保持については問題の無いレヴェルまで向上し、オーディオ評論家たちは検査特性よりも個々のプレイヤの音について言及するようになります。 しかしそれはあくまでサウンド(音アソビ)に傾いたクレジットであり、回転の質に拠る音質の差異(音楽表現力)に関してはほとんど触れられてはいません。
アナログレコードを定められた回転速度でかけることこそ正しい再生法である。 これって、固定観念ではないでしょうか。 規定された回転数で再生すると音が良いとはだれも実証してはいないのです。 私たちのオフィスを訪ねてこられる若いユーザの方々はレコードプレイヤの回転速度にとらわれてはいません。 良い音、良質の音楽が出るか否か、そこにだけ注意を払っています。 プレイヤのストロボスコープを凝視する方々のほとんどが団塊世代以降の愛好家なのは、どうしてでしょう。 正しい形でありさえすれば満足、それでいいのでしょうか。 つづく
以上T氏
ここでいう言及する回転速度の調整とは微かなもので、早めの33・1/3 とか遅めの33・1/3くらいの感じ。