2015年06月24日
テレヴィジョンとステレオ再生と 3
判らないときは、初めに戻る。
混迷から脱する最善の方法です。
ステレオ黎明期にその答えを探し出すことにより、これからのステレオ再生の在り方を考えてみます。
1958年頃の欧米のステレオ再生、欧州と米国では大分様子が違います。 一般的にいって、ステレオ時代に入ると米国でもスピーカは小型化していきますが、それは日本ほどではなく十分な大きさを持ってはいました。 米国ではオーディオという概念がラウドという意味に基づいていたからでしょう。 米国のスピーカの鳴らし方といえば直接聴き手にダイナミクスを叩き付けるPA的なものです。
スピーカボックスをミサイル・ランチャにしているのです。 ある程度開かれた大きな空間であれば、ずいぶんと気持ちの良い鳴り方をすることでしょうが、これを日本のリスニングルームに持ち込むとなると土台無理があります。 その無理を押しても音を観たいという欲求が我が国のマニアのホンネだったと思います。 こちらの方が音を主観的に聴けるというのもあったのでしょう。 しかし、自分をごまかした上での主観であったともいえます。
欧州のステレオ黎明期、英国をはじめとして、ステレオに飛びつくという風潮はなかったようです。 ステレオが始まっても数年は主流はモノーラル盤を聴いていた、と往時のオーディオ愛好家に直接聞いたことがあります。 英国のステレオ手引き書に共通するのは、モノーラル時代の鳴らし方であるスピーカから発する一次反射や二次反射を踏襲するステレオ再生法に詳しく言及していることです。 それゆえ、スピーカ自体が必ずしも聴き手の正面に向いていなければいけないというわけではなく、両側にコーナ型スピーカを設置してステレオ再生したり、上向きにバッフル板を向けてみたり、無指向性型や反射板を使用して空間に音を拡散させたりもしていました。 この方法、我国ではほとんど顧みられることはありませんでした。 なぜなら音が見えないからです。 それどころか定位しないし、位相が乱れる、それ自体ステレオ再生にはあってはならないこと、と我が国では信じられていたからです。 当然音色のことなどは頭にありません。 とにかく定位と音場とダイナミクスが揃っていれば、立派な再生だと信じていたのです、我国のオーディオマニアは。 しかし一般的にいって欧州でのステレオ再生の傾向は2つのチャンネルと2つのスピーカを使用して空間を音で心地よく満たし、その効果として響きを楽しみたい、というものだったようです。 なぜ電気再生となると、ことのほかそれらを意識をして聴かなければならないのか。 そんなのを気にして音楽が聴こえてくるのか。 実際のコンサートでは誰も定位や位相など意識しながら聴いてはいない。 伝えたい気持ち、音の色、ニュアンス、情感。 それらを演奏者の表情や動きを見ながら感じ取ろうとしている。 そう考えていたのではないでしょうか。 ハイフィデリティとはまずそれらを意識させない音なのではないか。 そう彼らが考えるのは当然であり自然です。 そうして初めて『なにか在る』のが感じられるのですから。 つづく
以上T氏
混迷から脱する最善の方法です。
ステレオ黎明期にその答えを探し出すことにより、これからのステレオ再生の在り方を考えてみます。
1958年頃の欧米のステレオ再生、欧州と米国では大分様子が違います。 一般的にいって、ステレオ時代に入ると米国でもスピーカは小型化していきますが、それは日本ほどではなく十分な大きさを持ってはいました。 米国ではオーディオという概念がラウドという意味に基づいていたからでしょう。 米国のスピーカの鳴らし方といえば直接聴き手にダイナミクスを叩き付けるPA的なものです。

欧州のステレオ黎明期、英国をはじめとして、ステレオに飛びつくという風潮はなかったようです。 ステレオが始まっても数年は主流はモノーラル盤を聴いていた、と往時のオーディオ愛好家に直接聞いたことがあります。 英国のステレオ手引き書に共通するのは、モノーラル時代の鳴らし方であるスピーカから発する一次反射や二次反射を踏襲するステレオ再生法に詳しく言及していることです。 それゆえ、スピーカ自体が必ずしも聴き手の正面に向いていなければいけないというわけではなく、両側にコーナ型スピーカを設置してステレオ再生したり、上向きにバッフル板を向けてみたり、無指向性型や反射板を使用して空間に音を拡散させたりもしていました。 この方法、我国ではほとんど顧みられることはありませんでした。 なぜなら音が見えないからです。 それどころか定位しないし、位相が乱れる、それ自体ステレオ再生にはあってはならないこと、と我が国では信じられていたからです。 当然音色のことなどは頭にありません。 とにかく定位と音場とダイナミクスが揃っていれば、立派な再生だと信じていたのです、我国のオーディオマニアは。 しかし一般的にいって欧州でのステレオ再生の傾向は2つのチャンネルと2つのスピーカを使用して空間を音で心地よく満たし、その効果として響きを楽しみたい、というものだったようです。 なぜ電気再生となると、ことのほかそれらを意識をして聴かなければならないのか。 そんなのを気にして音楽が聴こえてくるのか。 実際のコンサートでは誰も定位や位相など意識しながら聴いてはいない。 伝えたい気持ち、音の色、ニュアンス、情感。 それらを演奏者の表情や動きを見ながら感じ取ろうとしている。 そう考えていたのではないでしょうか。 ハイフィデリティとはまずそれらを意識させない音なのではないか。 そう彼らが考えるのは当然であり自然です。 そうして初めて『なにか在る』のが感じられるのですから。 つづく
以上T氏